2006年12月26日14時28分掲載  無料記事
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リビアの暗黒裁判 外国人看護婦ら6人に死刑判決 子供へのHIV感染 ミッチェル・ティーレン

openDemocracy  【openDemocracy特約】2006年12月19日、リビアの裁判官は、リビア・ベンガジのアルファテ病院で426人の子供たちにエイズウイルス(HIV)を意図的に感染させた罪に問われている6人の外国人医療従事者に対し、判決を言い渡した。“ベンガジの6人”(5人のブルガリア人看護婦、Kristiyana Valtcheva, Nasya Nenova, Valentina Siropulo, Valya Chervenyashka, Snezhana Dimitrovaとパレスチナ人医師、Ashraf al-Hajuj)に対する2004年の死刑判決は確認され、2006年8月29日にリビアの検察官が冒頭陳述で求刑したように銃殺刑を宣告した。 
 
 裁判官は非人道的な利益を守るために科学をねつ造し、6人の無実の人々に死刑を宣告し、数百人の親たちを子供たちが看護婦と医師によって感染させられ、殺されたと信じさせて、正義ではなく無知が勝るようにさせた。この事件で上訴する最後の試みがうまくいかないと、6人は10月24日に死んだ52番目のHIV感染者のMarwa Annouiji(6)に続くことになるかもしれない。 
 
 そんな酷いことがあってはならない。2006年12月19日、医療、公衆衛生、人道援助はリビアで公開処刑された。世界のすべての看護士、医師、医療労働者は今後、彼らなりにこの悲劇を証言し、この結果を甘受することになるであろう。 
 
 426人の子供たちと6人の医療従事者が複雑な事件の中心にいる。この事件は医療過誤という単純な事件を越えた、いろいろなマクロ経済的、地政学的な要因を伴っている。 
 
権力の影 
 
 リビア人民裁判所の44/1999事件の審理、ベンガジ刑事裁判所の213/2002事件の審理、ベンガジ刑事裁判所の607/2003事件の審理、外国人医療従事者の上告事件に対するリビア最高裁判所の判決はすべて、政治的利益を守るために科学的な証拠を無視することをいとわない司法制度からきている。12月19日、6人の無実の医療従事者に死刑を宣告することで、その制度は英知と法と正義を侵害し、6年間にわたる医療過誤事件に封印をした。 
 
 ネイチャー誌にとって、この事件は「衝撃的な証拠の欠如」にほかならない。2006年10月に発行された特別報告で、ネイチャーの編集長は、事件についての科学的な証拠を要約している。 
 
 2003年9月、2人の教授、Luc Montagnier(訳注:HIVの共同発見者)とVittorio Collizziはベンガジ刑事裁判所で次のように証言した。アルファテ病院でのエイズの発症は被告の医療従事者たちがリビアに到着する以前の1997年までに始まっており、多くの子供たちはB型、C型肝炎に感染しており、病院で不衛生な医療行為が広く行われていたことを示している。 
 
 一方、リビアの裁判官は、5人のブルガリア人看護婦のうちの2人の自白と5人のリビア人医師によるリビアにはHIVも病院の衛生問題もないとする報告に依存し続けた。自白は拷問によって得られたもので、取り消されている。リビアの報告は、科学的知識を無視し、発症の規模は「意図的で悪質な」感染が起きたことを十分証明していると述べている。 
 
 最近発表されたオックスフォードとローマからの国際的なDNA法廷専門家による系統的発生分析によると、MontagnierとCollizziの認定を確認している。患者から取られたエイズウイルスの系統を復元することによって、専門家たちは「ベンガジのエイズウイルスの系統は西アフリカからのものと最も密接に関係しており、リビアにいる多くの渡り労働者を経由した自然に入り込んだものであることを示している」と立証した。それは被告たちに対するすべての医療上の嫌疑を無効にするのに十分である。過誤でないのなら、この事件は一体なんなのか。 
 
過誤と陰謀 
 
 ピューリッツァ賞の受賞者であるローリー・ギャレットはUS Public Library of Scienceのインターネットの医学雑誌PLoS Medicineで、「これには現代における最も深刻な政治的問題がかかっている」と述べている。 
 
 ギャレットの見方では、このリビアのケースは、医療体制の崩壊のスケープゴートを見つけることであり、国際的な医療従事者の移動の自由と国際医療援助の正当性の侵害であり、ロッカビーの悲劇(リビア情報当局による1988年12月のパンナム103機の爆破事件)のいい結末(リビアにとって)を見つけ出すことであり、リビアとブルガリア、欧州連合との地政学的、経済的な関係で優位を保つことである。 
 
 この事件はまた、全体主義政権にとって、国民に対し圧力と支配を維持することである。特に、現政権に反対していることで知られるベンガジ地域でそうすることである。 
 
 リビアの人民裁判所の44/1999事件の公判は2000年2月に始まった。罪状はアルファテ病院で働く医療労働者が外国(すなわち米国とイスラエル)のために、リビアの国家を不安定化させようとしたというものである。さらに、ベンガジの6人は13人のその他の同僚(9人のリビア人を含む)とともに、意図的に「致死物質で殺害し(刑法371条)、国家の安全を攻撃する目的で無差別に殺害し(202条)、有害なウィルスを撒き散らして病気をまん延させ、人々を死に至らせた(305条)」という罪に問われている。 
 
 さらに、ブルガリアの看護婦は非婚姻的な性的関係を持ち、アルコールを用いてリビアの習慣と伝統に反する行為を行ったとされた。2年間の悪夢の後、人民裁判所(3審制のリビアで一審に当る)は国家の安全に関わる事件は裁判できないと宣言し、共謀の罪を裏付けることができずに審理を中断した。リビア人医療関係者は過失に問われ、釈放されたが、ベンガジの6人は獄につながれたままで、拷問を受けた。 
 
 2003年7月、ベンガジの刑事裁判所の213/2002事件の裁判官は、Luc MontagnierとVittorio Collizziの証言にもかかわらず、共謀罪の嫌疑を違法な医薬品の実験の嫌疑に代えた。10ヵ月後の2004年5月、同裁判所で607/2003事件の主任検察官は5人のブルガリア人看護婦とパレスチナ人の医師に対し、426人の子供たちに意図的にエイズウィルスを感染させたとして銃殺による死刑を宣告した。その時になって被告たちは国際的な司法支援を求めた。 
 
 この国際的な結集と多くの弁護協会、人権活動家、有力な道徳的権威(114人のノーベル科学賞受賞者を含む)からの抗議によって、リビアの最高裁判所の判事は2005年5月、死刑判決を覆し、裁判のやり直しを命じた。これが2006年12月19日に宣告された最終の上訴審裁判である。 
 
 この長いプロセスの間に政府間の外交は非政府のものよりより慎重であった。リビア政府は公にブルガリアに対し、供の犠牲者の家族に経済的に補償を支払うように求めた。偶然の一致であるのかないのか、補償額はパンナム機爆破事件で270人の死者に対しリビアが支払った額と同じであった。 
 
 2006年12月14日、欧州委員会は「ベンガジでのエイズとの戦いを支援し続けるため」に50万ユーロの支払いを発表した。それは2005年7月と2006年3月の、それぞれ100万ユーロの2回の援助に続くものであった。それらはすべて2004年11月に始まった長期の「ベンガジのためのHIV行動計画」の一部であり、リビア当局が実施した。 
 
 欧州連合(EU)の対外関係担当委員のベニータ・フェレロ・ヴァルドナーは援助の更新の際に、「ベンガジ行動計画のこれまでの前向きな達成に喜んでいる」と述べ、さらに「これらの行動は信頼と提携の環境を強めるために非常に大事である」と語った。 
 
暗闇の中へ 
 
 リビアの最高裁判所は医療と公衆衛生の世界に傷を負わせ、その先例の暗い記憶をほうふつさせた。医療と公衆衛生の歴史がぞっとする偶然の一致を好むかのように、12月19日は15年前と60年前のふたつの悲劇とともにその位置を占めるであろう。 
 
 ・1991年11月19日、旧ユーゴスラビアのボコバル病院への攻撃。数十人の医療従事者が多くの患者とともに死亡した。 
 ・ニュルンベルクの裁判の医療事件での冒頭陳述。1946年12月9日の「ナチス・ドクター」裁判で、20人のナチスの医者は「医療科学の名において行われた殺人、拷問その他の残虐行為」に問われた。 
 
 リビアにとって、そのような恐ろしい先例を繰り返す危険から逃れる選択肢が与えられている。世界市民として世界の国々に加わり、全体主義的亡霊を打ち破り、その国民に適切な司法と医療水準が手の届くものにする緊急の必要があることを受け入れることである。2006年12月19日の決定は、そうした機会を意固地に拒否していることを示しており、感染した子供たちの悲劇をさらに深めるだけである。 
 
 トリポリの最高裁判所の入り口では、正義が下されたと思った数百人の両親たちは、判決を祝った。彼らは、子供たちを殺したのはこれら無実の看護婦や医師ではなく、汚い政治と不衛生な病院の状態であると知るであろうか。リビアでは374人のエイズウイルスに感染した子供たちが生きており、リビアのすべての患者、看護士、医者とともにますますぜい弱になっており、これらのつかのまの祝賀は、リビアの政治と政権が実際にはどのようなものなのかを象徴させている。 
 
 誤判と宣告すれば、ヒポクラテスの伝統の真の意味で人道的治療者として行動することを決めた6人の医療従事者の命を救うことができた。世界中の人道的医療従事者の自由な移動と困っている弱い人々に自由に手を差しの伸べることを可能にしている医療の中立性の原則を再確認することができた。 
 
 そうはならなかった。医療と公衆衛生の中立性を守ることをせずに、リビアはそれ自身の最高の利益と願望を主張する機会を逃がした。しかし、不幸はリビアだけではない。医療の世界全体である。 
 
*ミッチェル・ティーレン 人道問題、人権に関わるベルギーの医師。10年以上、非政府組織と国連で緊急行動に従事。1995年から1996年の間、世界保健機構(WHO)のボスニア北部での事務所長。現在、WHOのジュネーブで統計部で医療科学者として勤務している。本稿は同氏の個人としての見解である。 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 
 
 
原文 
http://www.opendemocracy.net/democracy-vision_reflections/libya_bulgaria_4200.jsp# 
 
ネイチャー誌原文(PDF) 
http://www.nature.com/nature/journal/v443/n7114/pdf/443888a.pdf 
http://www.natureasia.com/japan/focus/aidsmedicslibya/index.php 
 
 
パンナム機爆破事件 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%A9%9F%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 
 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


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