2007年02月16日15時09分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200702161509455

“冤罪”が晴れ20年ぶりに自由の身に 損賠請求額1億円近くに

  1985年に米カリフォルニア州で起きた強盗・殺人事件で刑務所に服役していた男性がことし2月、裁判での証拠認定で誤りがあったとして、20年ぶりに刑務所から釈放された。刑務所に入ったときは19歳だったが、現在は既に39歳。青春時代の大半を刑務所で過ごした形になった。男性の無実を主張してきた法律支援組織「イノセント・プロジェクト」では今後、損害賠償請求訴訟を起こす考えで、請求額は、80万ドル(約9600万円)近くに達する見込みだという。(ベリタ通信=江口惇) 
 
 自由の身になったのは、ティモシー・アトキンスさん。事件は1985年1月に起きた。花屋経営者ビンセンテ・ゴンザレスさんの乗った車が二人組の強盗に襲われ、犯人は銃を発砲し、ゴンザレスさんは死亡した。 
 
 捜査当局はその後、アトキンスさんと友人のリッキー・エバンスさんを逮捕し、起訴した。リッキーさんはその後、裁判が始まる前に、刑務所内で暴行を受け死亡している。アトキンスさんは87年に有罪となり、禁固32年の刑を受けた。 
 
 有罪の決め手となったものの一つは、当時アトキンスさんの知り合いだった女性のデニーズ・パウエルさんが、警察の取り調べに対し、アトキンスさんら二人がゴンザレスさん殺害を自慢していたと証言したこと。 
 
 また殺害されたゴンザレスさんと一緒にいた妻マリアさんが、車に近づいてきた男性の一人はアトキンスさんだと証言したことなども補強証拠となった。 
 
 この事件の真相解明に乗り出したのが、大学の法学部教授や大学院生、それに弁護士らで構成される組織「カリフォルニア・イノセント・プロジェクト」。これまでにも数人の冤罪を勝ち取っている。 
 
 「プロジェクト」の関係者が2005年初めに、パウエルさんを探し出し、当時のことを聞いたところ、警察の圧力でうその証言をしたことを打ち明けた。パウエルさんは改めて証言を変更する法律文書にサインした。 
 
 長年薬物中毒に苦しんでいるパウエルさんは、アトキンスさんにした仕打ちを大変後悔しているという。 
 
 裁判所はことし2月、アトキンスさんの有罪の決め手となった証言が撤回されたとして、直ちに釈放を命じた。検察側は再び裁判で争うかどうか、60日以内に決定する必要があるという。 
 
 20年ぶりに釈放されたアトキンスさんは、家族や支援組織の人々の歓迎を受けた。アトキンスさんは釈放後、無実を晴せないまま、刑務所内で死亡したリーッキーさんを偲んでいるという。生存していれば、同じように嫌疑が晴れたとの思いからだ。 
 
 最近、DNA鑑定などで、受刑者の冤罪が晴れるケースが目立っている。しかし、アトキンスさんのように、証人がうその証言をした場合には、冤罪だと証明するのは大変な労力を必要とするという。 
 
 「プロジェクト」関係者は、アトキンスさんの有罪となった裁判では、うその証言や、誤った目撃証言などで冤罪が作られていく過程を浮き彫りになったと指摘している。今後州当局に対し、自由を束縛された代償を一日100ドルと計算して、損害賠償請求の訴えを起こす考えだ。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。