2005年12月21日10時48分掲載  無料記事
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異説・東アジアサミット 平和同盟結成への芽に期待と「仏教経済塾」の安原和雄氏

  マレーシアの首都クアラルンプールで12月14日に開かれた第1回東アジアサミット(首脳会議)は、将来の「東アジア共同体」結成へ向けての歴史的な第一歩だった。サミット宣言には、軍事同盟を排した「東アジア平和同盟」結成につながる芽があちこちに伏在している、と「仏教経済塾」の安原和雄氏は期待する。日中間の主導権争いに関心を集中させた日本のメディアとは異なり、仏教経済学という独自の視点に立った氏の分析を紹介する。(ベリタ通信) 
 
●異説・東アジアサミット 
         安原和雄 
 
 第1回東アジアサミット(首脳会議)が2005年12月14日マレーシアのクアラルンプールで開かれた。将来の「東アジア共同体」結成へ向けて歴史的な第一歩を踏み出したと評価できる。多難な道のりを歩むであろうことはいうまでもないが、焦点は、それが軍事同盟を排した「東アジア平和同盟」結成につながるかどうかであると考える。 
 私の印象では平和への芽があちこちに伏在しており、近未来にそれが具体化してくることを大いに期待したい。しかし一般メディアの報道をみるかぎり、そういう未来図はどこにも見いだせない。 
 以下は、仏教経済学という独自の視点に立って、今回のサミットの中に平和(=非核・非戦・非暴力)への展望を探ろうと試みる「異説・東アジアサミット」である。 
 
▽東アジアサミットの参加国と宣言 
 
東アジアサミットの参加国は東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10カ国(ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)プラス3カ国(日中韓)にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた16カ国。 
採択されたクアラルンプール宣言の中で特に重要と思うのは以下の3点である。 
 
(東南アジア友好協力条約の再確認) 
国連憲章の目的と諸原則、東南アジア友好協力条約及びその他の認識された国際法の諸原則に対する約束を再確認 
 
(共同体形成に重要な役割) 
東アジア首脳会議がこの地域における共同体の形成に重要な役割を果たし得るとの見方を共有 
 
(平和的共存) 
われわれの国々が互いにまた世界全体と共に、公正、民主的かつ調和的な環境の中で平和的に共存することを確保するための、政治及び安全保障上の問題についての戦略的対話の進展と協力の促進 
 
▽日中間の主導権争いが注目点なのか? 
 
今回の東アジアサミットを日本のメディアはどのような視点から伝えたのか。一口にいえば、日中間の主導権争いに重点を置きすぎたのではないか。一例をあげれば、次のようである。 
「12日のASEANプラス3首脳会議(注1)では、将来の共同体の枠組みをめぐって〈13カ国主導〉か、それとも域外国(注2)を加えた〈拡大路線〉かが焦点となった。13カ国にこだわったのが中国であり、一方、中国色を薄めるため拡大路線を支持したのが日本だった」 
 
日中間に意見、姿勢の違いがあることは事実である。問題はそれを望ましくないと見るのか、それとも相違点を浮き彫りにして、それを煽るのかである。この点では「協調点を見出すべきだ」という論調と、「中国に屈するな」とでもいいたげな偏狭なナショナリズムをかき立てるかのような論調とに2分された。 
メディアの間にも意見、主張の違いがあるのは自由な社会では当然であろう。しかしことはアジアの国造りと平和づくりにかかわっているのである。目先の感情論に走ることは厳に戒めなければならない。 
 
(注1)ASEANプラス3(日中韓)首脳会議が、14日の東アジアサミットに先立って12日に開かれ、「ASEANプラス3が東アジア共同体を達成するための主要な手段」、「ASEANが推進力となる」という宣言を採択した。ここでの「共同体を達成するための主要な手段」という表現と、東アジアサミット宣言の「共同体形成に重要な役割」という表現の違いが話題となった。 
「主要な手段」(the main vehicle)と「重要な役割」(a significant role)の違いが意味するものはなにか。それは東アジア共同体形成には「ASEANプラス3」が主役であり、一方の東アジアサミットは脇役であるという示唆であろう。 
(注2)域外国とはオーストラリア、ニュージーランド、インドの3カ国で、日本の主張によって東アジアサミットに新たにこの3カ国が加わったが、この拡大された東アジアサミットは東アジア共同体の形成には脇役としての地位に置かれた。 
 
▽サミット宣言のもう一つの読み方 
 
首脳会談や首脳会議が採択する共同声明や宣言をどう読むかはきわめて重要である。読み方によっては一般メディアの報道から受ける印象とはまるで異なるイメージが浮かび上がってくるからである。私は宣言全文(和文と英文)をインターネットを通じて取り寄せ、読んだ。その印象では、重要であるにもかかわらず、日本の一般メディアが見逃した点がいくつかある。2つのことを以下に指摘したい。 
 
(その1)東南アジア友好協力条約 
東南アジア友好協力条約(TAC=Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia)をご存じだろうか。この条約の名前はASEANプラス3首脳会議と東アジア首脳会議の双方の宣言に盛り込まれ、条約に基づく約束が再確認されている。にもかかわらず一般紙の報道では脱落している。なぜなのか。 
外務省がまとめた「宣言の骨子」をみると、やはり省略されている。一般紙にこの条約の名前が出てこないのは、外務省作成の骨子をほとんどそのまま報道したためではないかと推測する。私はすでに30年の歴史を持つこの条約の存在価値を再評価する必要があると考える。同条約の概要は以下の通りである。 
 
*ベトナム戦争終結の翌年、1976年2月インドネシアのバリ島で開かれたASEAN初の首脳会議でTACは締結された。 
*条約はアジア・アフリカ会議(注)で採択された平和10原則を基調にして、国連憲章と主権・領土保全の尊重、すべての国の対等・平等―などをうたっている。 
(注)1955年4月インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ諸国の会議で、日本を含む29カ国が参加した。反帝国主義、反植民地主義のもとに民族独立・人種平等・世界平和・友好協力などをうたった平和10原則を決議した。 
 
*現在TACの加盟国はASEAN10カ国のほかに日本、中国、韓国、ロシア、インドなど7カ国が加盟しており、加盟国の総人口は約34億人で、世界人口63億人の半分以上を占めている。 
 
以上から分かるように、TACは東南アジアにおける平和と友好を推進する上で重要な役割を担っており、そのことが首脳宣言で再確認された事実を軽視すると、今後の展望を誤ることにもなるだろう。ASEAN10カ国の注目すべき動きとして、97年に東南アジア非核兵器地帯条約に調印していることも挙げておきたい。 
 
(その2)平和的共存 
もう一つは東アジアサミットの宣言に「平和的共存」という文言が盛り込まれていることである。これはTACと違って、一般紙が報道した「サミット宣言要旨」に載っている。外務省作成の宣言骨子にも出ており、それをそのまま報道したからであろう。しかし問題はこれについてのコメント、解説の類は一般紙の報道では皆無に近いことである。 
さりげなくサミット宣言に盛り込まれたこの文言をもっと重視する必要があると私は考える。この部分の宣言文をもう一度紹介すると、次のようである。 
 
「われわれの国々が互いにまた世界全体と共に、公正、民主的かつ調和的な環境の中で平和的に共存することを確保する・・・」 
英文は次のようである。 
to ensure that our countries can live at peace with one another and with the world at large in a just, democratic and harmonious environment; 
 
私は「平和的共存」という文言から、日本国平和憲法前文に盛り込まれている「平和的生存権」(憲法学者の中には「平和的共存権」と理解すべきだという有力な意見もある)を連想した。自民党新憲法草案によると、前文の平和的生存権を全面削除することになっている。 
宣言案作成の舞台裏では様々な駆け引きが盛んであるのが、通例だが、それはさておき、自民党が投げ捨てた「平和的生存権」をASEAN諸国が「もったいない」と拾い上げ、その理念を継承発展させようと思案しているのではないかとさえ想像したくなる。 
念のため平和的生存権に関する平和憲法の和文と英文を引用すると、次のようである。 
 
和文「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」 
英文「We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.」 
 
英文の憲法前文では「live in peace」であるが、サミット宣言では「live at peace」であり、ここでのinとatの違いにそれほど大きな意味があるとは思えない。それはともかく、ここで指摘したいことは単なる「平和」という文言とわざわざ「平和的共存」とうたう文言ではその意味に大きな差があるという点である。 
 
▽「軍事力行使による平和」と「非核・非戦・非暴力の平和」 
 
一例を挙げれば、日米軍事同盟下で自衛隊の役割を拡大させ、日米安保の強化を図る米軍再編「中間報告」(05年10月29日発表)では新聞1ページ分の長文の中で「安全、平和、安定」という文言が掃いて捨てるほどあちこちに散りばめられているが、平和的共存という文言は顕微鏡で探しても見つからない。 
「中間報告」の平和は「軍事力行使による平和」であり、一方の平和的共存は「非戦・非暴力の平和」を意味している。今回のサミット宣言に「平和的共存」を織り込んだのは、将来の東アジア共同体結成に込める「非核・非戦・非暴力の平和」実現への希望と決意の表明であると理解したい。「日中間の主導権争い」という視点からはこういう展望を持つことは困難であろう。 
 
東アジアサミットをめぐる「対立の構図」をあえて描けば、それは「平和勢力派」対「軍事力派」の対立とはいえないか。中国が日米軍事同盟に対抗して、あるいは米国との覇権争いを意図して軍事力増強を進める愚策は自戒して貰いたい。軍事力重視の発想は急速に過去の遺物になりつつある。 
 
▽早くも始まった米国の横やり 
 
以上から今回のサミットの主要なテーマは、東アジアにおける平和的共存の枠組みづくりであり、その道筋がそれなりに明確にみえてくるのではないかと受け止めたい。ただ問題はこの平和的共存への道程に立ちはだかろうとしている勢力が存在していることである。それは日米安保・軍事同盟派である。東アジアサミットのメンバーから外された米国から反対の声が上がった。早くも始まった米国からの横やりというべきである。 
 
カート・キャンベル米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長(元国防次官補代理=アジア太平洋担当)は次のように述べた。(05年12月16日付朝日新聞) 
「米国が除外されていることに心配は増している。アジアでの多国間の重要な動きにはかかわっていくという政策の基本線を米国は持つべきだ。心配なのは、太平洋横断的ではなく、汎アジア主義的な動きが強まっていることだ」と。 
 
▽「世界の中の日米同盟」は孤立への道 
 
米国からの横やりは当然予想されるところだが、ここで考慮すべきことは「世界の中の日米同盟」を標榜する日米軍事同盟は世界で孤立への道を進みつつあるという一点である。第2次大戦後、米国は地球上に軍事同盟網を張りめぐらせてきたが、大勢は解体の方向に進んでいる。 
いまなお実質上機能しているのは、日米と米韓の2つの軍事同盟くらいである。日本の場合、軍事同盟下の在日米軍基地は、米国の覇権主義に基づく戦争の策動・支援・兵站基地としての機能を担っている。 
 
ブッシュ米大統領は最近、イラク戦争に関連して2つの失敗を認めた。1つは「イラク開戦以来、イラク人死者は3万人前後に達した」(12月12日の演説)であり、もう1つは、イラク開戦の理由となった大量破壊兵器について「イラクが保有しているという情報は誤りだった」(12月14日の演説)というものである。 
 
このような道理なき不当な戦争の基地として機能しているのが在日米軍基地であり、小泉政権はその戦争を積極的に支援している。日米軍事同盟が世界から見離されていくのは当然であろう。 
 
▽安保解体、地球救援隊、東アジア平和同盟 
 
仏教経済学の立場から、なぜ東アジアサミットに関心を抱くのか。私は最近、「平和をどうつくるか」をテーマにしたパネルディスカッションで(1)安保・軍事同盟解体、(2)自衛隊全面改組による非武装「地球救援隊」(仮称)の創設、(3)東アジア平和同盟の結成、(4)シンプルライフのすすめ―を提唱した。(詳しくは「仏教経済塾」ホームページに掲載の「平和をつくる4つの構造変革」を参照) 
 
以上の安保解体、地球救援隊創設のためには東アジア平和同盟の構築が不可欠の条件と考えている。これは憲法改正によって軍隊を放棄した中米の小国、コスタリカ(自民党の憲法改悪によって正式の軍隊を憲法上認めようという日本とは180度異なる)に学びながらアジアにどう平和(=非核・非戦・非暴力)をつくっていくかという発想に立っている。 
東アジア平和同盟結成への第一歩として、東アジアサミットの今後の動向を注視したい。 
 
〈仏教経済学ってなに?〉 
 その7つのキーワード=いのち・平和(=非暴力)・簡素・知足(=足るを知る)・共生・利他・持続性 
 
 上述の記事、提案は仏教経済学〈別称「知足(ちそく)の経済学」〉の視点から書いている。仏教経済学とはなにか。 
 新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想である。仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口がいのち・平和・簡素・知足・持続性など7つのキーワードで、これらの視点は主流派の現代経済学〈別称「貪欲(どんよく)の経済学」〉には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発している。 
以上 
 
*「仏教経済塾」のホームページは下記へ 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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