2005年06月30日14時53分掲載
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鄭和の南洋遠征600周年を記念し「鄭和文化村展」開催 シンガポールで
【クアラルンプール30日=和田等】中国・明朝時代に鄭和(チェンホー)将軍(1371年〜1434年)が行なった南洋遠征600周年を記念するイベントのひとつとして、シンガポールで「鄭和文化村展」が7月1日に開幕する。6月30日夜にはシンガポールのジョージ・ヨー外相らが出席して、前夜祭・開幕式が行われる。
シンガポールの華字紙・聯合早報(29日付)などによると、7月10日まで開催される「鄭和文化村展」にはシンガポールをはじめ、マレーシア、インドネシア、中国、インド、イラン、ケニアの鄭和とゆかりのある7カ国が参加し、鄭和が航海した600年前の各国の生活風景を再現する。
中でも中国が一番大きなスペースをとり、鄭和の生まれ故郷・雲南省昆明と第1次南洋遠征(1405年)の出発地となった蘇州、遠征隊の船が造られた南京の3地方の生活文化を伝える展示物を公開する。飲食物や民芸品を販売するコーナーも設置され、歌や踊りを披露するショータイムも設けられる。
入場料は無料。一般公開は月〜木曜日が正午から午後9時まで、金・土・日曜日が午前10時〜午後10時まで。
▽鄭和「大航海のパイオニア」
元の時代だった1371年に生まれた鄭和は、永楽2年(1405年)から宣徳8年(1433年)まで大艦隊を率いて7回の南洋遠征を行なったことで知られる「海洋冒険家」。鄭和の率いた大艦隊は東南アジアからインド洋、ペルシャ湾に至り、一部はアフリカ東岸にまで達した。この航海により南洋諸国の対明朝貢、貿易交流が盛んとなった。
特に、永楽帝の命を受けて実施した第1回目(1405年)の南洋遠征は、船団62隻、乗組員2万7800人の大艦隊を率いてたとして記録に残っている。中国では、この第1次南洋遠征から600年を迎えるのを記念して大型写真集「鄭和史詩」が出版されたほか、鄭和の故郷・雲南省晋寧県では、2300万元(約3億円)をかけて鄭和の名を冠した公園の大改修工事を実施するなど、南洋遠征600周年を記念する各種行事や事業が行なわれている。シンガポールでの「鄭和文化村展」もその一環。
世界の海を航海をした先駆者的存在としては、バスコ・ダ・ガマやコロンブスが有名だが、鄭和はその2人よりも前に、ヨーロッパの大航海時代に70年ほど先んじて世界30カ国にも及ぶとされる大航海に乗り出していた。
さらに驚くのは鄭和の率いた艦隊の規模である。第1次航海に出た時の宝船(ほうせん)は全長173メートル、幅56メートルという巨艦。この船は現在の500トン級船舶に相当するという。バスコ・ダ・ガマの船団は120トン級が3隻、総乗組員は170人、コロンブスの船団は250トン級が3隻、総乗組員は88人だった。鄭和の艦隊がいかに大規模だったかが分かる。
また鄭和の履歴でユニークなのはイスラム教徒だったことと、12歳の時に明軍に捕まえられた後、去勢され宦官にされたことである。
しかし、その才知が永楽帝の目にとまり、鄭和は異例の出世を遂げる。イスラム教徒だったことも幸運に作用した。鄭和がイスラム教徒の出身だったことが、後に永楽帝が鄭和を航海の長として使おうと考えた理由のひとつなったと考えられるからである。
鄭和が大航海に乗り出した背景には、中国艦隊が南シナ海やインド洋における海上覇権を樹立することによって諸国の朝貢を促し、宮廷で使用される海外の奢侈品を入手するという明朝の経済的な狙いがあったと考えられる。
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