2006年06月07日14時45分掲載  無料記事
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軍事攻撃は改革を後戻りさせる ブログを通じて自由空間を創出するイランの若者 ナスリン・アラビ

openDemocracy  【openDemocracy特約】イラン国営テレビの夕方のニュース見ると、主なものは次のようなニュースである。西側世界での惨事と紛争、コンドリーザ・ライスを野次る英国のデモ隊、「もともと人種差別主義」の米国での移民の権利を求める集会、フランス全土での反政府デモ、イラクでの騒乱、大虐殺、アブグレイブのような虐待の映像。そうしたニュースを見ると、革命1年前の1977年末、イランでの晩餐会でカーター大統領が、イランは紛争地域にある「安定した島」であるとした判断は正しいとする印象を抱くかもしれない。 
 
 実際、イランの国営メディアの世界観では、戦争や制裁は最もありそうにないことで、そうした世界観はイランの支配者にとって重大な懸念となっている。アリ・ ラリジャニは2004年、10年間務めていた国営放送の社長を辞めて、最高安全保障委員会におけるハメネイの代理とイランの核問題交渉代表という重要な役に就いた。 
 
 同時に、番組の一部には需要に応じたものもある。西側の地上波テレビではまだ放映されていないハリウッドの大ヒットから、俗受けのする国産のドラマやコメディーにいたるまで金のかかった番組に視聴者はますますはまっている。 
 
 西側世界がイランの核について危機感を強めている時、イランの国民の関心はどこか別のところにあったように見えた。国民が「バラレの夜」という番組を見るためテレビのスウィッチを入れると、国全体の動きがとまってしまうようであった。20世紀の変わり目という設定で、架空の村でのコメディーは論議を巻き起こした。 
 
 風刺的な脚本は国全体を惹きつけた。視聴者が日常生活を連想しそうな話題に大胆に触れた。不正選挙、体制の汚職、女性の権利、検閲。地元の新聞を躍起となって検閲する、むっつりしたこっけいな警察官。番組は強硬派からの抗議で中止になった。国家の資源が「革命に対して戦争をするため」に使われていると断じる者もいた。 
 
 しかし、厳しく管理された国営機関の内部においてさえも、許される限度内までぎりぎりの努力が日常的に行われている。生放送中に当局者に不快な質問をする若いインタビューア、反体制の作家が書いた詩を取り上げたドキュメンタリー、愛と清教徒的な宗教検閲の無益さについての物語であるイタリアの映画、「ニューシネマパラダイス」のディレクターズ・カット(訳注―公開時にカットされた未公開シーンなど)をイラン・イスラム共和国の国営テレビで皮肉めいた面白さで見せるスケジューラー(放送日程決定者)。 
 
 一方、核危機で米国とイランの間の溝が広がっている最中、イランの映画ファンはイラン人と米国人のハッピーエンドの映画を見に行っている。全国で上映されている「結婚、イラン・スタイル」は、米国人の少年とイラン人の少女の間のラブストーリーで、米国の少年は少女の信仰あつい家族の要求を受け入れて、結婚し、幸せに暮らすことになる。 
 
 現実世界に戻ると、米国がやっているのはせいぜい、国営メディアが吹き込もうとしている体制順応的無気力からイラン人の心を解放しようとしているぐらいである。使われている道具は、「米国の声」(VOA)を通じた衛星放送の番組である。イラン都市部の中間層の人々に人気がある。番組は毎日放送されている。これはイラクの家庭に向け、国境から強力な送信機を使ったイランのアルアルムTVと極めて対照的である。 
 
 アルアルムは2003年にイラクに届くようになり、米国率いる連合国の兵士に向けられた。また、今ではイランと同じように衛星放送のアンテナがまだ十分行きわたっていないイラクのほとんどで見ることができる。イランはVOA放送を妨害する妨害局の数を増やして、文化的侵入を許そうとしない。 
 
自由の友 
 
 イラク政権はメディアの管理に長けている。過去10年間に、一線を越えたとして100以上の出版物(41の日刊紙を含む)を閉鎖させた。しかし、これまでにそうした一線を越え続けてきたものもあり、そうすることによって、イランの文化的・政治的状況を着実に動かしている。 
 
 ジャーナリストのアクバル・ガンジは、作家や知識人の殺害の背後にある「権力マフィア」ネットワークを暴き出したことで6年間、投獄された。彼はひるむことなく、獄中からイラン政権を非難し続けた。ガンジは革命をくぐり抜け、過激主義とそれがもたらしたテロを経験した同胞の多くと同じように、もう一回革命を起こすことは呼びかけていない。しかし、イランの最高指導者に対しては、身を引くように公然と呼びかけている。 
 
 人権弁護士で敬けんなイスラム教徒であるシリン・エバディは、彼女の信仰が民主主義と両立するものであるという解釈が受け入れられるために戦っている。彼女は、イランにおける変化は平和的に、しかも国内から行われなくてはならないと確信している。彼女を「イスラム教は未来に目を向けることができると示唆した背教者」と非難した人々により投獄され、殺害の脅しを受けてきた、と彼女は書いている。また、同じように教条的な姿勢を持つ、国外のイスラム共和国の世俗の批判者にも非難されてきた。 
 
 ガンジとエバディは、イランで自由と尊厳のために立ち上がろうとした人たちの中の二つの例に過ぎない。彼らは、孤独で一人ぼっちでいるわけではない。国民と彼らの仲間の称賛は十分な証拠である。2003年、ノーベル平和賞を受賞してテヘラン空港に降り立ったエバディは、歓喜した数十万人の人々に迎えられた。最近では、ガンジはジャーナリストとしてイランの最高の栄誉である賞を仲間から受け取った。 
 
 これらの批判的な声と国の安全保障の問題の間にどんな関係があるのか。エバディは5月5日のワシントンでのインタビューで、国民が政権に不安を持っているのにかかわらず、国外からの侵略に直面して、国民は団結し、「国を守るであろう」と述べた。「イランにおける民主主義は前進していない。なぜなら検閲がイランでさらに厳しく行われているからである」と語った。国外からの圧力に直面して、検閲は広く、頻繁に行われるようになっている。 
 
 熱狂した西側のメディアはイランの核危機について論じているが、イランでの積極的なメディア活動は国民に危機のようなものはないと確信させている。安全保障委員会のジャーナリストへの布告は、イランの核交渉に否定的に触れることを禁止している。マフムード・アハマディネジャド大統領は、5月7日に発表されたジョージ・ブッシュ大統領あての手紙について記者から質問されると、それは「核問題」についてではなく、「核の問題は書くような重大な問題ではない」と答えた。 
 
 多くのイラン人は、核エネルギーを獲得することはイランの「不可分の権利」であり、長期的な経済・国家利益であると思っているかもしれないが、実際には事態はもっと複雑である。イラン最大の全国学生組織Tahkim Vahdat は、イランが直面している危険について警告する公開状を発表した。「そのような状況では、イラン国民が何の役割も持たず、存在しないようになり、いつものように政権は国民をよそ者、部外者と見なす」。 
 
 しかし、普通のイラン人からはウラン濃縮について騒ぎ声は起きていない。彼らは大統領が選挙の時の約束を果たすかどうかにより関心を持っている。インフレ、経済停滞、失業、汚職、貧困、麻薬についてバスやタクシーで毎日おしゃべりするが、ひそひそ声で話すことはない。彼らにとって、アハマディネジャドは一枚岩の政権の全権を握ったリーダーではなく、エリート層の人物や機関にいつでも発言を封じられる、権限のない大統領なのである。 
 
 地方を旅行しながら、アハマディネジャドは後から彼を悩ますことになるかもしれない白紙小切手を切ってきた。一方、議会は彼の多額の出費を要し、インフレを招くばらまきを認めること抵抗してきた。 
 
 イランが核危機の重大な段階に入った5月1日、イランの労働者は国際労働者の日を安定した雇用機会を求めて抗議しながら祝った。彼らが叫んだスローガンには、政権が核技術はイランの「不可分の権利」という主張をもじったものもあった。「ストライキはわれわれの不可分の権利」とか「終身雇用はわれわれの不可分の権利」などである。 
 
 政府のお気に入りのスローガンを風刺的に改作することが、多くの人気のあるジョークのオチになっている。一つの例がイランの有力な漫画家Nikahang Kowsar(現在はトロントに亡命中)によるインターネット上の漫画である。「知らないことはわれわれの不可分の権利」と言いながらパソコンを使えなくさせているイランの核問題交渉の責任者アリ・ ラリジャニ。政権がインターネットのサイトやブログを規制しようと再び取り組んでいることをほのめかしている。 
 
サイバースペース共和国 
 
 推定70万のペルシャ語のブログがあり、ペルシャ語はブログで4位を占める人気のある言語となっている。インターネットは、「国境なき記者団」が「中東でのジャーナリストの最大の監獄」と呼ぶ国で、自由な言論のための新しいバーチャルな空間を開いた。1979年のイラン革命を経験した人々は今や少数派である。革命後のベビーブームのなか、イランの人口は倍以上に増え、7千万人近くになった。その70%が30歳以下である。同時に識字率は農村でも90%以上である。2005年には、大学に入学した65%以上の学生は女性であった。 
 
 この人口動態の変化は、若い人がイランの社会を左右し、教育を受けた若い人たちの声がイランのブログ界で最もはっきり、鋭く発言しているということを意味する。彼らは、日常生活に押し付けられた窮屈な不合理性の中、神権政治の限界を経験しており、過激なイスラム教を万能薬というより、問題と見なす。彼らにとって、アハマディネジャドは世界の政治的イスラム主義の擁護者ではなく、せいぜい面白い人でしかない。 
 
 これらの若いイラン人の恐れ、希望、夢、願望は、世界のほかの現代の若い人たちと変わるところはない。彼らは同じように、生活に直ちに影響する問題を心配している。人間関係、仕事、厳しくなる社会的制約。 
 
 アフマディネジャド大統領は当選以来、西側メディアの注目を集めてきた。一挙手一投足が新聞ダネになった。彼は西側の音楽を禁止したと伝えられる。しかし、大統領が望んでいることと実際に起きていることの開きは非常に大きい。 
 
 テヘランの狂乱的な往来に立つと、地元生まれのポップスター、ベンヤミンのテクノ音楽がおんぼろタクシーや派手な車から絶え間なく流れてくる。彼の歌を国営のラジオやテレビでは聴くことはできない。ベンヤミンは古い世代のイランの知識人や宗教指導者の多くに嫌われている。 
 
 彼は、愛やけん怠について歌うだけでなく、シーア派の導師への賛辞とともに彼の信仰についても歌う。流行っている彼の「改革」賛歌はイスラム革命前には流されなかったであろうし、この一世代においてイランが経た遍歴の多くを明らかにしている。イラクのシーア派地域で彼の歌が放送されたら、ムハンマドの漫画をめぐって引き起こされた暴動と同じ規模の暴動が起きるであろう。 
 
 哲学者ラミン・ジャハンベグローによれば、イランの若者たちは、政治的イスラムから離れて、イスラムの伝統とペルシャの文化的歴史に基づいた「イラン的非宗教主義」に向かっている「第4世代」である。新著「第4の波」で彼は「今日、若者は暴力を拒否し、寛容と対話を重んじる」と述べている。これが最も明らかなのは、急速に広がっているイランのブログである。 
 
 ジャハンベグローはイランの文化調査局の現代研究部部長で、「彼の同世代の知識人の多くと同じように革命、戦争、暴力を経験し、政治対話、非暴力、民主プロセスに深く献身している」。4月27日にテヘランで逮捕されると、強硬派の政権の日刊紙Jomhouri Eslami は、彼を「米国から金をもらい」、「政権を円滑に転覆させる米国の戦略に関与していた」と非難した。 
 
 このような状況の中で、さらなる外圧と米国がイランにおける民主促進のため、7500万ドルの追加財政支援を表明したことなどは、強硬派に国内の活動家を弾圧する口実を与えている。イランに対する軍事攻撃は、明らかに悲惨な人道的悪影響をもたらすであろう。それはまた、イランの若い人たちや自立した思索家が支援を必要としているこの時に、彼らの自由の空間を切り開こうとする勇気ある努力を損ない、政権の最強硬派の立場を強め、イラン社会を一世代後戻りさせることになるであろう。 
 
*ナスリン・アラビ イラン生まれの英国系イラン人。英国の大学に学び、ロンドンで働いた後、イランのNGOで活動する。現在は英国在住。著書「We Are Iran: The Persian Blogs」 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netに発表された。 
 
原文http://www.opendemocracy.net/democracy-iran_war/elite_fears_3571.jsp 
 
ベンヤミンの曲が聴けるサイト 
http://www.bia2.com/music-review/review.php?id=182 
 
Nik's Cartoons 
http://www.nikahang2.blogspot.com/ 
(翻訳 鳥居英晴) 


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