2006年04月27日12時58分掲載  無料記事
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ドイツでの「脱原発」実現訴える チェルノブイリ原発事故20周年

  【ハノーバー(ドイツ北部)27日=田口理穂】1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故(旧ソ連ウクライナ共和国)からちょうど20年。ドイツ各地で当時を振り返り、核エネルギーについて問う催しが開かれている。陸続きのドイツでは、この事故をきっかけに各地で反原発運動が起こり、多くの反原発市民団体が生まれた。ハノーバーでも26日、連邦議会議員のユルゲン・トリッティン元環境相や、同じく連邦議会議員でヨーロッパ太陽エネルギー協会会長のヘルマン・シェア氏を招いて、原子力発電や核兵器の危険性について警告を発した。 
 
 ゲッティンゲン市出身のトリッティン元環境相は、当時市が放射能測定値の公表を拒否したと話し、「今では当たり前のことが当時はそうではなかった。地震やテロの発生、核兵器への利用の恐れなどで原発のリスクは増加している。電力の効率的利用、再生エネルギーの一層の普及などにより、脱原発を実現させなければならない」と訴えた。 
 
 シェア議員は原子力業界の「うそ」にだまされてはいけないと警告、再生可能エネルギーの可能性を過小評価する動きや、化石燃料を支配する少数の電力会社に依存しきっている電力供給の現状の危険性を指摘した。「石油やウランは利権を保有できるが、太陽や風は私物化できない。再生可能エネルギーは大きい資本なしで、どこにでも個人でも建てられる。これは電力業界の独占支配を脅かすもの」とし、現在のテンポでいけば40年後には再生可能エネルギーでドイツ全土の電力をまかなえるとの見通しを示した。 
 
 ハノーバー市内ではこの日、国際環境保護団体グリーンピースや環境保護市民団体、また気候保護実践に取り組むプロクリマなどが参加し、1385キロ東方に離れて位置するチェルノブイリ原子炉の模型を設置、災害時の人々の様子を展示したり、原発の危険性を訴えた。 
 
 公民館の建物を利用した事故発生時の展示場では、打ち捨てられた建物などの白黒写真とともに「事故を知った日、空は快晴だった」「砂遊びをしてはいけない」「チェルノブイリについての報道は、数日たってやっと人々に届いた」といった言葉が張られている。これらはすべて、チェルノブイリ原発事故を思い出してハノーバー市民が語ったもの。静かな表現の中に、日常の生活に入り込んだ核への恐怖がみてとれる。 
 
 ドイツは2000年、社会民主党(SPD)と90年連合・緑の党の連立政権下、政府と電力業界が原子力エネルギー・コンセンサス協定を締結し、脱原発を宣言している。現在稼動中の原子力発電所は寿命がくるまで使用するが、新設はしないとし、2021年までにすべての原発が停止することになっている。あわせて自然エネルギー買取法を整備し、水力、風力、地熱、バイオマス、太陽など再生可能エネルギーの推進を進めている。しかし、昨年秋にキリスト教民主同盟(CDU)が与党第一党となり、原発復活を求める声が高まっている。 


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