2005年05月14日01時01分掲載
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コロンブスの遺骨どっちが本物? ドミニカは協力に消極的
1492年にアメリカ大陸を発見したコロンブスの遺骨が、カリブ海の島ドミニカ共和国の記念碑に収納されている。しかし、この遺骨が本当にコロンブスのものかははっきりしていない。スペイン人科学者チームが、2年前からドミニカ政府に対して遺骨のDNA鑑定を要請しているが、同国政府は拒否している。遺骨が収納されている記念碑は、ドミニカの観光名所になっており、目玉商品の遺骨が、仮にも科学的検査でコロンブスのものでないと認定されたら、一大事だとの思惑もあるようだ。(ベリタ通信=エレナ吉村)
コロンブスはスペインのイサベラ女王らの資金援助を得て、日本経由で中国に到達する目的で船3隻を使い、航海に出発した。大海原の大西洋を苦労して航海した後、バハマ諸島に到着、その後カリブ海に面するエスパニョーラ島にたどり着いた。同島は現在、東側がドミニカ共和国、西がハイチになっている。
コロンブスの記念碑は、首都サントドミンゴにある。東西と南北方向に、要塞のようなコンクリートの建物が作られ、建物の高さは14メートルもある。中にコロンブスの遺骨が置かれているという。夜には上空に向かって、ここから光線ビームが発射され、海を航海する客船にとっては「灯台」にもなる。観光名所になっており、学校の児童の遠足や、観光客が多数訪れている。
問題は、この遺骨が本物かどうかだ。米紙ロサンゼルス・タイムズによると、コロンブスは1506年5月20日にスペイン北西部のバリャドリードで死んだ。彼の遺骨は、スペイン南西部のセビリャにも納められているので、どちらかが偽物の可能性もある。
2003年6月、スペインの法医学専門家チームが、コロンブスのDNA鑑定を許可され、遺骨の置かれているセビリャで調査を始めた。同時にドミニカ政府に対し、記念碑にある遺骨の調査を許可するよう要請した。スペインでは、コロンブスの遺骨を、同専門家らが入手したコロンブスの長男ディエゴの遺骨と比べ、DNAが合致するかを調べたが、結論は出なかった。
このため、法医学専門家はドミニカ政府に再度調査を要請。同政府はいったん調査を許可したが、その後ドミニカで2004年に新大統領が就任し、旧政権下での約束を反故にしてしまった。
▽コロンブスの遺言
なぜコロンブスの遺骨がスペインとドミニカにあるのだろうか。ドミニカにコロンブスの遺骨があったことは事実とされる。簡単に経緯を説明すると、コロンブスは、生前に残した遺書の中で、ドミニカにあるエスパニョーラ島に埋葬されることを望んでいた。しかし、当時は偉大な名士を、未開の同島に埋葬する雰囲気ではなかった。
ところが、1537年にコロンブスの長男ディエゴの未亡人マリア・デ・トレドが、ディエゴとコロンブスの遺骨を持って海を越え、ドミニカに到着。ドミニカに完成したばかりの大聖堂に納めたという。
しかし、仏西戦争で1795年にフランスがエスパニョーラ島全島を占領することになり、スペイン政府は、コロンブスの遺骨をキューバのハバナにあわてて移した。ドミニカ政府によると、この時、スペイン政府は間違った遺骨を持ち出したという。
このドミニカ政府の話が本当はどうかは不明だ。ともかく、その後米西戦争が起き、スペイン支配のキューバも1898年に独立したため、スペイン政府は、遺骨をスペイン南西部のセビリャに戻した。
ドミニカのコロンブス記念碑の責任者アンディー・ミエセス氏は、ドミニカが保有しているのは本物であり、これ以上調べるのは不必要と話している。
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