2005年05月01日11時12分掲載  無料記事
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「平和憲法」試練の時 いまこそ国民の真剣な論議を

 戦後60年目の憲法記念日を前に、「九条改正」論議が盛んになっている。自民党は改憲試案の要綱をまとめ、衆院憲法調査会の最終報告書案が明らかになった。メディアの一部からも「改正」の進軍ラッパが聞こえる。ジャーナリストの池田龍夫氏は、『新聞通信調査会報』5月号の「プレスウォッチング」欄で、改憲論議の経過と問題点を考察し、拙速「改憲」を許さないよう、国民が「国の基本法」を真剣に論じることを訴えている。(池田龍夫) 
 
 60年前の4月1日、米軍が沖縄本島に上陸、80余日の死闘の果て6月23日沖縄は陥落した。事実上の日本敗戦──しかし、あの忌まわしい戦争を想うどころか、「九条改正」の進軍ラッパが気掛かりな昨今である。敗戦2年後(1947年)の5月3日施行された「平和憲法」の高揚感とは対極的に、いま「改憲」の声が居丈高に迫ってくるのだ。 
 
 「憲法九条ができた時に、南原繁さん(元東大学長)が若い研究者に『これは、日本国民にとっては過大な負担だな。これを維持していくための倫理性、道徳性を日本国民が持っているとは思えない。あなたたちの時代がきちんとすることによってそれを維持していかなくてはいけないんだ』と言ったというけど、まさにその通りです」と、憲法学者・樋口陽一氏が雑誌の鼎談で語っていたことが脳裏に焼きついている。十五年戦争の廃墟から復興に立ち上がった日本が半世紀以上も他国と戦火を交えず、平和を守り続けてきたことを、私たちはもっと誇りに思うべきである。 
 
▼「自衛軍」明記した自民党改憲試案 
 
 湾岸戦争〜アフガン戦争〜イラク戦争の軌跡をたどると、「改憲」へ向けての社会風潮が醸成されてきたことは明らかだ。2000年1月、衆参両院に憲法調査会が発足。自民党は結党50年の今秋を目指して憲法改正案作成のヤマ場にさしかかった。政府・自民党の画策に引きずられるように、公明党は「加憲」、民主党は「創憲」を謳い文句に独自案の検討を進めている。 
 
 「2003年9月、訪米した衆院憲法調査会の中山太郎会長を前に、知日派のアーミテージ米国務副長官は自ら著した対日戦略文書『アーミテージ・リポート』(00年10月)の一節を読み上げた。 
 
 『日本の集団的自衛権の禁止は米国にとって束縛だ。この禁止を取り払えばもっと密接で有効な安保同盟となる』。アーミテージ氏は『私が一番誇らしく思う部分だ』と付け加えた。日本政府は『わが国は集団的自衛権(他国が武力攻撃を受けた場合、被攻撃国を助け、共同して防衛に当たる権利)を保有するが、憲法の制約により行使できない』という解釈をとっている。アーミテージ氏の発言は日本への改憲圧力だったわけだが、その日本で実は活発な改憲論議が進んでいる」(毎日04年4月26日朝刊)との記事は、改憲を日本側に迫る米安全保障政策の本音を物語るものだ。 
 
 自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は4月4日、改憲試案の要綱をまとめた。最大の焦点である<安全保障及び非常事態>では、「[1]戦後日本の平和国家としての国際的信頼と実績を高く評価し、わが国の平和主義の原則が不変のものであることを盛り込む」と記しているから、「憲法九条1項」の平和主義条項を踏襲するとみていいが、次の「[2]自衛のために自衛軍を保持する。自衛軍は国際の平和と安定に寄与することができる」との文言は、「九条2項」(『前項の目的を達するため、陸海空軍の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』)の全面改正を狙った内容。「自衛隊」を「自衛軍」に改め、国際貢献を明記した点がポイントである。 
 
 しかし「集団的自衛権」行使について触れていない点からみて、この難題の明文化は避け憲法解釈で切り抜ける意図のようだ。 
 
 いずれにせよ、安全保障などテーマ別小委員会の論議は一本化できず、歯切れ悪い要綱となった。与謝野馨・政調会長(起草委事務総長)が「諸般の事情で4月中の条文化をしない」と先送りしたのは、自民党内ですら憲法観が四分五裂の状況を収拾できなったためだ。それでも、改憲案を「結党50年」の目玉にしようと焦っているとは…。「何が何でも自衛隊を『軍隊』と位置づけたい」との魂胆が透けて見える。 
 
 一方、衆院憲法調査会の「最終報告書案」が3月28日明らかになった。5年間の議論を集約したもので、各党間の最終調整を経て決定されるが、両論併記が多い苦渋の報告書との印象である。 
 
 焦点の「九条」については「戦争放棄の理念を掲げる九条1項を堅持し、平和主義を維持すべきであるとする意見が多く述べられた」との記述。このあと、「自衛権の行使であっても武力の行使は認められないとする意見もあったが、武力の行使を求める意見が多く述べられた」と記し、曖昧ながら2項改正を示唆している。 
 
 自衛権と自衛隊についてはabcd四通りの意見を列記し、「上記のように意見は分かれているが、自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置をとることを否定しない意見が多く述べられた」と結んでいる。改憲を志向している自民党委員が明文化を迫る場面もあったようだが、憲法調査会規定第一条「憲法調査会は、日本国憲法について総合的に調査を行うものとする」との規定に照らせば、このような報告書案になるのは止むを得なかったろう。 
 
 この点、2月24日の同委員会「全体を通しての締め括り」論議での土井たか子委員(社民)の発言に共感した。「最終報告書では、日本国憲法の役割や評価、あるいは憲法に則した運用がなされていたかどうかについてまとめていくべきであり、改憲ありきとすべきではない。違憲の事実を積み重ねている中で、現実に合わせて憲法を変えようとすることは許されない。国会議員には憲法尊重擁護義務(九九条)があるという自覚が促されている」との指摘には、誰も反論できまい。 
 
 衆院憲法調査会は50人の委員で構成されているが、自民26・民主18・公明4に対し、共産・社民は各1となっている。議事録を検索し一部を読む限りでは、熱っぽい議論が交わされていたことを多とするものの、国政選挙の党派別得票数から見ても極端な委員数の差に驚き、「少数意見の反映は望み薄か」と、心配になってきた。 
 
▼「平和の哲学」を保持した国際貢献を 
 
 産経は「自民党新綱領、作文政治に終わらせるな」(3・31主張)と改憲にハッパをかけ、讀賣も「政治に『改正』を促す国民意識」(4・8社説)と題し「戦後60年、国民意識も政治の動きも時代は新憲法へ大きく前進している」と主張するが、「初めに改憲ありき」の思い込みが恐ろしい。 
 
 「近代国家の憲法は、個人の自由と権利を促進するために国家権力をしばるルールとして生まれてきた。これに対して自民党の改憲案は、多数者の側、国家の側から統治しやすいルールを織り込みたいという立場が色濃い。……自衛隊を自衛軍にするという提案には賛成できない」との批判(朝日4・5論説)に、確かな視点を感じる。 
 
 「自衛隊は外見上軍隊そのものだが、九条の三点セットによって『自衛のための必要最小限度の実力組織』にとどめられ、外国の軍隊とは決定的に違う。自衛隊を軍隊と呼ばない理由だが、仮に軍隊になれば『敵を追いつめて、敵本国も全部やっつけてしまう』(政府答弁)ような交戦権の容認につながり、専守防衛の基本方針も崩れかねない」との疑念(毎日4・8朝刊)はもっともで、一部改憲勢力による日本軍復活の意図を警戒し、周辺諸国への影響も配慮せねばならない重大問題である。 
 
 2004年5月の憲法調査会・中央公聴会で、猪口邦子・上智大教授は「九条1項で『国権の発動たる戦争放棄』を掲げたこと、2項で『陸海空軍その他の戦力は保持しない』としたことは、国際社会で特別の評価を獲得している。日本は軍縮、核不拡散、人道支援で工夫ある貢献を行っていくべきだ。具体的実施を実力組織に依存する場合、九条の平和への哲学を保持しつつ実行できることは多い」と公述。 
 
 船曳建夫・東大教授は「日本はこれまで武力不行使、戦力不保持、交戦権否定と言いながら、自衛隊は持ち、自衛権はあるだろうという苦しい議論をしてきた。この60年の積み重ねが財産だ。世界は日本の考えに近づいてきている。日本は九条を論理的に苦しいまま、しかし、明らかに未来を指し示すものとして保持し続ける方が得策だ。戦争放棄の縛りが国益を損なうとは思えない」と語っていた。 
 
 「九条」に絞って改憲論議の経過や当面の問題点を考察してきたが、意見集約の道のりは険しい。井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の知識人9人の呼びかけで「九条の会」が昨年夏発足、「九条・映画人の会」など業種別・地域別組織が、市民レベルでの憲法論議を活発に展開していることを付言しておきたい。 
 
 「国の基本法」を真剣に論じることは国民の権利であり、義務でもある。政治的思惑を秘めた拙速「改憲」を許してはならない。(いけだ・たつお=ジャーナリスト) 


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