2006年03月07日18時16分掲載
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仏教は世界平和にどう貢献するか 安原和雄(仏教経済塾)
2006年3月4日駒澤大学(東京・世田谷区)で同大学仏教経済研究所(吉津宜英所長)主催、仏教経済フォーラム(寺下英明会長)共催の公開シンポジウム「いまの仏教、これからの仏教―世界平和にどう貢献するか」が行われた。奈良康明駒澤大学総長の「草の根対話の呼びかけ」と題する基調講演の後、パネリストとして参加した末木文美士氏(東大大学院教授)、萩野茂雄氏(仏教伝道協会「仏教聖典を経営に活かす会」会長)さらに私(安原)の3人がそれぞれ意見を述べ合った。
私は「仏教の社会的責任として今こそ平和=非暴力の実現に積極的に貢献しなければならない」と強調した。私の発言趣旨は以下の通りである。
▽仏教の社会的責任と平和貢献
現実の日本の仏教界は葬式仏教に偏している。しかもその葬式仏教は―宗派にもよるだろうが―お布施の金額を一方的に示して強制するなどお寺の金集めとなっている。
企業のビジネス活動はお客様の意向を無視しては成り立たないが、葬式仏教の場合、お布施の強制取り立てが可能なのは死者を事実上の人質にとっているからだろう。これでは仏教の存在価値はあってないに等しい。
仏教の社会的責任が厳しく問われていることを自覚しなければならない。どうするか。本日のテーマである「世界平和にどう貢献するか」を実践することに尽きる。
さて「平和」とは、何を指しているのか。従来の「平和を守る」という考え方は平和=非戦(戦争がない状態)ととらえる。これは狭い平和観である。戦争さえなければ、果たして平和だろうか。
例えば最近幼い子どもたちが次々と犠牲になっている。これは許し難い暴力の横行である。我が子を殺された親は、「日本は日本列島上で戦争していないから平和だ」と思うだろうか。そうではないだろう。
平和をもっと広くとらえたい。すなわち平和=非暴力(戦争・軍備・テロはもちろん、殺生・収奪・浪費・不平等・不公正・人権抑圧・貧困・飢餓など多様な暴力を克服した状態を指す)ととらえたい。
以上のような広い平和観に立てば、平和とは多様な暴力をなくすことを意味するから、「守る」という受身ではなく、「新たにつくっていく」という積極的な行動が求められる。平和は守るものではなく、つくるものとして認識することが大事で、そういう平和に仏教がどう貢献するか、そこがカギである。
▽「仏教の平和貢献」を仏教のキーワードから考える
以下の不殺生戒、不偸盗戒、知足と共生など仏教のキーワードを社会的に実践していくことが「仏教の平和貢献」につながると考える。
*不殺生戒
人を殺すことはもちろん、地球上の生きとし生けるものすべての無益な殺生を戒めている。いいかえれば、 不殺生戒は「いのちの尊重」の実践を意味する。
<不殺生戒に反する具体例>
・国家権力による戦争=人間や自然・環境に対する殺生の典型例
・地球環境の破壊=多様ないのちの営みを続ける自然・環境の破壊
*不偸盗戒
盗む行為を戒めているわけだが、ここでは盗む行為を浪費、収奪、さらに不公正、不平等を押しつけることも含めて広く理解したい。いいかえれば、不偸盗戒は簡素・節約・公正・平等の実現に努力することを意味する。
<不偸盗戒に反する具体例>
・大量生産―大量消費―大量廃棄という今日の経済構造下での資源エネルギーの浪費は、自然からの必要以上の無用な収奪である。つまり貪欲に経済成長を求め、大量の廃棄物を排出することは不偸盗戒に反する。
・現在日本では失業者が300万人もいるが、失業は、人から仕事の機会を奪うのだから、盗んではならないという不偸盗戒に反する。無造作にリストラをやる企業は「泥棒会社」と呼ぶこともできるだろう。
*知足と共生
知足(足るを知ること)、「もったいない」のこころで貪欲、浪費、無駄をなくすこと、また共生(ともいき)は世界の万物(=人間、動植物も含めて)のいのちを尊重し、活かすことに通じる。こういう知足と共生のすすめは、シンプルライフ(簡素な暮らし)、シンプルエコノミー(簡素な経済)へつながる。
▽現代の平和をつくる3つの具体策―仏教経済学の視点から
イ)「簡素な暮らし」、「簡素な経済」への転換が不可欠
ロ)日米安保体制(=日米軍事同盟)の解体
ハ)自衛隊の全面改組による非武装「地球救援隊」の創設
これら3つは仏教経済学から導き出せる平和をつくるうえで必要不可欠な具体策である。ここで仏教経済学について若干説明しておきたい。
仏教経済学は、新しい時代を切りひらく世直しのための経済思想である。仏教の開祖・釈尊の教えを土台にすえて、21世紀という時代が求める多様な課題―地球環境問題から平和、さらに一人ひとりの生き方まで―に応えることをめざしている。その切り口が、いのち・平和(=非暴力)・簡素・知足(=足るを知る)・共生・利他・持続性 ―の7つで、これらの視点は主流派の現代経済学には欠落している。だから仏教経済学は現代経済学の批判から出発している。
いいかえれば仏教経済学は「非暴力と簡素な経済」をめざすが、一方、ケインズなどの現代経済学(注)は「暴力と浪費の経済」につながる。
(注)イギリスの経済学者、ケインズ(1883〜1946年)はその主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』で「地震も、戦争でさえ、富の増進に役立ちうる」と述べて、暴力と戦争のすすめを説いている。また論文「わが孫たちの経済的可能性」で「貪欲(avarice)はいましばらくなお我々の神でなければならない。なぜならそのようなものだけが経済的窮乏というトンネルから、我々を陽光のなかへと導いてくれることができるからである」と貪欲をすすめている。
イ)「簡素な暮らし」、「簡素な経済」への転換が不可欠
平和すなわち非暴力の基礎は「簡素な暮らし」(シンプルライフ)、「簡素な経済」(シンプルエコノミー)である。したがって平和をつくるためには、脱「石油浪費」経済(=石油浪費の否定)への転換、すなわち脱「成長経済」(=経済成長至上主義の否定)路線への転換が求められる。
私は「石油浪費は戦争を誘発するが、脱・石油浪費は平和をもたらす」と言いたい。なぜそういえるのか。
ドイツの経済思想家、E・F・シューマッハーは仏教経済学を論じた著作『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫)の中で次のように述べている。
「簡素と非暴力は深く関連している。(中略)物的資源には限りがあるのだから、自分の必要をわずかな資源で満たす人たちは、これを大量に使う人たちよりも相争うことが少ないのは理の当然である」と。
さらに「石炭、石油、天然ガスといった再生不能の燃料資源は、その地域的分布がきわめて偏っており、総量にも限界があるから、それをどんどん掘り出していくのは、自然に対する暴力行為であり、それは間違いなく人間同士の暴力沙汰にまで発展する」と。
たしかに簡素な経済構造であれば、暴力(=軍事力)は不要である。しかし貪欲な経済成長主義の追求(=石油の浪費)は暴力を不可避とする。アメリカがその典型で、産油国・イラクへの攻撃のねらいの一つは石油確保にある。
ロ)日米安保体制(=日米軍事同盟)の解体
軍事力という暴力を盾にした日米安保=軍事同盟は、いのちを奪い、世界に混乱と破壊の脅威を与えている。アメリカのイラク攻撃とそれを支える日米軍事同盟は世界の平和=非暴力にとって大きな脅威となっている。だから平和をつくっていくためには、その解体が不可欠である。
ハ)自衛隊の全面改組による非武装「地球救援隊」の創設
なぜ非武装「地球救援隊」なのか。
これは非暴力=平和を志向する仏教経済学から必然的に導き出される構想で、地球規模の非軍事的脅威(大規模災害、感染症などの疾病、水不足、不衛生、飢餓、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援をめざす。
また「平和憲法第9条(=戦力不保持、交戦権の否認)は宝」と海外で高く評価する人々がいることを見逃してはならない。その9条の理念の今日的具体化が非武装「地球救援隊」構想である。
(安保解体と地球救援隊について詳しくは「安原和雄の仏教経済塾」のホームページに掲載の「小日本主義のすすめ」(1)(2)、「平和をつくる4つの構造変革」などを参照)
このように仏教を今日に生かし、平和=非暴力をつくっていく。それが「仏教の平和貢献」と考える。
以上
*仏教経済塾のホームページ
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