2006年09月26日12時04分掲載
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87歳の女性に禁固31年半の厳しい判決 改悛の情なしと判断
87歳の米人女性が最近、殺人罪で禁固31年半の刑を科され、高齢のため死ぬまで獄中で暮らすことになる事実上の終身刑囚となった。なぜこれほどまで厳しい判決が下されたのか。この女性は31年前に米フロリダ州で13歳の少年を殺害した後、30年間にわたって国内外で逃亡生活を送った。今年4月に同州マイアミで逮捕された。ところが、裁判では罪を悔いるどころか、無罪を強弁。すっかり心証を悪くした裁判官から逃亡生活の30年間にほぼ相当する分を刑として宣告される羽目になった。(ベリタ通信=苅田保)
事件発生は1975年。近所の少年ら数人が、マリア・オテロ被告の所有するアパートのプールに無断侵入して泳いでいた。これを五階に住んでいたオテロ被告がバルコニーで見つけ、銃を持ち出して発砲した。逃げ出していた少年の一人、ジョニー・ペレス君(当時13歳)が後頭部に被弾し死亡した。
同被告は、情状を考慮される第二級殺人罪で翌76年に有罪の評決を受けた。当時の裁判官は、身辺の整理をしたいという同被告の請願を受け入れ、5万ドルの保釈金でいったん自由の身になった。しかし、量刑言い渡しの前に、被告は姿を消した。逮捕状が出されたが、その後30年間地下に潜行した。
逃走したのは、収監逃れのためとみられるが、当時の裁判関係資料では、情状が考慮され、かなり軽い刑が宣告されるはずだった。ともかく、被告はその後、コスタリカ、グアテマラ、プエルトリコを転々。しかし、15年前にマイアミに戻り、アパートで暮らしていた。
05年6月、何者かが警察に、オテロ被告が米国に舞い戻っていることを通報。この結果、今年4月、30年前の未執行の逮捕状により拘束された。
▼「銃が暴発」と強弁
30年ぶりに始まった裁判では、被告の年齢を考慮した判決が出されるはずだった。ところが、被告は「殺意はなかった」と主張した。
少年たちを銃で追い払ったのは、子どもたちが仮にプールで事故にあった場合、持ち主が責任を持たされるためだと主張。バルコニーで滑ってしまって銃が暴発、少年に偶然当たったと弁明した。
9月15日の判決公判でオレンジ色の囚人服で出廷したオテロ被告は、判事に向かって「何も悪いことをしていない」とスペイン語で発言。これに憤慨した判事は、「自分のしたことに罪悪感を感じないのか」。息を継いで、「OK。改悛の情がまったくないなら事は簡単だ」と述べ、長期刑を求めていた検察側の主張にほぼ沿う形で、31年半の禁固刑を宣告した。
同判事は、もっと軽い刑を宣告する準備をしていたが、被告が改悛の情をみせない以上、重刑を選択せざるを得ないと語った。
ペレス君の関係者も法廷に顔を見せた。家族にとっては、事件の衝撃は大きく、判決が出た後も、オテロ被告を許すことはできないと憤慨していた。
同被告は足元が弱っているためか、歩行用の補助具を使っていた。弁護士は判決を不服として控訴する考えだという。
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