2006年10月24日02時25分掲載  無料記事
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独房の壁に血文字で「殺してない」 処刑当日に死刑囚が自殺

 米テキサス州で死刑執行の当日に、死刑囚の男が独房の中で鋭利な刃物で首や腕を切り、自殺した。男は1995年に起きた射殺事件で有罪となったが、独房の壁に、自らの血で書いた最期の言葉を残していた。それは「私は彼を撃っていない」──だった。彼の弁護士や家族はこれまで、主犯は別の男性だと主張してきた。自殺は罪を着せられたまま死刑になることへの“抗議”だったのか。(ベリタ通信=江口惇) 
 
 自殺したのは、死刑囚のマイケル・ジョンソン(29)。米メディアによると、10月19日未明、独房で血の海の中に倒れているジョンソンが発見された。直ちに病院に運ばれたが死亡した。 
 
 ジョンソンは同日の午後6時に薬物注射による死刑執行が予定されていた。死刑囚が獄中で自殺を図ることは、これまでに何度か起きてるが、死刑執行の直前になって自殺するのは例がないという。 
 
 ジョンソンが関与した事件の経過はこうだ。1995年9月10日、当時18歳のジョンソンは、当時17歳のデイビッド・ベストと二人で、盗んだ車で、ダラスから南に走っていた。ワコ近くで、車にガソリンを満たすため、スタンドを物色した。金を払うつもりはなかった。 
 
 スタンドでは、両親を手伝っていたジェフリー・ウェッターマンさん(当時27歳)が応対に出た。ウェッターマンさんは結婚したばかりだった。 
 
 ガソリン代は24ドルだった。ジョンソンは代金を払わず、散弾銃でウェッターマンさんの顔を撃ち殺害した。現場から逃走し、銃は途中でトラック運転手に35ドルで売った。二人は3日後に逮捕された。 
 
▼共犯者が検察と取り引き 
 
 ジョンソンは殺害を否定したが、96年5月死刑宣告を受けた。ジョンソンの有罪の根拠の一つは、ベストが罪を軽くするために検察側に協力し、撃ったのはジョンソンと供述したためだ。ベストは強盗罪で8年の禁固刑に問われ、2003年に釈放となった。 
 
 しかし、ジョンソンの弁護士はその後、ジョンソンが死刑判決を受ける数カ月前にウェッターマンさんを撃ったことをベストが検察側に自供していることをつかんだ。検察側はこの事実を知りながら、裁判では明らかにしなかったという。検察はベストの自供を信用しなかったためとみられている。 
 
 ジョンソンの弁護士は、検察がベストの供述を証拠として出さなかったことに強い不満を抱いている。ジョンソンの自殺後も遺族は、彼は殺していないと話している。 
 
 これに対し、殺害されたウェッターマンさんの遺族は、ジョンソンが犯人であることを疑っていない。19日の処刑にも立ち会う気でいた。自殺したのは、改悛の情からだと考えているようだ。 
 
 一方、テキサス州は全米の中で最も死刑囚が処刑される数が多い。1982年以来、死刑に処されたのは376人。ジョンソンは、テキサス州では、ことし22番目に処刑される死刑囚になる予定だった。 
 
 しかし、死刑囚の処刑数の多さによって、無実の者を処刑したのではないかとの報道も、メディアを通じて何度か流されている。今回はジョンソンが自ら命を絶ってしまったが、更なる検証は今後も続きそうだ。 


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