2006年11月28日18時58分掲載
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引退した英雄ソープ選手に賞賛の嵐 豪州に夢と感動を与えた
スポーツ大国オーストラリアに21日、激震が走った。シドニー、アテネの両五輪大会で金メダル5、銀メダル3、銅メダル1を獲得、同国水泳界で偉大なけん引役を果たしてきたイアン・ソープ選手(24)がこの日正午(現地時間)、思い出深いシドニーで、「現役引退」を表明したからだ。(ベリタ通信=都葉郁夫)
オーストラリア国民は例外なく、同選手の北京五輪(2008年)出場、そして活躍を期待していただけに、突然の「引退」表明が巻き起こした衝撃は、魚雷(トーピード)をもじった同選手のニックネーム「ソーピード(魚雷男ソープ)」の破壊力に勝るとも劣らないものだった。
地元テレビ、ラジオはもちろんのこと、在シドニーの各国特派員たちも「引退」表明を至急報で流し、その中で、ソープ選手が男子自由形で打ち立てた数々の偉業を伝えた。
そして、激震・衝撃の後に、同国内で沸き上がったのが、14歳でのデビュー以来10年間にわたって、同選手がオーストラリア国民に夢と感動を与え続けてきたことへの大きな賞賛だった。
「とてつもないアスリートであり、素晴らしい青年。2000年シドニー五輪での大活躍を国民は忘れることは決してない。これからの成功を願っている」。外遊先のベトナムで「引退」の報を知ったハワード同国首相は同選手に対し、こう賞賛と激励の声を贈った。
ちょうど半世紀前の1956年に開催されたメルボルン五輪で金メダルを獲得した女子の名スイマー、ドーン・フレイザーさんは地元紙エイジの取材に、「現役引退の決断を尊重してあげたい。若いソープ選手はこの10年間、われわれに何と多くの喜びをもたらしてくれたことか。今は『ごくろうさん、良くがんばってくれた』とだけ言いたい」と指摘。かつて自らも経験した現役引退という「苦渋の決断」に至った同選手の気持ちをやさしく思いやっていた。
フレーザーさんはさらに、「ソープ選手はこの国の水泳チームを先頭に立って引っ張ってくれた。でも1人の青年だけにその重い責任を負わせるのは酷なことだ」と話すとともに、「ソープ選手はこの10年間、世界を飛び回ってきた。家で家族と落ち着いて過ごす時間もなかったことだろう。今はゆっくり休み、次の人生に向かってほしい」といたわった。
また、地元テレビ局や新聞社などがインターネットサイトで実施したアンケートでも、その偉業を賞賛する声が相次いだほか、57%が「引退」を勇気ある決断と認め、「北京五輪まで現役を続けてほしかった」の28%を大きく上回っていた。
自由形200、400メートルを中心に、数々の世界記録を樹立してきたソープ選手はこの日、シドニー市内のホテルで会見、「現役引退」発表の際には、わずかに声を震わせ、目にはうっすらと涙を浮かべるなど、決断までの心の葛藤をうかがわせていた。
▼引退発言の要旨
地元紙の電子版(21日付)などによると、ソープ選手の引退発表会見での主な発言は次の通り。
「19日、日曜日の午後2時53分に来年の世界選手権への欠場を決心し、その日のうちに『現役引退』も決断した」
「水泳界で頂点を極めたが、同時につらい時期も経験した。病に倒れ、腕の骨を折るなどのけがもした」
「ここ3カ月間、米ロサンゼルスで行ったトレーニングは順調だったが、その間にも『将来をどうするのか』という問いが頭から離れなかった」
「そして1人の人間として自分自身を見つめることにした。水泳を除いたら、自分に何が残るのだろうか。水泳は自分にとり快適な世界だったが、何かバランスを欠いているような気がした」
「思い至ったのが『(水泳以外の)他のことに挑戦すべきで、水泳は二の次にしよう』だった」
「そう思うことで、次の人生に進む勇気が湧いてきた。『将来』が最も大切なのだと思うようになり、水泳から離れる気持ちが強まった」
「24歳という年齢は引退には若すぎるかもしれないが、今、心の中にあるのは自分の『将来』なのだ」
「この時点での『引退』は適切ではないかもしれないが、自分にとっては『最適な時』だと思う」
「(自分の人生で)これから何が起こるかは分からないが、『現役復帰』はあり得ない」
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