2003年02月10日08時15分掲載  無料記事
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マレーシアの自由報道の砦、閉鎖の危機 『マレーシアキニ』弾圧事件

 マレーシアで2年前に立ち上がったばかりのインターネット新聞が、警察の手入れを受け、さらに家主から追い出しを通告され苦境に陥っている。マレーシア政府は、10万人以上の読者を持つこのインターネット新聞を黙認してきたが、その内容に「我慢の限界」を越えたとして、政府の翼賛組織であるUMNO(統一マレー国民組織)を通じて、警察への告発を行った。言論統制を続けてきたマハティール政権が報道の自由化に踏み切るかと思われていた矢先の弾圧劇だった。(菅原秀) 
 
■政府の翼賛組織が警察を動かす 
 
 1月9日、このインターネット新聞「マレーシアキニ」(スティーブン・ガン代表)に「新しいアメリカとプミプトラの類似点」という読者の投稿が掲載された。 
 
 アメリカの人種政策の歴史とマレーシアのプミプトラ(マレー人優遇政策)を引き合いに出し、「もしKKK(クー・クラックス・クラン)がアメリカ共和党青年部として政権を担い、ちょうどマレーシアのUMNO(統一マレー国民組織)青年部と同じような、国民弾圧機関になったら、どうなるだろうか?」と書かれていた。 
 
 自分たちをKKKと比較されたUMNO青年部は激怒し、「マレーシアキニ」を「扇動罪」の容疑ありとして警察に告発した。この告発を受けた警察は20日、「マレーシアキニ」の事務所を捜査し、19台のコンピューターと4台のサーバーを押収した。「マレーシアキニ」の編集員にとっては寝耳に水の事件だった。何せ、98年に施行されたコンピューター関係の法律で、インターネットによる表現には規制がかけられないはずだったからだ。 
 
 しかし、警察を扇動した組織が自ら名乗り出た。 
 
 UMNOの広報担当のイズマイル・ヤーコブ氏が23日の記者会見で、「マレーシアキニの報道はいつも一方的であるが、われわれはずっと静かにしていた。しかし、こうした先導的な報道をしたからには、大目に見ることはできない。警察に対し彼らにレッスンを与えるように要請した」と語ったのである。 
 
 警察は押収したコンピューターを調査すると同時に「マレーシアキニ」代表のスチーブン・ガン氏と編集局員2名を聴取し、投書した人物を「扇動罪」で告訴するために名前を述べるよう要請したが、「マレーシアキニ」側は、情報源の秘匿を理由に名前を告げることを拒否した。マレーシアの「扇動罪」は懲役3年以下の重罪となる。 
 
 この押収を心配した「マレーシアキニ」の読者たち200人は、警察の手入れの数時間後には「マレーシアキニ」が入居しているビルの前に集まり、深夜までキャンドルを灯して祈った。同時に読者たちが自発的にコンピューターの寄付を申し出て、数台のコンピューターを「マレーシアキニ」に持ち込んだ。その結果インターネット新聞はコンピューターが押収されてから10時間後には復旧した。 
 
 さらに、この押収劇はアメリカのCNNを通じて世界に配信され、それを受けた「ジャーナリスト保護委員会」(ニューヨーク)、「東南アジア記者連合」(バンコク)、アムネスティ・インターナショナル(ロンドン)などがマレーシア政府に厳重な抗議を行った。また、マレーシア国内のNGOが抗議行動を開始し、24日には弁護士会館で市民集会が行われた。 
 
 マレーシアの野党のリーダーである民主行動党党首リム・キット・シアン氏は、今回の事件について次のようにコメントしている。 
 
 「今回は、政府がサイバー法で保護されているインターネットを検閲するという違反行為を行ったわけで、この点で政府を追及すべきである。またマルチメディア・スーパー・コリダー委員会のメンバーも、マレーシア政府に対して今回の事件を公式に謝罪せよとの要求をし、今後決してこうしたことを行わないという強い約束を迫るべきである」 
 
 この委員会にはビル・ゲイツ、スタン・シー、ルイス・ガースナーなどの著名人が名を連ねている。 
 
■MSCを支えているのはアメリカ、日本、台湾 
 
 マルチメディア・スーパー・コリダー(MSC)というのは、マハティール首相が1995年に打ち上げた構想で、クアラルンプールの50キロ四方をIT産業の基地にしようというもの。この構想に海外のコンピューター会社や電信会社が参入し、マレーシアをあっという間にIT先進国に押し上げる結果になった。日本からもNTTを始め、多くの企業と学者がこのMSC構想に参加している。 
 
 マハティール首相のアドバイザーとしてこの計画に大きく関与した大前研一氏は、1999年のテレビ番組「がんばれ日本」で次のように語っている。 
 
 「マレーシアでは、現在、国家を挙げてサイバー化の試み、マルチメディア・スーパー・コリダー計画を進めています。すでにサイバージャヤの建設や、昨年のサイバー法成立など、広く国民の間に認知されるに至っています。マレーシアには、イスラム教原理主義の教えによって、タブーが非常に多くあり、インターネットのようにタブーに該当する情報が多く流れてくるようなメディアを導入するのは問題であるとされてきましたが、マハティール首相は、『検閲は国民を信じていないことである。検閲しなくても、よい情報と悪い情報を識別できる国民を作ることが大事なんだ。これに成功しなくては、われわれは世界に負けてしまうんだ』と信念をもっていいつづけて、法制定までこぎつけてしまいました」 
 
 マレーシアでは1992年までは、衛星テレビすら禁じていた情報統制国家である。今でも新聞や雑誌の発行は許可制となっており、政府批判を行うことが不可能な状態が続いている。また、政府批判をすれば治安維持法で礼状なしで逮捕される可能性のある国である。 
 
 その流れを大きく変えることになったのが、「マレーシアキニ」の創刊だった。編集長のスティーブン・ガン氏(38)には、かつて政治犯として逮捕され、アムネスティ・インターナショナルによって救出された経験がある。釈放後タイに移住し、英字紙の記者としての仕事をしていた。しかし、マハティール首相のマルチメディア・スーパー・コリダー計画が着々と進み、「インターネットの検閲をしない」というサイバー法が通ったことから、マレーシアに戻ってインターネット新聞を発行しようと決意した。 
 
■あっという間に10万人の読者を確保 
 
 マレーシアに戻ったのは1999年の11月、ちょうど総選挙の真っ最中で、「マレーシアキニ」が立ち上がったのは、投票日のわずか10日前だった。 
 
 まずは総選挙から取材を開始しようと思い、知人のジャーナリストを誘ったが、「マレーシアで自由な報道なんてできるはずがない」と断られた。仕方がないので、記者募集の新聞広告を出したところ「自由な報道」の場を求める人々30人が応募してきた。そのうちの元気な若者3人を採用し、小規模なスタートを切った。 
 
 マレーシアの従来の新聞は最大与党である統一マレー国民組織の選挙戦を中心として取材しなければならず、野党の記事は翌日にまわすという慣わしがあった。「マレーシアキニ」はこの慣習にあえて挑戦し、公正な報道に終始した。サイバー法があるのでインターネットに関しては政府もおいそれと手出しができないだろうというガン氏たちの「読み」もあったのだろう。 
 
 購読料は月あたり10リンギ(約350円)に設定した。マレーシアの平均給与からすればやや高いと思われたが、読者は2年間で10万人に達した。インターネットを使い慣れていたマレーシアの人々は、すでに海外のメディアをアクセスするようになっており、国内での自由な報道を熱烈に求めていた。「マレーシアキニ」を知った人々は、口コミでこのインターネット新聞の存在を伝えた。昨年11月に来日したスティーブン・ガン氏が「何の宣伝もしなかったのに、読者が次々に購読申し込みをしてくれました。マレーシアの最大の新聞の発行部数の半分に達しています」と自信のほどをのぞかせていたのが記憶に新しい。 
 
 99年の総選挙は、イスラム系の野党がインターネットで配信した政策チラシを街頭で配るという作戦を行った。その結果、3倍の議席拡大の躍進を遂げた。「マレーシアキニ」は投票日の夜、早速このイスラム系野党の躍進を報道した。他のメディアは先例にならって、翌日まで発表を引き伸ばした。他の国ならあたりまえであるこうした報道姿勢が人々から歓迎されたわけだ。 
 
 「マレーシアキニ」は調査報道と人権の闇に光をあてることにも精力を注いだ。 
 
 有力紙「星州日報」の偽造写真事件というのがある。マハティール首相のわきに写っているはずの元アンワル副首相の写真が消され、今のアブドラ副首相の写真にすげかえられていた事件である。「マレーシアキニ」は「かつての共産主義と同じ手口だ」としてこの捏造写真を報じた。「星州日報」はこの件で読者に謝罪するはめになった。 
 
 またバングラデッシュからの不法移民モロン・モズムルール氏の法廷証言事件というのがある。人権保護団体の著名な活動家が「誤報を流した」と言う罪で逮捕された事件で、モズムルール氏は、入管の収容所での警察官や職員による人権侵害の実態を詳細にわたって証言した。 
 
 「警察官は笑いのネタのためにビルマ人男性収容者をお互いにオーラルセックスさせた」 
 
 「収容者を裸にしてあぐらを組ませ、看守が革靴であぐらの上を歩いた」 
 
 「食事は極めて粗末で雑草を食べて飢えをしのいだ」 
 
 「看守は女性収容者を鞭で殴打した」 
 
 「トイレは大便であふれており、鼻と口をおさえてしゃがみ込まなけれればならなかった」などの証言を、「マレーシアキニ」は詳細にわたって報道した。 
 
 マレーシア当局はモズムルール氏裁判の報道に対してその後ずっと「だんまり」を決め込んでおり、市民団体からの調査申し立てが100件以上届いているにもかかわらず、一切動こうとしていない。 
 
 「マレーシアキニ」の存続は予断を許さない。24日にはビルのオーナーから「警察の手入れを受けるような企業には事務所を貸せない」として2月末までに立ち退くようにとの通知が届いた。このビルはPCスリアという政府系の会社である。マレーシアのIT企業はMSC事業に登録することになっており、登録企業がUMNOに右習いすることが懸念されていた矢先の追い出し通告だった。 
 
「マレーシアキニ」のホームページ 
http://www.malaysiakini.com/ 
 
(アジア記者クラブ2003年2月号掲載) 


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