2004年06月18日22時57分掲載  無料記事
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タイ軍事政権の首班、タノム元首相が死去

  【バンコク18日=福井厚志】かつてのタイ軍事政権指導者として10年余り政権を担っていたタノム・キティカチョン元首相が16日夜、心臓病のためバンコクの病院で亡くなった。92歳だった。 
 
 タノム元首相は1911年8月11日、ターク県生まれ。専制君主制を廃止した32年の「立憲革命」をタイ陸軍士官学校在学中に経験。卒業後は陸軍将校、副司令官を経て57年、当時のサリット首相の下で国防相に就任した。 
 
 58年、当時の与党の人民党に推されて首相に就任したが、わずか9ヶ月でサリット氏に首相職を譲り、副首相として内閣を支えた。63年12月、サリット首相の死に伴い首相に再度昇格。2度目の組閣では国防相を兼務し、陸海空3軍の最高統帥者として軍事政権の指導体制を強固なものにした。 
 
 71年の第3次内閣では軍事クーデターをでっち上げて全権を掌握しようとしたり、憲法を無効にするなどしたため国民の非難を浴びた。72年に国会を解散、総選挙で再び首相に推挙されると批判はさらに高まった。 
 
 タノム氏の一族が私福を肥やしているとの噂が流れ、これを聞いた国立タマサート大学の学生から始まったタノム政権打倒の市民運動は73年10月14日、バンコクの王宮前広場一帯に数十万人の市民が集まって限界点に達した。タノム氏は陸軍に弾圧を指示、多数の死傷者が出た。「10.14民主化運動」としてタイで語り継がれている大規模デモが3日間続いた末、タノム氏はプミポン国王から「民主化運動弾圧の責任を取れ」と宣告され辞任。一度は亡命した。 
 
 しかし76年10月、タノム氏は仏教僧を装って秘密裏に帰国。それを聞いた市民が抗議行動に出たためタイ陸軍は再び弾圧に乗り出し、死傷者が出た。その結果、タノム氏は亡くなるまでの4半世紀に渡ってタイ政治の表舞台から完全に姿を消していた。 
 
 タイではタノム元首相の業績について深く追及することを避ける傾向にあるため、本人の死で軍事政権時代の功罪に対する評価は永久に封印されることになりそうだ。 
 
 プミポン国王は元首相の訃報を受け、使者を病院に派遣。納棺前に遺体を洗う儀式に使う水を差し向けた。 


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