2006年09月11日18時06分掲載
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アルカイダの米国人がいた街 父親は10年間没交渉と語る
米カリフォルニア州ロサンゼルスとサンディエゴの中間辺りに小都市ムリエタ(人口9万)がある。ロスからだと車で渋滞がなければ1時間半で着く。小高い山に囲まれた、この静かな街が、世界的なニュースの仲間入りするとは住民たちも最近まで考えていなかった。9月2日に国際テロ組織アルカイダの最高幹部がイスラム系のウエブサイトに登場し、米国人にイスラム教への改宗を呼びかけたが、その際一緒に登場した米国人のアダム・ガダーン容疑者(28)は、このムリエタの住民だった。この二カ月前に自転車ロードレースのツール・ド・フランスで総合優勝したものの、その後ドーピング(薬物使用)フロイド・ランディス氏(30)もムリエタに自宅があった。共通しているのは、二つともあまり歓迎される話ではないことだ。(ベリタ通信=江田信一郎)
地元紙などによると、ガダーン容疑者の実家は、ムリエタのウィンチェスターと呼ばれる通りにある。16万平方メートルの農場を有し、牧畜をしている。実際にこの通りを以前車で走ったことがあるが、一部宅地化が進んでいるものの、所々に農場が広がっている。馬、牛などが囲いの中でのんびりとしてる光景をよく目にした。
ティーン時代は、金属的な音を響かせ、絶叫調で歌うヘビーメタルに酔いしれたという。ロス近郊のオレンジ郡に移った後、イスラム教に改宗した。モスク(イスラム教寺院)に通ったが、そこで指導者を襲い、放逐されている。
1998年にはパキスタンにわたり、そこで結婚し、家族とは連絡を絶ったとされる。
また別の報道では、2001年の9・11米同時多発テロ以前には米国に滞在しており、事件後、姿を消したといわれる。米連邦捜査局(FBI)は、ガダーン容疑者はパキスタンにあるアルカイダの軍事訓練基地でトレーニングを受け、アルカイダの通訳となったとされる。
2日に公表されたアラビア語のビデオでは、アルカイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリ容疑者とともに姿を見せた。ザワヒリ容疑者は、ガダーン容疑者を「米国人アッザム」と紹介した。ザワヒリ容疑者とは別個に収録したとみられる。
ガダーン容疑者は、米国は対イラク、アフガニスタン戦争で敗北すると指摘し、現地で戦っている米軍兵士に対し、勝者の方に鞍替えするよう呼びかけた。ザワヒリ容疑者もまた米国民に対し、神が送った預言者ムハンマドの教えに従い、イスラム教に改宗するよう呼びかけた。
ガダーン容疑者がザワヒリ容疑者と一緒にビデオに姿を見せたのは、7月以来二度目。7月は、その1年前にロンドンで起きたテロ爆破事件から1周年の節目として収録されたようだ。その際、ガダーン容疑者は短時間姿を見せ、イスラム教徒は西洋人が犠牲になったことで涙すべきではないと述べた。
この時、父親のフィリップ・ガダーン氏が「息子は、ほぼ10年前に家族と切れた。彼のことは今は、何も知らない」と語っている。
ガダーン容疑者のアルカイダでの役割はほとんど知られていない。FBIは2004年にアルカイダの支援者として指名手配しているが、具体的にテロ行為に加わったとの情報はない。
アルカイダがなぜガダーン容疑者を重宝するようになったのかは不明だが、英語を話し、米国の事情に精通していることが決め手になった可能性もある。
一方、米国イスラム関係協議会の南部カリフォルニア州事務所の代表ハッサン・アイルーシュさんは、「われわれは、イスラム教の名の下に、過激なイデオロギーを説くすべての者を拒否する」と述べた。
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