2006年09月05日23時17分掲載
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10歳の少女を誘拐し8年間も監禁 オーストリア、事件発覚後犯人は自殺
欧州中央部にあるオーストリアの首都ウィーンに近い町で、8年間にわたって誘拐され、監禁生活を強いられていた女性が最近、脱出に成功した。女性は誘拐された当時、10歳だった。現在の年齢は、推定で18歳とみられるが、女性を誘拐していた男性は、女性が逃げ出した直後に、鉄道自殺をしている。女性は、誘拐犯から逃げれば、家族を殺すと脅されるなど、心理的にコントロールされていた。家族とは既に感激の対面を果たしたが、精神分析医は、8年間の空白で生じした心の隙間を埋めるのは、時間がかかるかもしれないと分析している。(ベリタ通信=有馬洋行)
各種報道によると、誘拐されていたのは、ナターシャ・カンプーシュさん。1998年3月2日、通学途中に通信技師ウオルフガング・プリクロピル(44)に拉致され、彼の家の地下の部屋に8年間にわたって監禁された。誘拐当時、オーストリアのメディアにも大きく報道された。
ことし8月23日、ナターシャさんが、掃除機を使って掃除しているときに、ウオルフガングに電話がかかった。電話の音がよく聞こえないため、ウオルフガングがナターシャさんの元から離れた隙に、外に飛び出し、隣家に救いを求めた。
隣家の人は、初め理由がよく呑み込めなかったが、女性が「私はナターシャ・カンプーシュ」と名乗ったため、警察に通報した。この後、逃亡を知ったとみられるウオルフガングは、走ってくる電車に飛び込んで自殺した。
8年ぶりの救出は、社会面記事にあまり関心を示さないオーストリア市民の関心を集めた。対面を果たしたナターシャさんの母親は、テレビ局のニュースに現れ、娘を誇りに思っていると語った。
脱出した女性がナターシャさんと判明した決め手の一つは、彼女の腕にあった傷跡。その後DNA鑑定も行われ、身元が確認された。
監禁されていた部屋は、コンクリート壁に覆われ、窓は一切なかった。水道のながしやトイレはあった。テレビも置かれ、本棚やテーブルもあったが、部屋の中は雑然としていたという。
▼教育は受けていた
ウオルフガングは、誘拐した直後、ナターシャさんに「ご主人様」と呼ぶよう命じた。ナターシャさんは、何度も家に帰してほしいと懇願したが、逃げれば、家族に危害が及ぶと脅迫した。
彼が仕事に出かけるときは、地下の部屋に鍵をかけられた。その後は本を読んだり、ラジオを聴くのが日課だった。
警察によると、ナターシャさんは、ウオルフガングから、かなりの教育を受けたとみられ、大変聡明だという。しかし、ほとんど自然の光に触れていなかったために、顔面は蒼白だったという。
地元メディアは、ナターシャさんの脱出直後にインタビューし、性的虐待を受けたかと質問している。彼女は、自分が行ったことはすべて自発的で、強制はなかったと、意味深長な発言をしている。この点について警察は、ナターシャさんは性的虐待を受けていたことを意識していなかった可能性があるとしている。
ある精神分析医は、ナターシャさんの深層心理には、被害者として苦痛の感情とともに、誘拐犯と感情的な結合という相矛盾する感情が交錯しているとみている。
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