2005年11月05日14時30分掲載  無料記事
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<ハナ!>を合言葉に祖国統一と東アジアの平和を 在日コリアンと日本人が「ワンコリアフェスティバル」

 在日コリアンが一緒になって祖国の南北統一をめざそう、と呼びかける「ワンコリアフェスティバル2005 ハナ」が10月30日、大阪城公園「太陽の広場」で行われた。「ハナ」とは「一つ」を意味する韓国語。約5万人(主催者発表)の参加者はコリアンと日本人が半々くらいで、「ハナ」を合言葉に歌や踊りを楽しみながら、市民の連帯で日本もふくめた東アジアの平和共同体の実現をめざそうという熱気につつまれた。(森類臣・ベリタ通信) 
 
▽21回目を迎え最大の盛り上がり 
 
 フェスティバルは1985年以降、東京と大阪でほぼ交互に毎年行われてきた。21回目の今年は過去最大の参加者となった。 
 
 私は、午前9時にJR大阪城公園駅で降りた。実行委員と思われる何人かがポスターを持って、韓国語でワイワイしながら公園の入り口で準備している。太陽の広場に着くと、オレンジ色が慌しく動いている。スタッフだ。11時の開催を目前に、皆最後の詰めに慌しく動いているのだ。熱気がこちらまで伝わってワクワクしてくる。心が躍る。 
 
 まず本部にいって、実行委員長の鄭甲寿(チョン・カプス)さんにインタビューをした。 
鄭さんは「光復(日本の植民地支配からの解放)60周年になって、僕らが目指した未来の一部が実現しつつある」「南北統一はもう始まっている。これから長い過程が始まるかもしれないが、とにかく始まっている」「いままではゲリラ的にやってきたが、今はコリアNGOセンターもできたし、これからは組織的にフェスティバルを盛り上げていく」「若い人たちには、主体性を持った上で、真の意味で国籍を乗り越えて、アジアのため世界のために頑張ってほしい」と熱っぽく語った。 
 
 鄭さんが繰り返していたのは、「東アジアの市民の連帯」ということだ。フェスティバルの副題は「アジアのHANA道を行く」だが、これは日本語の「花道」と掛けことばになっている。「東アジアの連帯」に結びつけて考えれば、それもうなずける。 
 
 鄭さんは、1954年に大阪市生野区猪飼野に生まれた在日コリアンの3世。立命館大学卒業後、プラスチック加工業を自営するかたわら、朝鮮半島南北統一や韓国民主化、人権擁護などの運動を進めてきた。85年、「解放」40周年を機に、新しい「統一」ビジョンの創造を目指す「8・15<40>民族・未来・創造フェスティバル」を創設。以後、毎年開催し(90年に「ワンコリアフェスティバル」と改称)、現在はイベントを超えた横断的な市民ネットワークに発展している。2004年には特定非営利活動法人「コリアNGOセンター」を設立、代表理事に就任した。 
 
 熱く語る鄭さんに、この人だったから今までフェスティバルが続けてこられたんだ、とこちらの胸も熱くなった。 
 
 鄭さんは、自著『<ワンコリア>風雲録 在日コリアンたちの挑戦』(岩波ブックレット、2005)のなかで、このフェスティバルを立ち上げた経緯について次のよう書いている。 
 
 <解放40周年の「8月15日」には、とにかく何かをしてみようと考えました。やる以上はこれまでにない画期的なものにしたい。どうせならまったく新しいことを始めたい、と思いました>。<本来統一とは、人々が幸せになれるような未来を目指すものであって、ならばもっと楽しく面白く語ることも、語るだけでなく歌ったり踊ったりすることも必要なのではないでしょうか。闘いにもいろいろあり、じつはそれも一つの闘い方であるとの思いがありました。闘っているように見えない闘い、統一の新しいイメージとの方法の表現、それが「ワンコリア」であり、「ワンコリアフェスティバル」だったのです>。 
 
 主催者側によると、フェスティバルの実行委員は約150人。世代としては、若い人が多い。韓国籍の在日コリアンがほとんどであるが、朝鮮籍(注)の在日コリアンや、朝鮮学校に通っている子どもたちの家族も、実行委員として名を連ねている。もちろん日本人スタッフもいる。男女比は、今年は、7:3で女性が多かったという。 
 
▽ここには国境はない 
 
 会場を歩いてみると、韓国料理を始めとした各国アジア料理の屋台が軒を連ねている。また、「東北アジア平和連帯」「ウトロ国際対策会議」などの有名なNGOのブースもあり、韓国の有名大学が「韓国留学フェアー」を行っている。どこもものすごい活気である。 
 
 あちらこちらで韓国語と日本語が飛び交っている。韓国人が日本語を喋り、日本人が韓国語を喋る。在日コリアンのお年寄りが、日本人のお年寄りと仲良くサムゲタン(韓国料理の一種)をつついている。ここには国境はないように思えた。 
 
 ある日本人参加者は「韓国の歴史的なことに興味がある。北朝鮮の日本人拉致は、不幸なことだったが、さかのぼれば、朝鮮半島の南北分断が大きな不幸の始まりだった。早く南北が統一してほしい」と語った。また、小学校の教師という日本人の参加者は「毎年参加しているが、今年が一番大きい。昔は、学校で朝鮮の歴史や文化を教えようとすると、保護者から反発もあったが、最近は給食にチジミなどの韓国料理が出るほど融和的だ。日本と朝鮮が国交を早く樹立して、不幸な過去を乗り越えて欲しい。最終的には朝鮮半島が一つになることを願う」と語った。 
 
 午後1時。ステージでは、「韓日友情のチャンチ(宴)」が始まった。主催は韓日友情の宴会組織委員会。垂れ幕には、「在日同胞の皆さん、長い間ご苦労様でした」「立派な未来を創って報いることを約束します」とある。 
 
 委員会の一人、李ブヨンさんは、「日本国民に言いたいことは一つ。私たちは一つにならなくてはならない。そして平和を望む」と宣言。そして「韓半島は一つになる。そして日本人も手伝ってほしい。もう恨みはしない。これから平和が訪れるように力を貸すこと。これが日本人がしなければならないことだ」と言うと、会場から拍手が沸いた。 
 
 また、委員長の李昌馥さんは「私たちは平和を望んでいる。日本は平和を壊そうとしていることを認識すべき」と言った。 
 
 開会式が終わると、委員会は、在日コリアンを中心に、サムゲタンを振る舞った。この食事会には、会場にいた65歳以上の日本人にも振舞われた。日本人にも振舞うところに、このチャンチの意味が垣間見えた。 
 
 その後、チャンチはコンサートへ突入。鄭泰春さん・朴恩玉さんによるデュエット。アコースティックギターの音色に乗って、透明感のある歌声が響く。民衆歌謡の歌い手として有名なソン・ビョンホさんは、会場と一緒に歌を歌う。ユ・ジンパクさんがエレキバイオリンでハチャトリアンの「剣の舞」を弾くと大盛り上がり。踊りながら弾くバイオリンは、コミカルで激しくて、聴衆の心を掴んだ。 
 
 司会が「最後は韓国の伝説的な歌手です」と紹介。安致環(アン・チファン)さんだ。ステージに立つと、会場は興奮のピークに。「ネガマニル(もし俺が…だったら)」「チョルマンアペソ(鉄条網の前で)」を歌ったところで、会場は最高潮へ。「サラミコッポダアルンダウォ(人は花より美しい)」を3曲目に歌ったが、その頃には踊りだす人もいるほど。アンコールで「ウリハッキョ(わが学校)」を歌い、会場は静かな感動に包まれた。 
 
▽「チャングムの誓い」も登場 
 
 小休止を挟んで、「ワンコリアフェスティバル2005」の舞台になった。 
 垂れ幕が、黒田征太郎さんがデザインした絵がプリントされたものに代わる。大きく「ハナ」と書いてある。実行委員長の鄭甲寿さんがあいさつをする。会場全体で「ハナ(一つ)!」と叫ぶ。 
 
 その後、KLミュージカルスクールによるミュージカル『宮女長今』が、在日コリアンの子どもたちによって行われた。在日コリアンの子どもたちで行われたこの歌劇は、『大長今(テヂャングム、邦題では「チャングムの誓い」)』のミュージカル版だ。ミュージカルが終わると、韓国ドラマ「チャングムの誓い」に「中宗王」役として出演している林虎(イム・ホ)さんもトークショーで出演した。髭を生やしていて渋く、男前だ。ミュージカルで出演した子どもたちの何人かが質問した。 
 
子ども:ドラマの中でいろいろ食べていましたが、一番おいしかったものは? 
林虎:味噌とニンニクを混ぜた料理かな。 
 
子ども:演じていて一番難しかったことは? 
林虎:食べることです。ドラマを見ているとおいしそうに食べているように見えるけれど、朝から何回も食べているので、結構つらいのです。 
 
子ども:林虎さんはカッコいいです。「マシックナ〜」(林虎演じる「中宗王」が、食べた後言う「おいしい」という決め台詞)と言って。 
林虎:ムシャムシャ…(食べる真似をしている)「マシックナ〜!」(会場、爆笑) 
 
 林虎さんは、司会の笑福亭銀瓶から「日本の俳優で共演したい人はいますか」と聞かれ、「竹中直人さん」と答えていた。 
 
 ワンコリアフェスティバルの合言葉は「ハナ!」だ。在日コリアンたちが「ハナ!」と叫び、韓国・朝鮮、そして日本を巻き込んでいく。歌と踊りにメッセージをこめて、東アジア共同体につなげていく。 
 
 私は帰路、朝鮮半島の統一を心より願った。そして、そのために自分にできることをや 
っていこうと誓った。 
 
*森記者のワンコリアフェスティバルの記事は、韓国のインターネット新聞オーマイニュースの英語版にも載っている。 
 
http://english.ohmynews.com/index.asp 
 
 
(注)「朝鮮籍」は「朝鮮民主主義人民共和国国籍」の国籍ではない。日本政府は「朝鮮籍」を国籍ではなく、一種の記号だとしている。朝鮮人は、日本帝国主義(以下、日帝)による植民地時代、いわゆる「内鮮一体」政策により「日本人」とされていた。しかし、戸籍上では「朝鮮戸籍」とされ、二等国民として差別されていた。その後、解放(日本の敗戦)を迎えると、サンフランシスコ講和条約(単独講和条約)により、一方的に日本国籍を剥奪された。 
 1965年、日韓基本条約が結ばれると、韓国国籍に変える朝鮮人も多くいたが、変えない朝鮮人もいた。その人たちは「朝鮮籍」なのである。現在に至るまで、日本と朝鮮民主主義人民共和国とは国交がないため、「朝鮮民主主義人民共和国国籍」は日本国内では法的には認められていない。よって「朝鮮籍」の人は、法的には「無国籍であるのに日本国内に居住している存在」ということになり、海外に出られない。海外に出る場合は、日本政府から特別に「再入国許可書」を発行してもらわなければならない。また、到着先の国でも、煩雑な手続きが待ち構えている。 
「朝鮮籍」の人は、このような状況において、非常に不安定で不便な存在にされているといえる。 


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