2006年07月29日00時36分掲載
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テロ容疑者、無実晴れてようやく釈放 FBIの強引捜査で長期拘束
アルジェリアの元空軍パイロットだったために、2001年の9・11米同時多発テロの一味と疑われ、米国内の刑務所に長期間拘束されていた男性が最近、ようやく釈放された。人権保護団体などが、早期釈放を強く呼びかけていたが、法律の厚い壁で、釈放が大幅に遅れていた。男性は、弁護士によると、ようやく自由の身になったことを喜んでいるという。今回の長期拘束の背景には、テロ取り締まりを口実にした米連邦捜査局(FBI)や司法省による強引な捜査があった。(ベリタ通信=苅田保)
米メディアによると、釈放されたのは、ベナマール・ベナッタさん(32)。
アルジェリア空軍の中尉だったベナッタさんは2000年12月、他の同僚ともに、米メリーランド州にある米国の航空機製造メーカーで訓練を受けるため、6カ月有効のビザで米国に入国した。
しかし、ベナッタさんはアルジェリアへの帰国を拒否。01年6月末には、米国滞在ビザが期限切れとなり、以後不法滞在者になった。このため9月5日に、カナダ行きを決意、米国と陸続きのカナダ国境で亡命を申請した。
カナダ入管当局が、ベナッタさんを保護し、その扱いを審査している最中の9月11日、米国で同時多発テロが起きた。これがその後のベナッタさんの人生を狂わせた。
事件当日、ベナッタさんは、カナダの係官から、空軍パイロットだったのかとの確認を受けた。世界貿易センタービルなどに突入した実行犯は、米国で飛行訓練を受けていた。ベナッタさんは、パイロットであり、しかもイスラム教徒であったため、真っ先に疑われる形になった。
その日のうちに、米国に送還され、ニューヨーク州の刑務所に入れられた。FBIの捜査官は、貿易センタービルの写真を提示し、テロの仲間かと尋問した。数日後、ニューヨーク市のブルックリンにある刑務所に移送され、逮捕された。
米政府は、当時テロ事件に関連し、米国内にいたアラブ人の一斉摘発に着手、1200人を拘束した。ベナッタさんもこの中の一人。ベナッタさんは、処分が決まらなかった最後の一人ともいわれている。
逮捕後は、狭い独房に入れられ、弁護士の接見も認められなかった。独房のドアには、看守が「WTC」と落書きし、眠らせないために、30分間おきに看守がドアをけるという嫌がらせを受けた。ひげをそったり、シャワーを浴びることも許されなかった。
FBIは同年11月、ベナッタさんはテロ事件とは関係がないと結論付けていた。しかし、この決定を、ベナッタさんには通知せず、引き続き拘束。
▼「究極の悲劇」
司法当局は12月には、今度は偽造書類保持でベナッタさんを起訴。これも通知しなかった。翌年4月に別の刑務所に移送された後、ベナッタさんは一連の経緯を初めて知り、弁護士と初めて話ができた。
2003年9月、連邦判事は、ベナッタさんの拘束は違法だとし、捜査当局のやり方は「ごまかしだ」と批判し、容疑を棄却した。翌10月、検察当局はベナッタさんへの訴追を取り下げた。
これでもベナッタさんは釈放されなかった。強制送還をすべきかどうかの結論が出ないと処分が決定できないという法律上の理由だった。
ことし、カナダ政府が、ベナッタさんの移民申請を受け付けるとの意向を表明したため、7月20日、ベナッタさんは、ようやく釈放され、カナダ政府に亡命を申請した。FBIが嫌疑なしと結論付けてからほぼ5年が経っていた。
ベナッタさんの弁護士は、今回のケースは「究極の悲劇」と形容し、いったんテロリストと烙印を押されたため、政府のお役所仕事で長期間拘束されたと批判した。
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