2006年09月23日17時53分掲載
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教皇、欧州の「再キリスト教化」を目指す マイケル・ウルシュ
【openDemocracy特約】「教皇はもっと謝罪すべきでしょうか」。BBCの若い男はきいてきた。わたしはBBCのニュースをもとに、「エジプトのムスリム同胞団は、謝罪は満足であると言っています」と答えた。電話の向こう側で議論があった。どうやらこのリサーチャーはプロデューサーと相談しているようだ。
「そうです」と彼は答えた。「でも、彼らは十分には満足ではないと言っています」。「十分に満足」な謝罪とは一体どのようなものなのか。さらに重要なことは、誰が決めるのかということである。キリスト教徒、特にカトリック教徒は、ほとんどの世界宗教は信徒の名において語ることができる中心的な権威を持たないことを忘れがちである。
ベネディクト教皇は、レーゲンスブルクでの9月12日の講演で発言を引用したことについて謝罪する必要が一体あったのか。ほとんどのコメンテーターはそう考えるようだ。カレン・アームストロングは9月18日付のガーディアン紙(「イスラムに対するこうした古い偏見を持ち続けることはできない」)(注)で、教皇は14世紀のビザンチンの皇帝を「限定もなく、明らかに同意するかたちで」引用したと主張した。パキスタンで暴動を起こした人たちが教皇の講演全文を読んだとは思わないが、カレン・アームストロングはそうしたと思いたい。
専門的権威として教皇は、マヌエル2世パライオロゴスの言葉を文脈内に入れた。教皇は、それらはペルシャの賢人との議論での皇帝自身の言葉であると指摘し、「ぶしつけさ」で語られたと述べている。多分、さらに重要なことには、教皇自身がコーランを引用して、皇帝が主張していることと正反対のことを言っている。
言い換えると、9月17日の「お告げの祈り」での発言は別にして、レーゲンスブルクでの講演においてさえも、教皇は皇帝の見方とは距離を置いていた。
ビザンチンの皇帝がそう考えるには十分な理由があった。帝国はオスマントルコのイスラム兵によって包囲されていた。首都のコンスタンティンノープルは半世紀後の1453年に陥落する。イスラム軍はウィーンの門まで押し寄せた。イスラム軍はそこで、1683年、ポーランド王、ヤン・ソビエスキが指揮したキリスト教徒軍によって阻止された。
しかしながら、オスマンの目的は改宗よりも征服であった。キリスト教徒とユダヤ教徒は、少なくとも大部分では、高い税金を払いさえすれば、彼らの宗教は認められた。
改宗はほとんど問題にならなかった。イスラム軍が630年に最初にアラビアを出たとき、ムハンマドはアラビア半島の部族戦争でつきものになっていた暴力を輸出した。彼はまた、キリスト教徒の土地であったところに侵入した。奇妙なことに、十字軍はこれと同じ観点から解釈することができる。
1095年に教皇ウルバヌス2世が十字軍を始めたことを、欧州社会でつきものになっていた暴力を輸出するものとしてみることが可能である。特に初期の殺りくの後、エルサレムのラテン王国のフランク人は、新しく征服した土地に住むイスラム教徒とユダヤ教徒には以前と同じ生活を続けさせた。
レーゲンスブルクの講演は、イスラムに関することではほとんどないということが見過ごされているようだ。騒動を引き起こすことになったベネディクトが引用したものは、教皇が強く感じることについての話題を議論するための出発点に過ぎない。信仰と理性の関係である。
教皇はイスラム教がキリスト教より「理性的」でないと考えているようにみえる、と言った人もいた。教皇は実際、イスラムの教えにとって、「神は絶対的に超越的な存在です。神の意志は、わたしたちのカテゴリーにも、理性にも、しばられることはありません」と主張している。
さらにイスラムの神学者、イブン・ハズムのそのような趣旨の引用をしている。この主張がどれほどイスラムについて正しいか、わたしにはわからない。しかし、これはイスラムについての批判ではない。教皇は、いく人かのキリスト教神学者が同じような見方をしているとする。特に13世紀のスコットランドの神学者、ジョン・デュンス・スコトゥスである。
教皇のここで核心は、宗教における理性の位置、大学における宗教の位置について熱心に主張していることである。講演はリチャード・ドーキンスのような、科学だけが意味があり、宗教は関係ないと主張している人たちに向けられたものである。ドイツを訪れるためにバチカンを離れるすこし前に、教皇は科学者の会議を開いて、レーゲンスブルクの講演で述べられたのと同じような問題を提起したことは重要である。さらに、教皇はマヌエル2世の再び引用して、講演を次ぎのように締めくくった。
「(マヌエル2世は)『理性に従わない、すなわちロゴスに従わない行動は、神の本性に反する』といいました。わたしたちも、諸文化との対話において、この偉大なロゴスへと、この理性の広がりへと、対話の相手を招きます」
イスラムの問題
レーベンスブルクの講演に対する高ぶった反応の中で、多くの対話は行われていない。多くの人たちは、教皇がイスラムとの対話を望んでいるのかいぶかっている。これは、教皇がムハンマドを侮辱したかどうかとは別の問題であり、より複雑な問題である。この問題について、イスラム教徒が疑り深くなるのはもっともである。
ベネディクト教皇が2005年4月に選出された時、多くの人がカトリック教会を運営するバチカンの部局であるローマ教皇庁に迅速な変化があると思った。教皇は25年にわたり、ヨゼフ・ラッツィインガー枢機卿として、その職を務めてきた。遠いポーランドで司祭の職からやって来たパウロ2世とは違って、教皇はシステムがどう動くか知っており、それを改善したいと思っていると言われた。
そうした予想にもかかわらず、比較的わずかな変更しかなかった。しかし、特にひとつの驚くべき動きがあった。非キリスト教徒地域との関係を扱う部局の長であったマイケル・フィッツジェラルド大司教が職を解かれ、エジプト大使になった。これは、英国が枢機卿のポストをひとつ増やす可能性を失っただけでなく(フィッツジェラルドは英国人)、イスラムについての最も尊敬された専門家をバチカンが失うことでもであった。
現在の流れの中で、これは不幸なことであった。フィッツジェラルドは教皇がレーゲンスブルクの講演で用いた引用の落とし穴に注意喚起をしていたかもしれない。しかし、異動はは不幸であるとともに奇妙であった。カロル・ヴォイティワが1978年にヨハネ・パウロ2世になったとき、カトリック教会は共産主義と対立していた。その敵対者は消えた。カトリックだけでなくキリスト教一般にとって今、重要な「他者」はイスラムである。
ベネディクト16世がまだヨゼフ・ラッツィンガーであったとき、トルコは欧州連合(EU)の一員になるべきではないという見解を示した。教皇はもちろんドイツ人で、ドイツ政府は同様の見解を持っている。教皇が生まれ故郷のババリアへの訪問を始める少し前に、ドイツのアンジェラ・メルケル首相が面会した。メルケルは個人の飛行機でやって来て、長時間の議論をするために滞在した。
メルケルは、EU憲法という困難な問題を復活させたいと思っている。バチカンと同様にメルケルは、憲法の前文に欧州にキリスト教の起源があることを書き入れたいと思っている。トルコが入ろうが、入るまいが、欧州のイスラム教徒は明らかに、キリスト教徒のクラブとしての欧州の概念に居心地が悪く感じている。
これはレーゲンスブルクの講演で直接的に語られたものではない。だが、それは教皇の考え方の根底をなすものである。ベネディクト16世は欧州を再キリスト教化したいのである。教皇は、文化はキリスト教伝道の道具であるべきであると考える。
もし欧州の文化がますますイスラムの文化に染まるのであれば、明らかに問題が大きくなる。このことは、教皇はイスラム恐怖症であると非難するためではなく、それに対する教皇の対処は、活気にあふれ、神学的にはそれほど用心深くなかった前任者より、もっと慎重なものになるであろうと認識するためである。
ベネディクトは、欧州の文化は、リチャード・ドーキンスらには失礼ながら、宗教が占める場所がある、開かれた理性的な議論の文化でなければならないと信ずる。そのような議論の中で、宗教は批判的な質問にさらされるであろう。キリスト教は、確かにベネディクト16世が支持する形で、こうした形での対立に慣れてきた。問題は、教皇のレーゲンスブルクの講演に対する反応の後、イスラムはどの程度、その準備ができているかである。
*マイケル・ウルシュ 作家 1972年−2001年、ヘイスロップ大学司書 著書 The Conclave: A Sometimes Secret and Occasionally Bloody History (Canterbury Press, 2003) The Secret World of Opus Dei (HarperCollins, 2004)
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/faith-europe_islam/regensburg_3920.jsp
注 http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1874786,00.html
教皇の講演全文 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_message143.htm
教皇の遺憾の意 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/index.htm#bene16_3
(翻訳 鳥居英晴)
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