2003年09月29日11時27分掲載  無料記事
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【インタビュー】「撮り続けよ、だが撮る前に考えよ!」  歴史的瞬間の記録を支えてきた写真編集者ジョン・モリス氏

 いい報道写真とはなにか──。この問いを追求して50年。報道写真雑誌ライフ、フォトエージェンシーのマグナム(注1)、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどで写真編集者を務めてきた米国人ジョン・モリス氏。彼が選び抜いた写真は、世界中から脚光を浴びてきた。「第2次世界大戦」「ノルマンディー侵攻」「ベトナム戦争」といった歴史的事実を視覚で伝え、多くの有名な写真家を世に送り出してきたモリス氏が、8月31日からフランス南部ペルピニャンで開催された「VISA・国際フォトジャーナリズム祭」に参加した。『20世紀の瞬間』(光文社)の著者が、自らの報道写真哲学を日刊ベリタに語った。(ペルピニャン=宮下洋一) 
 
──フォトジャーナリズムの国フランスでも、この写真祭への評価は高いと聞くが。 
 
 私にとっては世界一だといえる。「ライフ」で、共に活動してきた仲間や、私が世に送り出してきた写真家が一斉にここに集まる。だから、毎年、ここに来るようにしているのだが、時間の都合が合わないことも多くある。毎晩、写真講演会(プロジェクション)に行っているが、とても興味深い。 
 
──教会や大会場など街全体の建物を貸り切って展示される世界中の報道写真について、どんな印象を。 
 
 すべて見てまわる時間はないが、今日までに目にしてきた写真について言うと、すばらしい写真もあるが残念ながら大半は良い写真ではない。物語のある良い写真もあるが、そうでないものも多い。 
 
──あなたにとって、良い(報道)写真とは何か。 
 
 デービッド・ダグラス・ダンカン(注2)とも話しをしたばかりだが、彼は「『世の中には、ある瞬間というものがある』などと言うことはうぬぼれているし、ばかげている」という。しかし、その瞬間のイメージ(記録)の重要性を私はむしろ大切にしている。この写真祭も、本当ならば、もっと編集者が選び抜き、規模を小さくすればいいと思う。物語が伝わってこない写真が多く、ごみのような写真も少なくない。 
 
──デジタルなどハイテクカメラの普及は、今日の報道写真に変化をもたらしたと思うか。 
 
 技術そのものは写真を撮らない。撮っているのは頭と目、それに心だ。デジタルカメラは、ストレートニュースに効率的で、それ自体は何の問題もない。私はハイテクには何の不安も抱いてはいない。むしろ、不安なのは、出版業界のほうだ。あまりにも営利主義に走りすぎている。「ライフ」(のような雑誌)は、もう存在しえない。フランスの「パリ・マッチ」(フォトジャーナリズム誌)も、セックスと有名人の写真ばかりが掲載されている。 
 
──フリーカメラマンたちは独自のスタイルを提供するためにフリーとしての意思を貫いているという。しかし、台所事情を考えると、きらびやかな写真を提供する一流通信社に入ったほうがましだと嘆く。その矛盾についてどう考えるか。 
 
 その意見は確かによく理解できる。問題は、通信社やエージェントではなく、出版業界が写真を買わなくなっていることだ。有名スターたちの写真ばかりを集めているためだ。AP、AFP、ロイター通信などに所属するカメラマンは、みないい写真を撮っている。通信社の写真のレベルがこれほど高くなったのは、過去にないと言ってもいい。今回のイラク戦争で、バグダッドにいたAPの写真家が、第2次世界大戦時に写真を撮っていたらと残念に思う。 
 
──報道写真というと戦争写真が多いように見えるが、あなたは戦争そのものをどう捕らえているのか。 
 
 私は戦争反対を貫いている。アメリカは現在、世界中に覇権主義を広めようとしているが、大半のアメリカ人はそれに気が付いていないのだ。世界を侵略する政治は、我々が構想していたものではなく、理想でもなかった。世界貿易センターが崩壊したのはこれまでアメリカが行なってきた行動のしっぺ返しに過ぎない。 
 
──世界で活躍する日本人写真家は少ない。表現方法、感じ方、あるいは、言語能力そのものがネックなのだろうか。 
 
 私の知る限りでは、記録写真家ヒロシ・ハマヤ(故・浜谷浩氏)、それと「マグナム」のヒロジ・クボタ(久保田博二氏)は優れた写真家だ。言語については、やはり出版界で問題になってくる。しかし、写真家自身の問題ではない。私もフランスに住んで長いが、いまだに言葉には苦労している。 
 
──戦争報道写真の父といわれるロバート・キャパとあなたの関係について話してほしい。 
 
 彼と私は、「ライフ」で、共に写真家と編集者として組んでいた。彼との最後の会話は、1954年5月、彼が東京に行った時だった。「マグナム」を始めた時に、彼が報道写真家として展覧会を開くことになった。キャパは私に「マグナム」の写真編集者になるよう説得した。その時、私は「インドシナには行くな」と彼に電話を入れたのだが、彼は「もう行くつもりだ。心配するな。数週間後にパリで会おう」と答えた。不幸にも、それが最後だった。キャパはその年の5月25日に殺害された。それがきっかけで、私は生涯、戦争と平和について考えさせられるようになった。ベトナム戦争と朝鮮戦争も無意味な戦争だった。 
 
──今はどんな生活をしているのか。これからも写真編集者の活動を続けていくのか。 
 
 パリに来てもう20年になるが、「ナショナル・ジイオグラフィック」で写真編集を手がけたり、これまでの人生を振り返った自伝などを書く日々だ。その1冊が「20世紀の瞬間」で、日本でも翻訳されている。そのほか政治活動も少し。日本とのかかわりが深く、有名な写真家W・ユージン・スミス(注3)の展覧会を開いたりしている。 
 
──最後に、日本の将来の写真家にメッセージを 
 
 撮り続けよ、だが、撮る前に考えよ!(Keep shooting but think before you shoot!) 
 
 
(注1)アンリ・カルチエ・ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デービッド・シーモア、ロバート・キャパの4人の歴史的写真家によって47年に設立された。会員出資で運営される世界最高の写真集団といわれている。 
 
(注2)「最激戦地:コーン・テェン」で67年、ロバート・キャパ賞を受賞した「ライフ」カメラマン。 
 
(注3)太平洋戦争、高度成長期の日立、水俣などを世界に広めた写真家。日本でも有名な海外写真家の1人。78年、心臓発作により死亡。 


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