2006年05月31日12時52分掲載  無料記事
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神を問い為政者の道を問う ブッシュが黙殺したイラン大統領書簡全文(上)

  5月8日付でイランのマフムード・アフマディネジャド大統領がブッシュ米大統領に送った公開質問状を、ブッシュ政権は黙殺した。欧州各国の政権も日本も同様に「右へならえ」と黙殺しているようだ。この書簡を、イラン国内向けの「ジェスチャー」とのみ捉えるべきなのだろうか。神と預言者に繰り返し言及しつつ米国の偽善性を総括するこの書簡は、イスラム教徒だけに限らず、世界の人々に訴える説得力を持っている。その質問状の全文を2回にわたって紹介する。(TUP速報) 
 
■アフマディネジャッド・イラン大統領のブッシュ米大統領への書簡(2006年5月8日) 
 
慈悲と憐れみ深くあまねき神の御名において 
アメリカ合州国大統領ジョージ・ブッシュ殿 
 
 しばらく前から私は、どうして人は、国際社会に存在し、つねに討議され、とりわけ政治の場および大学の学生達の間ではさかんに討議されている否定し得ない矛盾を正当化できるのだろうということを考えてまいりました。多くの疑問が答えられないままになっています。このような状況に迫られて私は、その矛盾と問いのいくつかをここで取り上げてみることにいたしました。これが、その是正 
につながることを希望しております。 
 
 人は、偉大なる預言者イエス・キリスト(彼の上に平安あれ)に従う者であり ながら、人権の尊重を義務と感じておりながら、自由主義を文明の模範として提示しながら、核兵器と大量破壊兵器の拡散に対し反対の意を表明しておりながら、「テロとの戦争」をスローガンとしながら、そしてまた、統一された国際社会、すなわちキリストと地上の有徳の人々の統治する社会をいつの日か確立するために尽力しながら、しかも同時に、もろもろの国を攻撃されるがままにすることができるでしょうか。 
 
 人々の生命も名声も財産も破壊され、例えば村や都市や護送団に数人の犯罪者のいる万一の可能性があれば、村、都市、護送団全体が炎上させられてしまうのです。 
 
 あるいは、ある国に大量破壊兵器の存在する可能性があれば、その国が占領され、約10万の人々が命を落とし、水源、農業、工業は破壊され、18万人もの外国兵がその国土に配備され、個人の住居の不可侵性は蹂躙され、その国はおそらく50年前の段階に逆戻りさせられてしまうのです。 
 
 そのための対価はいかばかりでしょうか。 
 ある国の国庫、そしてまちがいなく他のいくつもの国の国庫からの何千億ドルもの金が費やされ、何万人もの年若い男女(占領軍)が危険な状態に置かれ、家族や愛する人から奪われて、彼らの手を他の人々の血で汚し、毎日のあまりの心理的重圧のために中には自殺を図る者も出て、抑鬱に苦しみつつ帰国する兵士たちは病みがちとなり、ありとあらゆる病と戦わなければなりません。帰国できず 
殺されて家族にその遺体が渡される人々もあります。 
 
 大量破壊兵器を口実に、かくも巨大な悲劇が、占領される国、する国双方の人々を飲み込んだのでした。のちに大量破壊兵器はそもそも存在しなかったことが明らかになりました。 
 
 言うまでもなくサダムは残虐な独裁者でした。しかしこの戦争は彼の政権を覆すために行われたのではありません。公に伝えられた戦争の目的は大量破壊兵器を発見し破壊することでした。しかし彼は他の目的を目指した過程において転覆されたのです。それでもこの地域の人々はそれを喜びました。私が指摘したいのは、長年イランに対して強いられた戦争のあいだサダムは西洋諸国により支援 
されていたということです。 
 
 大統領殿。 
 私が教師であることをご存じかもしれません。私は教え子に、これらの行為がどうしたらこの手紙の冒頭に述べたような価値、そして平和と宥しの伝え手であるイエス・キリスト(彼の上に平安あれ)の伝統に対する義務と両立しうるのかと聞かれます。 
 
 グアンタナモ・ベイには、裁判も受けたことがなく、弁護士も立てられない捕虜がおり、その家族は彼らに面会すらできぬまま、彼らは自国をはるか離れた異郷に留め置かれているのです。彼らの状況と今後の運命には国際社会の監視が届きません。彼らが囚人なのか戦時捕虜なのか、被告なのか犯罪者なのか、誰にもわかりません。 
 
 欧州諸国の調査では、欧州にも秘密の監獄があることが確認されています。人が拉致され、秘密の牢獄に幽閉されるということを、私はいかなる司法制度にも関連づけることができません。また、かかる行為がどのように、この手紙の冒頭に述べたような価値、すなわちイエス・キリスト(彼の上に平安あれ)の教えと人権と自由主義的価値に対応するのかも理解できません。 
 
 若者たち、大学生、そして一般の人々が、イスラエルという現象に多くの疑問を持っています。あなたはこの問題に、いくつかの点でお詳しいことと思います。 
 
 歴史を通じて占領を受けた国は数多くにのぼりますが、新しい国民を住まわせて新しい国を作ったというのは、以前の時代には見られなかった新現象であると思います。 
 
 学生たちは、60年前にはそのような国はなかったと言っています。彼らは昔の資料と地球儀を見せて、我々がやったように探してみてほしい、イスラエルなどという名前の国は我々には見つからなかったと言います。 
 
 私は彼らに、第一次、第二次世界大戦の歴史を調べさせます。学生の一人は私に、数千万もの人々が命を落とした第二次大戦の時には戦争についてのニュースは戦争当事国によって速やかに広められたと言いました。めいめいが自国の勝利と最近の戦線での相手国の敗北を宣伝したのです。戦争のあと、ユダヤ人が600万人殺されたのだと主張されました。600万と言えば少なくとも200万世 
帯です。 
 
 ここでもこれらの出来事が真実だと仮定しましょう。ではそれが、中東にイスラエルを建国することや、そのような国を支援することにつながるという論理的必然がありましょうか? 
 
 イスラエルという現象はどのようにすれば合理化あるいは説明できるのでしょう。 
 
 大統領殿。 
 イスラエルがどのようにして、またどんな対価を払って、建国されたかは、ご存じのことと思います。 
 
 -その過程で何万人もの人々が殺されました。 
 
 -何百万もの先住民が難民となりました。 
 
 -何十万ヘクタールもの農地、オリーヴ農園、町や村が破壊されました。 
 
 この悲劇はイスラエル建国の時だけには限りません。それは不幸にも60年間も続いています。 
 
 子どもにすら憐れみを示さない一つの体制が樹立され、それが家々を中に住人のいるまま取り壊し、パレスチナの要人の暗殺リストと殺害方法を公表して暗殺し、何千人ものパレスチナ人を牢獄につないでいるのです。このような現象は唯一無二です。どう控え目に考えても近来の歴史には極度にまれです。 
 
 人々のもうひとつの大きな問いは「なぜこんな体制が支持されているのか」ということです。 
 
 この体制を支持することが、イエス・キリスト(彼の上に平安あれ)やモーゼ(彼の上に平安あれ)の教えや自由主義の価値観に沿ったことでしょうか。 
 
 それとも私たちは、これらパレスチナ内外の土地に元々住んできた人々がキリスト教徒であろうとイスラム教徒であろうとユダヤ教徒であろうと、彼らに自分の運命を決定させることが、民主主義の、人権の、そして預言者たちの教えに反するのだと理解すべきなのでしょうか。もしそうではないとするなら、彼らの国民投票に対してかくも多くの反対があるのはなぜでしょう。 
 
 パレスチナではこのほど新たに選出された政府が発足しました。独立の消息通はそろってこの政府は選挙民を代表する者であることを確認しました。信じがたいことですが、選挙で選ばれた政府に圧力がかけられ、イスラエル体制を承認して闘争を放棄し、以前の政府の政策を踏襲することが勧告されたのです。 
 
 現パレスチナ政府がそのような綱領にもとづいて運営されていたなら、パレスチナ民衆は彼らに投票したでしょうか? 
 
 ここでもお尋ねしたいのですが、パレスチナ政府に対して取られたこのような措置が、前記のような諸価値と両立するのでしょうか? 
 
 民衆も「なぜ国連安全保障理事会でのイスラエル非難決議案はすべて拒否されるのか」と問うています。 
 
大統領殿。 
 よくご承知のとおり、私は民衆の間に暮らし、たえず人々との接触を保っています。中東の諸国からも人々が私に連絡を取ってきます。彼らも、かかる怪しげな政策を信用していません。 
 
 この地域の人々がかかる政策に対しますます怒りを募らせていることは明らかになっています。 
 
 あまりに多くのご質問をさしあげることは私の意図するところではありませんが、ほかにも触れておく必要のある論点があります。 
 
 なぜ、中東でなにか科学技術上の成果が達成されると、それはシオニスト国家の脅威と解釈され、そのように描き出されてしまうのでしょうか。科学的な研究開発は国の基本的権利ではないでしょうか? 
 
 あなたは歴史に通じておられます。中世を除いてほかに、歴史のどんな時代に、科学技術の進歩が犯罪とされたことがあったでしょうか。科学の成果が軍事に利用される可能性があるということは、科学技術をまるごと否定する十分な理由となるでしょうか。もしそうだとすると、科学のあらゆる分野、物理、化学、数学、医学、工学その他を含めた一切を否定しなければならなくなります。 
 
 イラク問題で語られたことは虚偽でした。その結果はどうだったでしょう。嘘をつくということは、いかなる文化においても非難されることであり、あなたも嘘をつかれたくないと私は信じます。 
 
 大統領殿。 
 ラテンアメリカの人々には、なぜ自分たちの選んだ政府が外国から否定され、クーデタの指導者は支援されるのか、いったいどうして自分たちはいつも脅かされ恐怖のうちに暮らさなければならないのかと問う権利がないでしょうか。。 
 
 アフリカの人々は、勤勉で、創造的で、才能のある人々です。彼らは人類の必要とするものを提供するうえで大事な、貴重な役割をはたし、人類の物質的、精神的進歩に貢献することができます。アフリカの大半の地域に見られる貧困と苦境が、それを妨げているのです。なぜ自分たちの莫大な富(鉱物を含め)は、自分たちこそが他の誰よりもそれを必要としているというのに、略奪されてしまう 
のかと問う権利が彼らにはないでしょうか? 
 
 かかる行為がキリストの教えと人権の教義にかなうことでしょうか。 
 
 勇敢にして信仰厚きイランの民衆も、多くの疑問と不満をもっています。1953年のクーデタとその後の合法的政府の転覆、イスラム革命への妨害、アメリカ大使館をイスラム共和国反対活動家を支援する拠点にしたこと(これは無数の資料により裏づけられています)、サダムの対イラン戦争を支持したこと、イラン旅客機の撃墜、イラン国家資産の凍結、イランでの科学および核(*)の進歩に対するますます強まる脅迫、怒り、不快な対応(時もあろうにイラン国民が自国の進歩を喜び讃えているときに)など。そのほか数多くの不満についてはこの手紙では申し上げませんが。 
 
 大統領殿。 
 9・11事件はまことに恐るべき出来事でした。無辜の人々の殺害は、世界のどこで起っても嘆かわしく恐ろしいことです。わが国の政府は即座に犯人に対する非難の声明を発表し、遺族の方々への哀悼の意と同情を表明いたしました。 
 
 すべての国の政府には、国民の生命と財産と福祉を守る義務があります。伝えられるところによれば、貴国政府は広範な安全保障、防御、諜報のシステムを用いており、反対する者は外国でも追跡しているとのことです。9・11事件は単純な作戦ではありません。諜報機関や安全保障機関との連携、あるいはそれらが広範囲に浸透することもなく、あんなことを計画、実行できたでしょうか?もち 
ろん、これは経験にもとづく推測にすぎません。しかしなぜ、あの攻撃のさまざまな側面が秘密にされてきたのでしょう。なぜ、私たちは責任をはたさなかったのが誰なのかを知らせられないのでしょうか。そして、なぜ、あの事件に責任のある者と犯罪を行った連中が特定されて裁判を受けないのでしょうか。 
 
 すべての政府には、国民に安全と心の平和を与える義務があります。これまで数年間、貴国と世界の問題多発地域諸国の国民は心に平和など持ちえませんでした。9・11事件の後、欧米の一部のメディアは、あの攻撃によって測り知れぬ心的外傷を被った生存者と米国民を癒しいたわるどころか、ただ恐怖と不安の雰囲気をいっそう強めただけでした。新たなテロ攻撃の可能性を語って、人々の 
恐怖をことさらに長引かせたメディアもありました。これが米国民への奉仕ですか。恐怖と混乱から生じた損害は計算が可能でしょうか。 
 
 米国市民は、いつでも、どこでも新たな攻撃を受けるかもしれないという、たえざる恐怖のうちに生きたのです。街路でも職場でも家でも安心できなかったのです。誰がこのような状況で幸福に生きられるでしょうか。なぜメディアは安心感を伝え心の平和をもたらす代わりに不安感を煽り立てたのでしょうか。 
 
 この誇大宣伝がアフガニスタン攻撃の地ならしをし、またそれを正当化したと、一部の人は信じています。ここでも私はマスメディアの役割にふれる必要があります。 
 
 メディア企業は公式には、情報の正しい伝播とニュースのいつわりない報道を確立した方針としています。しかし、いくつかの欧米メディアがこの原則を軽視しているのは、私の深く遺憾とするところです。イラクに対する攻撃の主な口実は大量破壊兵器の存在でした。これは公衆が最後には信じ込むようにと、間断なく繰り返され、こうしてイラク攻撃のための準備が整えられたのです。 
 
 たくらまれた欺瞞的な風土においては真実は失われるのではありませんか。 
 
 もし真実が失われるということが容認されるなら、それは前記の諸価値とどのように両立するのでしょうか。 
 
 全能の主に知られた真実も失われるのでしょうか。 
 
 大統領殿。 
 世界中の国で市民が政府の出費をまかなうのは、政府が自分たちに奉仕することができるようにするためです。 
 
 ここでの問いは「毎年イラク戦争のために支払われる何千億ドルもの金は市民のために何を生み出したのだろう」ということです。 
 
 閣下がご承知の通り、貴国の一部の州には貧困のうちに暮らす人々がいます。数多くのホームレスの人々がおり、失業は大きな問題です。もとよりこうした問題は、程度の差はあれ、世界のどこの国にも存在します。しかし、これらの諸条件を考慮しても、今イラク戦争のために(国庫から支払われて)費やされている巨万の額は、先にあげた諸原則にどう一致し、それらによって説明がつくのでしょうか。 
 
 貧困や失業の問題は、世界中の人々が、私たちの地域でも貴国でも持っている不満の一部です。しかし、私が主張したいのは(またその一部にはあなたにもご賛成いただけることを希望しますが)、 権力の座にある者は、特定の時期その役職にあるのであり、無制限に支配するわけではないが、しかし彼らの名前は歴史に記録され、直後の未来にも、遠い先の時代にもつねに審判を受ける、ということです。 
 
 民衆は私たちの大統領としての治世を子細に検討するでしょう。 
 
 私たちが人々にもたらし得たものは、平和と安全と繁栄であったか、不安と失業であったか。 
 
 私たちの意図したのは正義の確立だったか、それとも特殊権益集団を支え、多くの人々を貧困と苦しみに追いやることによって少数の人々を裕福で強大にしただけだったのか。こうして、人々と全能の神の承認の代わりに裕福で権勢のある人々の承認を得ただけだったのか。 
 
 私たちは、恵まれない人々の権利を守ったのか、無視したのか。 
 
 私たちは、世界中の人々の権利を守ったのか、それとも彼らに戦争を押しつけ、彼らの問題に違法に介入し、地獄のような牢獄を建てて彼らの一部をそこに勾留したのか。 
 
 私たちは世界に平和と安全をもたらしたのか、それとも脅迫と威嚇の脅威を高めたのか。 
 
 私たちは自国の国民と世界の人々に真実を語ったのか、その逆を提示したのか。 
 
 私たちは民衆の側に立ったのか、占領者と抑圧者の側に立ったのか。 
 
 私たちの政府は、合理的行動、論理、倫理、平和、義務の遂行、正義、民衆への奉仕、繁栄、進歩、人間の尊厳の尊重を推進することに取り組んだのか、それとも、銃と威嚇と不安と民衆軽視と、進歩を遅れさせ、他国の優秀さを認めず、民衆の権利を蹂躙することに取り組んだのか。 
 
 そして最後に人々は、私たちが就任のとき宣誓した民衆への奉仕という主たる任務と預言者の伝統に対して忠実であったかどうかによって、私たちを裁くことでしょう。 
 
 
 
【訳注 「彼の上に平安あれ」 イスラム教徒はイエスをムハンマドの直前に現れた預言者として敬意を払う。預言者の名を唱えるときは、彼の上に平安あれ、と唱えるならわしである 】 
 
 
原文URL: http://www.globalsecurity.org/wmd/library/news/iran/2006/iran-060510-irna01.htm 


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