2005年12月22日17時48分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200512221748334
「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 当日「国会質問の最終準備を予定」
特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社である「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)
2002年10月25日に起きた、戦後3人目の国会議員の刺殺事件となったこの事件は、「一人右翼」の伊藤白水被告(51)による単独犯行として、昨年6月、一審で無期懲役の判決が下り、今年6月の二審判決でも一審判決を支持し、被告の控訴を棄却。そして、最高裁も11月15日付で上告棄却を決定した。
被告の供述によれば、犯行動機は、思想的対立、金銭の無心が原因のトラブル、個人的な怨恨など、二転三転した上、どれも納得のゆくものではなく、裁判長は判決で「本件犯行の主たる動機であったと認めるには、なお合理的疑いが残る」と断じている。
石井氏の遺族も、伊東被告による単独犯行という捜査結果そのものに強い疑問を抱いている。
■消えた書類
事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。だが遺族は、石井氏は3日後の衆院の財務金融委員会で質問するため、書類がカバンに入っていたはずであり「空っぽなのはおかしい」と話している。遺族によると、事件以来、その書類と石井氏が肌身欠かさず持ち歩いていた手帳が自宅にも事務所にもなく「消えてしまった」という。
今回、筆者はその書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触。A氏によると、事件の約1週間前、A氏は石井氏と国会質問のための打ち合わせを都内の某所で行なったが、石井氏は当初の打ち合わせ場所を変更した。その際、石井氏は「移動中、車に尾行されたため」とA氏に語っていたという。
A氏にその時撮影したという写真を見せてもらった。椅子に座る石井氏の脇には白いA4の封筒があり「その封筒の中に打ち合わせで使った書類が入っていた」とA氏は語った。
また、A氏によると、事件当日の午後に石井氏は、親交のあった自民党山崎派の議員同席のもと、A氏と国会質問の最終チェックを行なう予定だったという。その議員と石井氏は中小企業支援関係の超党派の団体で共に行動していたため親しかったようだ。
「事件時には、この白い封筒に入っていた書類がカバンに入っていたはずだ」とA氏は言う。
■書類の内容
では、書類の中身は何だったのか?
A氏は、その中身は「国策会社・整理回収機構(RCC)をめぐる不正問題だった」と語った。
RCCは銀行の不良債権を回収する会社だ。
そのRCCから流れる物件を銀行役員が天下る銀行系列の不動産業者が仲介し売却する。RCCは銀行から簿価の数パーセントで買収した不良債権を特定の不動産業者に破格の安さで売る。そして、それを何倍もの値段で不動産業者が売却する。
この不動産業者が売却する時に生じる利益の一部が政治家に対する「裏金」に使われており、石井氏はその事実をつかんでいたという。
「当時は金融危機が叫ばれており、国の機関と大銀行、そして政治家が絡む巨額の不正事件が明るみになれば、政権が転覆する可能性は充分あった」とA氏は言う。
翌年には、りそな銀行が2兆円の公的資金を受けるなど、確かに金融行政は危機の最中だった。
■原口議員も追っていた
RCCと不動産絡みの不正については、石井議員刺殺事件の約2週間後、民主党の原口一博議員も国会で追及している。原口氏は国会で、RCCとの取引が経営主体の関西にある「サバイ総合管理」という不動産会社が、不当に安い価格で物件を関連会社に横流ししていたことなどを指摘し、RCCと闇社会のつながりを指摘した。
ただし、記者が原口氏に対し、石井氏がRCCの問題を調査していた事実があったかどうかを確認したところ「石井氏が何を調査していたかすら知らない」と原口氏は話した。
日ごろから民主党の「国会Gメン」として石井氏と共に国会で活発に不正追求の活動をしていた上田清司・現埼玉県知事も「石井氏は確かに『国会Gメン』の隊長だったが、皆で行動を起こすということがなく、個人で色々やっていたので、何を追っていたのか分からない」と語る。
また元秘書の1人は「秘書さえ知らないまま石井氏が国会で爆弾発言をすることもしばしばあった」と語っている。
記者は原口氏と共にRCCの問題を調査していた人物B氏とも会った。B氏はRCCとサバイの取引物件の謄本を全て洗い出すなど、この問題を詳細に調べていた人物だ。
B氏は「サバイの会社員のなかには前科のある人物もいたが、警察がそのデータを消したこともあった。よほど強大な力が働いていたのではないか」と事件の背後にある「闇の深さ」を指摘した。
B氏は石井氏が刺殺される4か月程前「RCCとサバイについて民主党議員達にレクチャーをした」とも話した。そこには「国会Gメン」のメンバーが多数出席し、石井氏もいた。少なくともこの時点で、石井氏はサバイのことを知っていたことになる。
■RCC追及者が次々に身の危険が起こった
このレクチャーの2日前、B氏は大阪南の飲み屋街を知人2人と共に歩いていたところ、20代の若者3人に肩が当たったと喧嘩を吹っかけられた。B氏は頭を集中的に殴られ、「死ぬかと思った」が、近くにいた客引きが警察を呼び助かった。
B氏はレクチャーには怪我を押して出席したが、事情を聞いた原口氏は「誰かに狙われたのではないか」とB氏に警戒を促したという。
また、石井議員刺殺事件の2日前の2002年10月23日、B氏は、RCCの前身、住宅金融債権管理機構(住管機構)の元社長中坊公平氏の詐欺事件を告発し、東京地検が受理している。この告発の際は、原口議員と民主党の河村たかし議員も同行、石井氏も行く予定だったが、急用でキャンセルとなっていた。
そして、石井氏の夫人によると、この日の深夜、石井氏は何者かにより「暴力を受けた様子で帰ってきた」という。
さらに、この告発の翌日、つまり、石井氏刺殺事件の前日である24日午前中、議員会館前の横断歩道を渡った原口氏は、右折した黒塗りの大きな車にすんでのところで轢かれそうになり、飛び退けて助かっている。原口氏は国会で、この危うく難を逃れた一件について言及している。
一つ一つの事柄は偶発的に見えるが、つなぎ合わせていくと、RCC絡みの不正追及者の身に次々に危険が起きたという点では、一致する。
石井氏刺殺事件をめぐる「真相の闇」は想像以上に深そうだ。少なくとも伊東被告への判決確定によって「幕引き」を許してはならない。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。