2005年09月21日17時08分掲載  無料記事
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ケネディ家の悲劇を越えて、一族の女性が回想録出版

 1999年夏、米ABC放送の女性記者キャロル・ラジヴィルさんは、悲しみのどん底に突き落とされた。ケネディ元大統領の甥と結婚し、華麗なるケネディ一族の一員となっていたキャロルさんにとって、その年の夏の出来事は、ショックの連続だった。7月にはケネディ元大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・Jrが墜落死し、8月には最愛の夫アンソニー(享年40歳)ががんで亡くなったからだ。絶望と孤独にさいなまされた日々。しかし彼女は立ち直り、今は力強く生きていく決意をしている。(ベリタ通信=有馬洋行) 
 
 99年7月16日、米マサチューセッツ州の保養地マーサスビニヤードにあるジョンの別荘で、キャロルさんは、ジョンらの帰宅を待っていた。この別荘で落ち合う予定だった。しかし、ジョンの乗ったセスナ機は、マーサスビニヤード沖で墜落、妻キャロリン、その妹ローレンの計3人が死亡した。 
 
 ジョンの妻キャロリンとは、子どもの頃からの知り合い。米コネチカット州では、家は近所だった。キャロルさんの夫アンソニーは、いとこのジョンとは大の仲良し。それだけに悲しみはひとしおだった。 
 
 夫のアンソニーさんはABC放送の重役。キャロルさんは、人気キャスターのピーター・ジェニングス氏(故人)や女性人気キャスター、ダイヤン・ソーヤーさんらと仕事をしていたが、アンソニーさんと知り合い、94年結婚した。しかし、繊維肉腫というがんに冒され、入退院を繰り返した。 
 
 アンソニーさんは生前、容体が悪化する時もあったが、ある日、ジョンが、タキシード姿で何かの会場から訪れ、病室のアンソニーさんを見舞ったこともある。彼の手を握り、元気をつけるために「クマのピクニック」という童謡を歌って聞かせたこともある。 
 
 その夫も、ジョンの死後、3週間後に息を引き取った。ベッドの傍らで夫の最期を看取った。夫の心臓の鼓動に耳を傾けた。鼓動が段々と小さくなっていくの感じた。そして鼓動は聞こえなくなった。呆然と立ち尽くす彼女の顔を伝って涙が筋となって流れ落ちた。 
 
▽アフガニスタン取材が転機に 
 
 米誌グラマーの中で、キャロルさんは、一人残された不安や悲しみをこう表現している。 
 
 「自分の肺、胸、心臓に耐えられない重さを感じる。まるで鉛の服を着ているようだった」 
 
 ABC放送の職を辞め、小さなアパートに引っ越した。友人たちと会うときは、思いっきりおしゃれをし、快活に振舞ったが、心の中は、惨めだった。 
 
 しかし、2002年4月、転機が訪れた。ABCの依頼で、アフガニスタン戦争の体験取材を引き受けた。若い兵士たちとの交流。彼らもまた、結婚の失敗や、貧困の問題、失望といった悩みを抱えていた。アフガニスタンで夜空を見上げながら、夫たちの死後初めて彼らなしでも生きていこう、との気持ちがわき上がった。 
 
 キャロルさんは、ジョンや夫アンソニーらとの思い出を綴った回想録「何が残ったのか」(仮題)を執筆した。出版に当たっては、ケネディ一族から身内の話を書くことに違和感を覚える声も上がったという。 


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