2005年06月13日02時44分掲載
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会社員、実はアフリカの“プリンス”だった 生みの親探しで意外なルーツ事実
米国で住宅融資関係の仕事をしているマーティー・ジョンソンさんは、40歳近くになるまで、自分の出生のルーツを知らなかった。4歳の時、養子として引き取られたことは、養い親から聞いて知っていたが、生みの親については皆目見当がつかなかった。しかし、長い空白を経て、生みの親を探しあてることができた。実の両親は、アフリカのナイジェリア人青年と米国人女性だった。次にもたらされた情報にジョンソンさんは驚いた。自分がアフリカの名門につながる血筋と聞いたからだ。(ベリタ通信=有馬洋行)
米誌「GQ」によると、ジョンソンさんの父親は60年初めに、アイオア州立教育大学(当時)大学院にアルジェリアから留学に来ていた。その際知り合った米国人女性キャサリーンさんと恋に落ち、女性は妊娠した。当時、アフリカ人男性と白人女性との恋愛は、好奇の目で見られた。
ジョンソンさんの父親は、彼女の母親から、二人の関係を絶つことが最善の道といわれ、彼女に会えないまま、卒業後帰国した。その後1964年4月にジョンソンさんが誕生したが、キャサリーンさんは、ジョンソンさんを里親に出した。
実際のところ、ジョンソンさんは、実の親のことを知る必要はなかった。育ての親は親切で、なんら不満はなかった。生みの親を探すことは、養い親に対する裏切りにもなると思った。しかし、自分も結婚し、二人の子どもからも実の両親を探してみたらと後押しされた。
その矢先の2001年2月、ジョンソンさんは意外な情報を知る。キャサリーンさんが、ジョンソンさんを養子として送り出した施設に、ジョンソンさんと連絡を取りたいと接触していたのだ。簡単なEメールのやり取りの後、二人は電話で話した。キャサリーンさんは、2人の娘と4人の孫を持つ身になっていた。その時、父親の名前も告げられた。
▽涙の対面
その後、大学のインターネットの掲示板を通じて父親の情報について協力を呼び掛けた。その結果、運良く、父親の消息がわかった。既に70歳近くになっていた。実は父親は、アルジェリアのアボ村の名門の家柄で、ジョンソンさんは、たまたまアルジェリアから米国を訪れていた父親の親戚から「あなたはアボ村のプリンス」と言われ、びっくり。
ジョンソンさんは、会社仲間のカンパを受け、昨年ナイジェリアを訪問。父親と涙の対面をした。地元の名士の息子が「米国人」ということも話題を呼び、連日のように歓迎の宴が持たれた。父親は米国から帰国後、ビアフラ内戦が起きたが、苦難の時代を生きのびていた。現在は村の長として活躍中。6人の子どもがいる。
ジョンソンさんは身長193センチ、体重125キロの大男だが、これはナイジェリアの祖母の遺伝という。祖母の系列には、アメリカンフットボールの選手のような体格を持つものが多い。
ジョンソンさんは今、アボ村と米国を結ぶ輸出入関係の仕事をすることを考えている。アボ村で作られた彫刻は地元では4ドルだが、米国では75ドルで売れる。父親もジョンソンさんも過去のことを話す必要はないと感じている。なぜなら、すべてが今、始まったばかりだからだ。
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