2004年12月21日18時59分掲載  無料記事
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「醍醐味は、読者の期待を裏切ること」 英のベテラン政治風刺画家

英国の新聞に政治風刺画が常時掲載されるようになったのは19世紀末。時の政治家を鋭くかつユーモラスに批判する風刺画はそれぞれの新聞の政治的信条を補足する役目を持っていたが、50年近くのキャリアを持つ英風刺画家ニック・ガーランド氏は、保守系高級紙デーリー・テレグラフで長年働きながらも、「自分はどちらかというと左寄り」とし、あえて読者の期待をいい意味で裏切る風刺画を描くことに「刺激を感じる」と話す。(ロンドン=小林恭子) 
 
 テレグラフ編集室のガーランド氏専用の小部屋には、2,3の机といくつもの本棚がある。どの机の上も大小の筆ブラシが入った鉛筆立て、消しゴム、クリップ、風刺画の原画、雑誌、新聞 などがところ狭しと置かれ、開いているスペースはほとんどない。床にも古い雑誌、本、白い紙の束などが詰まれ、足の踏み場を探すのが難しい。 
 
 訪問当日、小部屋が格別に窮屈に感じられたのは、南アフリカ共和国からの若い政治風刺画家5人と左派系高級紙ガーディアンの政治風刺画家スティーブン・ベル氏が訪れていたからだ。 
 
南アフリカに新政権が樹立してから今年で10年目。これを記念してブリティッシュ・カウンシルなどの英団体が英国と南アフリカの各5人の風刺画家をそれぞれの国に招待するプログラムを実施しており、20代後半から40代前半の南アフリカの若者たちが、このほど、英国の政治風刺画の「長老」からその仕事ぶりを聞く機会を持った。 
 
ガーランド氏は1935年生まれ。20年以上テレグラフ紙で働き、1986年、左派系のインディペンデント紙が創刊されたのと同時に、「新たな挑戦を求めて」、一時インディペンデントへ。数年働いた後、現在はテレグラフに戻ったという経歴を持つ。 
 
1960年代半ば、テレグラフで勤務を開始したときは、絵を描くことに興味はあっても、新聞の風刺画はどうあるべきか、何を描くのかなど、「完全に無知で、職場の仲間に一から教えてもらった」。 
 
ガーランド氏の一日は、「午前中は複数の新聞を読み、社内のあるいは社外の人と直接あるいは電話などで情報を交換し、実際に構想を練る方向に行くのは、午後になってから」。 
 
情報集めがガーランド氏の仕事の中でも非常に大きな役割を占めることは、1990年に出版されたインディペンデントに移るまでの1年間をつづった自著「ノット・メニー・デッド」でも詳細に語られている。この中で、ガーランド氏は社内外のジャーナリスト、秘書の女性、友人らに頻繁に電話をかけたり、コーヒー・カップを片手に話に熱中したりする。時には政権の行方をあるいはゴシップをネタにしながら、人物観察、論評で一日の大半を過ごす。 
 
こうしたおしゃべりや情報収集が風刺画を描く際の一種の助走として機能する、という。 
 
英国の高級紙(日本の朝刊紙にあたる)の政治風刺画は、論説面のトップとなる記事の上、あるいは隣の大きなスペースに登場する。時の政治家や政治の動きを容赦なく批判し、その新聞の「顔」としての役目も持つ。 
 
しかし、ある程度のベテランになると、新聞の特定の編集方針から独立して、自由に時事トピックを料理することが許されるようだ。 
 
デーリー・テレグラフは、野党保守党の「御用新聞」とも言われるほど、保守党に近いことで知られているが、ガーランド氏は「自分個人の政治的信条はどちらかというと左」。左派系のインディペンデントにいた時は、「自分の信条と新聞の政治スタンスとが似通っていたが、逆に刺激が少ないように思った」。 
 
現在は、保守党党首マイケル・ハワード氏をネタにした批判的な風刺画を描くこともタブーとしていない。どの新聞に描いているか、という点よりも、「その時その時で、最も話題になっているトピックを選び、いかに痛快な風刺画が描けるか」を作業の起点にしている。このため、保守党支持の新聞で働きながらも時によっては保守党批判をする現在の仕事を、ある面では読者の期待を裏切る「知的な刺激として」楽しんでいる。 
 
何を描くかは「100%自分で決め」、描いた風刺画を編集長から拒絶されたことは「ほとんどない」そうだが、拒絶されない「奥のテクニックの一つ」として、午後8時の早版の締切時間の「ぎりぎりに出す」と述べ、聞いていた南アフリカの風刺画家たちは思わずにやりとする場面も。 
 
 一方、ガーディアンの政治風刺画家ベル氏も「何を描くかは、編集長からの指示によるのではなくて、自分がすべて決める」。 
 
  1981年からガーディアンで風刺画を描いているベル氏だが、一度だけ作品が没になったことがあった。1990年代初期、当時の英首相ジョン・メージャー氏を人の排泄物として描いた時だ。しかし、政治的に問題がある、とされたためでなく、「趣味が悪い」と見なされたためだった。 
 
  ガーランド、ベル氏両者がやっかいなトピックの一つとしてあげたのは、中東和平問題だ。ベル氏によると、このトピックは「面倒なことが起きやすい」と事前に編集部内で警告を受けていたため、「積極的に描こうとするネタの一つにはなっていない」。しかし、一度このトピックを扱った風刺画が掲載された後で、「すぐにイスラエル側のロビー団体が飛びついた」という。 
 
 「中東和平問題に関しての風刺画を描くと、必ずといっていいほど、まともな議論はどこかにいってしまう。イスラエルあるいはパレスチナのどちらかの団体から、『お前は嘘をついている』といった手紙やメールがどんどんくる。描く前に予想できてしまう」 
 
 目玉をぎょろりとさせた元英首相サッチャー氏の似顔絵はベル氏の風刺画に登場するイメージの中でも最も知られたものの一つだ。時の保守党政権を徹底的に戯画化したベル氏は、ブレア首相の労働党政権をネタにする際も、その厳しい手を緩めることはない。 
 
 一方、ガーランド氏は、戯画化されたイメージが国民の間ばかりか政府風刺画家自身の中でも定着した結果、実物とイメージのとのギャップに驚いた経験を持つ。 
 
 「いかにも若々しい好青年という雰囲気のブレア氏が首相になったのは1997年だった。自分としては、『青年ブレア』というイメージでずっと筆を取ってきたが、最近テレビでじっくり見てみると、白髪が出てきて、疲れきった、年を取った中年の男性になっていた。一瞬、そのあまりの変りぶり、ギャップに胸をつかれた」と言う。「しかし白髪が入り混じったブレア氏をそのまま描いても、ブレア首相には見えないのが難点だ」 
 
 南アフリカの5人の風刺画家たちはガーディアンに活動のベースを置いて、2週間のプログラム期間中、ベル氏の仕事ぶりを見学し、国会、他の新聞社などを訪ねていた。 
 
 5人の中の1人でメール・アンド・ガーディアン紙の風刺画家ジョン・グラント・カーティス氏は「今回の訪英では技術的な面で多くを学んだ」と語った。英国と南アフリカを比較すると、「南アフリカの政治風刺画の歴史は浅く、さまざまな風刺画を楽しむ中産階級がまだ十分に育っていないのを残念に感じた」。 
 
▼独立性は過去50年のこと 
 
 英政治風刺画協会の創立者で風刺画の歴史を研究するティム・ベンソン氏によると、長い歴史の中で、ガーランド氏やベル氏のように風刺画家たちが自分たちの表現行為に大きな自由を持つようになったのは、50年ほど前のことに過ぎないという。 
 
 1927年、ニュージーランド生まれの風刺画家デビッド・ロー氏がロンドンのイブニング・スタンダード紙に雇われた。ロー氏は、雇用契約書の中で、風刺画家としての自分に完全な表現の自由を保障することを明記させた。しかし、実質的にロー氏が大きな表現の自由を手にしたのは1953年にガーディアンに移ってからだった。 
 
 ベンソン氏によれば、ガーランド氏やベル氏は表現の自由という観点からは「むしろ例外」で、現在でも編集方針をなぞる風刺画が期待される場合が多い、という。「半年前、タブロイド紙『サン』の風刺画家が辞職したのは、編集長に労働党支持という編集方針に沿った風刺画を描くように細かい注文があり、嫌気がさしたと言われているのが一例だ」 
 
 また、かつてラジオやテレビがない時代、人々は新聞を読むことで何が起きているかを知ったので、新聞自体および新聞の政治風刺画の影響力は今と比べてはるかに大きかった。「現在はインターネットもあり、新聞の発行部数は落ち続けている。新聞のパワーは弱くなっており、それにつれて政治風刺画の影響力も落ちていると思う」 
 
 1930年代、風刺画家ロー氏は、時の政府のヒットラー融和策を批判し、「この問題に人々の関心を集めることができた」。しかし、「政治風刺画が人々の意見を変えることができるとは思わない。残念だが」。 
 
▼人気のバロメーター 
 
 風刺画に描かれた方の政治家たちはどう受け止めているのだろうか。 
 
 容姿を誇張して描く風刺画では、どんな人も格好良くは描かれない。しかし、元労働党副党首で入閣経験もあるロイ・ハタースリー氏は、風刺画は自分が推奨した政策が人々にどう評価されているかを判断する際に役立った、と述べている。 
 
 ガーランド、ベル両氏の風刺画の「大ファン」というハタースリー氏は、2001年、左派系週刊誌「ニュー・ステーツマン」に寄稿した記事の中で、「自分の口元の左下にあるいぼが異様に大きく、醜いほどに太った体型で描かれていたら、自分の政策が国民に人気がないのだな、と判断し、いぼが消え、体も太っては いるが醜くはないように描かれていたら、政策が好まれているのだなと解釈できた」とし、風刺画は一種のバロメーターだったと述べている。 


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