2006年03月22日19時19分掲載  無料記事
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作られた分断と差別でずたずたにされたイラク 開戦3年目のリバーベンド・ブロク

  戦火の中のバグダッドで停電の合間をぬって書きつがれる若い女性の日記「リバーベンド・ブログ」は、イラク戦争から3年目のイラクの現状を「電力事情はかつてないほどのひどく、治安はいっそう悪化した」とし、宗派による差別も「一般化した」と綴っている。彼女は「悲しいことに、人びとはどちらに属するのか名乗るように責められている」と書いている。(TUP速報) 
 
 
2006年3月18日 
 
■3年… 
 
 イラクの独立を終焉させたイラク戦争のはじまりから3年が経過した。占領と流血の3年。 
 
 春は本来、再生と復活の時。イラクの場合、春は辛い思い出を追体験し、将来の大惨事に備える時になってしまった。様々な点で今年は、燃料、水、食糧、非常用品や医療品を備蓄した戦争前の2003年のようだ。今年も備蓄をしているが、何のために蓄えるのかなんて話し合ったりなどしない。現在懸念されていることに備えるよりは爆撃やB5B52戦闘機に備えるほうがまだ対処しやすい。 
 
 これほどまでに事態が悪化するなんて3年前に予想していた人などいないだろう。この数週間、極度な緊張に支配されている。私は全てにうんざりし―私たちみんな疲労困憊している。 
 
 この3年と電力事情はかつて無いほどの酷さだ。治安はいっそう悪化した。イラクが再び混沌寸前の状態にあるように感じられる。ただし今度は、宗教党派の私兵集団や狂信的な人々にあらかじめ仕組まれ、でっち上げられた混沌だ。 
 
 学校や職場は再開したり閉鎖されたりを繰り返している。2日通学、通勤しては、5日事態が好転するのを自宅でじっと待つといった感じ。ここしばらく大学や学校はarba3eeniya「アルバイーン」つまり「40忌祭」[注:イマーム・フセインのカルバラでの殉教から40日目に、アルバイーンと呼ばれる、イマームの殉教を哀悼する行事を行う]が近いので開店休業状態。緑と黒の旗がはためき、黒ターバンとラトミヤの暴力集団がさらに溢れる。子どもたちは来週水曜日に登校してみるように言われている。「してみる」というのは、二日ほど前に行われた待ちに待った議会の前も、学校が休みになったので、行ってみても休みになってしまうかもわからないから。サーマッラーのモスク爆破事件の後も、学校は休校だった。今年子供たちは学校に行っているより、家にいる方が多くなっている。 
 
 私は今年のアルバイーンを特に心配している。サマラのアスカーリ・モスクのようなことが起こるのではないかと危惧している。イラクを分断することによって利益を得る者たちによってこうしたことが仕組まれているのだと、ほとんどのイラク人は考えている。 
 
 今年2006年を04年よりも、さらに05年よりもいっそう悪い年にするのは何だろう。どれだけ悪くなったかは、電力や水、崩壊寸前の建物やでこぼこの道路、醜いコンクリートの隔離壁などの表面的なことではない。確かに支障はあるが、修復可能だ。イラク人はこれまで国の再建が可能であることを何度も何度も証明してきた。いいえ、私たちを嫌な予感で一杯にしているのはそのような目で見て分かるものではない。 
 
 本当の懸念は、多くの人びとの最近の心理状態だ―亀裂は人々を分断して、ついに国をまっぷたつにしてしまったように思える。知人―洗練され、教養もある―と話していてスンニ派がどうの、シーア派がこうのと言うのを聞き・・・人びとが荷物をまとめ「スンニ地区」や「シーア地区」に転居していくのを見るのは胸がつぶれる思いがする。どうしてこうなってしまったの? 
 
 主に外国人や何十年も国外に住むイラク人によって、「いかにイラクがスンニ派とシーア派にかねてから分裂していたか・・・しかし、独裁政権下のため誰にも分からなかったし、誰も分かろうとしなかった」とさかんに分析されている。(皮肉なことに、イラク人とともに暮らしていないからこそ理解できんだと彼らは主張する。)そんなこと絶対うそだ―もし、分裂があるとしたら両極端な狂信者の間においてだ。極端なシーア派と極端なスンニ派の間の。 
 
 ほとんどの人は、交友関係や近隣とのつきあいを宗派によって決めたりしない。だれもそんなことを気にしていない―尋ねることはできるが、なんて思慮が無く失礼な人だと思われるのがおちだ。 
 
 イラクに一時帰国したとき[リバーベンドは子供のころ国外で暮らしていた]に近所の子と外で遊んでいた時のことを覚えている。アマルは私と同い年で、誕生月も同じでたった3日違いだった。私たちはくだらない冗談で笑い合っていたが、突然彼女は向き直り恥ずかしそうに聞いてきた。「サナフィルなのそれともシャナキル?」私は当惑してぼーっと立ちつくしてしまった。「サナフィル」と「シャナキル」はそれぞれアラビア語のスマーフとスノーク[アニメのキャラクター]のこと。なぜ彼女がスマーフかスノークか聞いてくるのか私には理解できなかった。どうやらスンニ(サナフィル)かシーア(シャナキル)かを尋ねる遠回しの表現らしい。 
 
  「何のこと???」。曖昧な笑みを浮かべて聞き返した。彼女は笑って、お祈りの時に手を脇にするか、お腹の前で組むか聞いてきた。私は、あまり興味がなかったし、たった10歳であったけれど、どのように正式にお祈りするか知らなかったことを認めることがほんのちょっぴり恥ずかしかったので肩をすくめた。 
 
 その日の晩、おばの家で母に自分たちはスマーフかスノークか聞いたことを覚えている。母も私がアマルにしたようにぽかんとした顔を返した。「ママ、私たちはこうやってお祈りするのそれともこう?」立ち上がって両方のお祈りの姿勢をとって見せた。母は合点がいったようで、首を振っておばに目くばせした。「なぜそんなことを聞くの?誰に聞かれたの?」私は日中、シャナキルのご近所さ 
んであるアマルにどのように聞かれたかを説明した。「そう、じゃアマルにシャナキルでもサナフィルでもないわ、私たちはムスリム、何の違いもないのよ、と言いなさい。」 
 
 それから何年かして、私たち親族の半数がサナフィルで残りがシャナキルであることを知ったが、誰も気になどしていない。親族の集まりや夕食などでスンニ派だとかシーア派だとか話題にしたこともない。私たちはだれもこっちのいとこが手を脇にしてお祈りするか、あっちのいとこがお腹の前で手を組むかなんて気にもかけなかった。私の世代の多くのイラク人が同じ考え方だ。私たちは、どん 
なかたちにせよ、宗派や民族で人を差別することは―肯定的であれ、否定的であれ―遅れていて無教養で下品なことだと感じるように育てられてきた。 
 
 今もっとも心配なのは、宗派による差別が一般化してきたことだ。バグダードの平均的な教養あるイラク人の間ではスンニ、シーア話はいまだに軽蔑の対象だ。しかし悲しいことに、人びとはどちらに属するのか名乗るように責められている。それは、政党があらゆる演説や新聞などで「我々」と「かれら」の間にはっきり 
線を引くべきだと、煽っているからだ。「我々スンニ派はシーア派の兄弟たちと団結すべきだ」とか「我々シーア派はスンニ派の兄弟を赦すべきだ」などの記事をいつも目にしている。(この時点では、私たちシーア派、スンニ派の姉妹たちはどちらの範疇にも属していないんだけどね。)政治家や宗教指導者は結局のところ私たち誰もが単にイラク人であることを忘れているようだ。 
 
 このことに占領者はどのような役回りを演じているか。彼らにとってこの事態はおあつらえ向きのことだろう。イラク人が互いに誘拐したり殺し合ったりすれば、占領者はイラク人―占領されるまではとても平和で相互理解していた人びと―の平和と相互理解を進めようと努力している中立的な外国勢になれるからだ。 
 
 戦争から3年、私たちは目に見えてはっきりと後退し、また目にははっきり見えない部分でも後退してしまった。 
 
 ここ数週間だけでも、何千人もの人が愚かな暴力の犠牲となった。そして今、私がこれを書いている間も、サマラでアメリカ軍とイラク軍による爆撃が続いている。悲しいことは空爆―この3年間見てきた何百という空爆の一つ、ではなく人びとにただよう諦めだ。みなサマラの自宅にひきこもっている。どこに行くあてもないからだ。以前、バグダッド近郊には避難民がやってきた・・・今、バグダッドの人びとさえも街の外へ、国の外への脱出の道を探してる・・・ごく普通のイラク人の夢は安全な避難場所を海外に見つけることとなった。 
 
 3年の時と、爆弾と「衝撃と畏怖」の悪夢は別の種類の悪夢を生み出した。今とあの時の違いは、3年前私たちはまだ物質的な心配ができていた。財産や家、車、電気、水、燃料・・・今、私たちを苦しめ不安にさせているものは何かを明らかにするのは難しい。どんな徹底した戦争反対論者でも、戦後3年の今日、イラクがここまでひどい状態に陥るとは予測もできなかった。・・・Allah yistur 
min il rab3a アッラー イストゥール ミン アッラービア(アラーよ4年目から我らを守りたまえ) 
 
午前3時28分 リバー 
 
(翻訳:リバーベンド・プロジェクト:山口陽子) 


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