2006年03月22日18時46分掲載
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アルカイダのザワヒリ副官、99年まで米国に滞在か テロ事件裁判で証言飛び出す
国際テロ組織アルカイダの指導者とされるウサマ・ブンラディン氏に次ぐナンバー2のザワヒリ副官が1998年から99年にかけて、米国に滞在していたとの証言が最近、米カリフォルニアの州都サクラメントで行われているテロ裁判で飛び出した。証言したのは、パキスタン系米国人の男性で、米連邦捜査局(FBI)のスパイとして、パキスタン系のモスク(イスラム寺院)などで情報収集していた人物。ザワヒリ副官はFBIの調査で、何度か米国を訪問したことが確認されているが、2001年の9・11同時多発テロの数年前までの滞在説については、米捜査当局は「あり得ないことだ」と否定している。(ベリタ通信=苅田保)
ザワヒリ副官はエジプト生まれ。ビンラディン氏の右腕といわれ、9・11事件の首謀者の一人。米国のアフガニスタン空爆を巧みにくぐり抜け、パキスタン国境周辺の山岳部に潜んでいるといわれる。中東の衛星テレビなどに自らの映像ビデオを送りつけ、しばしば米国批判を行っている。
証言をした男性は、ナシーム・カーンさん(32)。カーンさんは、ザワヒリ副官は98年から99年にかけてロディに住み着き、カーンさんがモスクに顔を出すたびに、ザワヒリ副官と顔をあわせたと述べた。特に会話は交わさなかったが、副官はその後、姿を消したという。
しかし、この証言にロディのパキスタン系住民は総じて懐疑的だ。ウルドゥー語やパシュトゥー語を話さない人物が、地域社会に入り込めば、すぐにわかってしまうからだ。
アルカイダは1998年にケニアとタンザニアで相次いで米大使館へのテロ攻撃を行っている。FBIでは、この事件の直後、ビンラディン氏とザワヒリ副官を直ちに指名手配リストに載せ、顔写真を米国内外に広範に配布している。このためこの時に、ザワヒリ副官がカリフォルニア州に滞在していることはあり得ない、との見方をしている。
FBIの記録によると、ザワヒリ副官は、旧ソ連軍がアフガニスタンから撤収した後、数回米国を訪問している。91年にはサンフランシスコやサクラメントなどを訪れ、モスクに出席している。目的はアフガニスタン難民のための募金集めだったとされる。最後の入国は95年とみられている。
問題の証言をしたカーンさんはパキスタン出身で、9・11テロ事件の3カ月後に、FBIのスパイになった。以前に軽微な刑事事件を起こしていたが、犯罪記録からはスパイになったため抹消されたという。
その後、サクラメント南方のロディにあるパキスタン出身者の多いモスク周辺にアパートを借り、コンピューター会社を隠れ蓑に、スパイ活動をしていた。
スパイになったお蔭で間もなく、米市民権を得たほか、スパイ活動費として計20万ドル(約2300万円)を受け取っている。ザワヒリ副官を目撃したというのは、スパイとして採用される前の時期とみられる。
サクラメントで行われている裁判では、カーンさんのスパイ活動の成果として、二人のパキスタン系親子がアルカイダ支援などの罪に問われている。この親子の弁護士は、カーンさんの行った「ザワヒリ副官を見た」との証言のあいまいさを指摘。カーンさんのスパイ活動だけを根拠に起訴した検察側の姿勢を批判している。
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