2006年07月19日12時48分掲載
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米で33年ぶりに白骨死体の身元判明 DNA鑑定が貢献
米カリフォルニア州の荒野で1979年に、白骨死体が発見された。遺体は腐敗が進行し、このため指紋の照合もできなかった。当時の警察は他殺、事故死の両面から捜査したが、結局事件は未解決に。このため遺体は、身元不明として検視事務所に安置された。それから26年という長い歳月が流れたが、近年広範に使われるようになったDNA鑑定のお蔭で7月に、ようやく身元が判明した。遺体は、33年前に米オハイオ州からヒッチハイクの出かけたまま、行方不明になっていた当時28歳の青年と特定された。(ベリタ通信=有馬洋行)
米メディアによると、この青年は、同州カントン出身のダニエル・サフェクールさん。1973年にカントンで目撃されたのを最後に行方を絶っていた。家族は、その後捜索願を警察に出している。当時の記録では、身長160センチ、体重72キロとなっている。地元では、カーニバル関係の仕事をしていた。
それから4年後の79年夏、アリゾナ州国境に近いカリフォルニア州サンベルダルディノ郡ニードルズの乾燥した荒野の中で、二人のパトロール隊員が、偶然人骨らしいものを発見した。
遺体は、激しい太陽の熱で損傷が激しく、また野生の動物たちに荒らされた跡があった。幾つかの歯が残った下あごや、腕、足の一部が回収されたが、全体の7割の人骨はなくなっていた。
指紋の照合は、死体の状況から不可能だった。現在なら、直ちにDNA鑑定に回されるところだが、当時は警察の検視にDNA鑑定は使われていなかった。
▼警察の手落ちも
唯一の手掛かりは、現場に落ちていた衣類や財布。財布の中には、身元を特定するものが入っていた。この段階で、家族に連絡を取れば、何らかの手掛かりが得られたはずだが、警察は、財布は偽装の可能性もあるとし、カントンの地元警察に話はしたものの、家族には連絡しなかった。
警察は、ダニエルさんが、誰かを殺害し、その遺体を自分と偽装するための財布を落とした可能性もあると疑ったようだ。しかし、遺骨からは十分な証拠が得られず、死因も不明のまま、結局、捜査は行き詰まった。その結果、遺体は「ジョン・ドゥ17―79号」と名づけられ、検視事務所に安置された。「ジョン・ドゥ」は身元不明の男性死体に便宜的につけられる名前。
カリフォルニア州では、2001年から身元不明者に関して、DNAによるデータベース作りが始った。このため検視事務所は05年10月に、遺骨をDNA鑑定に回した。
同事務所はことし3月に、オハイオ州にいるダニエルさんの家族にも、連絡を取り、肉親からDNAサンプルを採取した。その結果、双方のDNAが一致した。
ダニエルさんの家族は、33年ぶりの身元判明に関して、マスコミの取材を断っている。オハイオ州の警察は、ダニエルさんの死亡確認は、家族にとっては辛い話だが、身元が分かったのは良いニュースだと話している。
ダニエルさんの身元は判明したが、なぜ彼の遺体がアリゾナ国境付近で見つかったのかは、依然謎のままだ。オハイオ州でヒッチハイクし、車でカリフォルニア州に向かったと推測されるが、その行程の中で、何が起きたのだろうか。
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