2007年02月24日19時20分掲載
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貪欲から知足へ大転換を 仏教経済思想に立って 安原和雄 (仏教経済塾)
私は2007年2月20日、国際文化会館(東京・港区六本木)で開かれた「グローバルジャパン特別研究会」(米欧亜回覧の会=泉三郎理事長=主催)で「貪欲から知足へ大転換を―仏教経済思想に立って」と題して講話した。
その趣旨は、(1)軍事力依存症にかかった米国のブッシュ政権、それに追随する日本の安倍政権は共に世界の中で孤立しつつあること、(2)そこから脱出するための針路として従来の貪欲執着路線から知足追求路線への大転換が不可欠であること、(3)望ましい日本の路線選択として石橋湛山の小日本主義に学び、それを継承発展させること―などである。
▽仏教経済思想の8つのキーワード=いのちと知足と持続性と
仏教経済思想を最初にかなり詳しく論じたのは、ドイツの経済思想家、E・F・シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』(邦訳は講談社学術文庫、原文=英文の著作は1973年に出版)の第4章仏教経済学においてである。シューマッハーは仏教経済学の特質について「仏教抜きの経済学は、愛情のないセックスと同じだ」と喝破した。
私の唱える仏教経済思想は、釈迦の教えやシューマッハーに学びながら現代経済思想(ケインズ経済学、昨今流行の自由市場原理主義など)への批判から出発して、次の8つのキーワードからなっている。(かっこ内は現代経済思想の特質を示している)
*いのち尊重(いのち無視)
*知足=これで十分(貪欲=まだ足りない)
*簡素(浪費、虚飾)
*非暴力=平和(暴力=戦争)
*多様性(画一性)
*共生(孤立、孤独)
*利他主義=利他的人間観(利己主義=利己的人間観)
*持続性=持続可能な「発展」(非持続性=持続不可能な「成長」)
以上の「いのち尊重」をはじめ8つのキーワードに相当するものは、現代経済思想には欠落しているのであり、昨今の暴力や利己主義横行による世の乱れの一半の責任は現代経済思想そのものにもあることを強調したい。
(詳しい説明は「21世紀の持続的経済社会とは」=仏教経済塾に07年1月19日掲載、
「なぜ〈仏教〉経済学なのか?」=同06年7月26日掲載、「緑の政治がめざす変革構想」=同06年7月24日掲載、などを参照)
▽貪欲(=非持続型社会)から知足(=持続型社会)への大転換
「持続的発展=持続可能な発展(Sustainable Development)」という概念は1992年の第1回地球サミット(国連主催)で打ち出されたもので、私は以下の3つの特質から成り立っていると考える。単に経済発展と環境保全との両立、をめざすものと捉えるのは狭すぎる。
1)「量の拡大」から「質の充実」への転換=貪欲から知足への転換
プラスの経済成長、つまり経済活動の量的拡大を追求するのは、貪欲経済路線にほかならず、これでは地球環境、資源エネルギーの有限性からみて破綻に見舞われるほかない。いいかえれば持続的発展は期待できない。持続的発展のためには、量的拡大を伴わない経済生活の質の充実(自然環境保全、安全・安心、連帯感、健康、文化中心)をめざす知足経済路線への転換が不可欠である。知足こそが持続型社会を保障する。
2)一切の暴力の拒否=非暴力、簡素、知足、利他のすすめ
平和=非戦、という平和観が日本では多いが、これは狭い平和観である。平和=非暴力という広い平和観が必要である。
ここでいう暴力は多様で、戦争(軍事力の保有自体も含む)、紛争、テロはもちろん、そのほか人間の活動による地球環境の汚染・破壊(地球温暖化、異常気象など)、資源エネルギーの収奪・浪費、凶悪犯罪、交通事故、貧困、飢餓、食料・水不足、感染症などの疾病、文盲、失業、人権侵害、不公正(勝ち組・負け組による格差拡大など)―などを指している。
こういう多様な暴力は貪欲の表れであり、それを抑制・拒否することは、簡素、知足・利他のすすめにほかならない。
3)動植物、人間を含む地球上のすべてのいのちの尊重=人間中心主義から生命・地球中 心主義への転換
人間中心主義(ヒューマニズム)は、その人間尊重の精神は是認できるものの、人間が自然よりも上位にあり、自然、動植物を支配するのは当然という発想になりやすいところに弱点がある。これでは人間活動による地球環境の汚染・破壊に歯止めがかからない。生きとし生けるものすべてのいのちを平等に尊重する生命・地球中心主義に立ってこそ初めて人間と自然との多様性、共生を重視し、知足、利他の実践も可能となる。
以上のような持続的発展の原理が貪欲と知足を分ける基準として活用できる。持続的発展の枠を超えるのが、貪欲であり、一方、持続的発展の枠内に収まっているのが知足である。経済成長でいえば、プラスの経済成長に執着するのは貪欲であり、一方、ゼロ成長、マイナス成長は知足の実践である。貪欲路線にこだわり続けると、地球環境、経済活動さらに人間の暮らしも持続性を失い、破局に落ちこむ。それを避けるにはどれだけ多くの人が貪欲の愚かさ、そして知足の智慧に日常感覚として気づくことができるかにかかっている。
さて残念ながら日米両国は世界の中で孤立への道を進みつつあるというのが私の現状認識である。孤立を避けるためには何をなすべきなのか。
▽「9.11テロ」(2001年)と「もう一つの9.11テロ」(1973年)について
米国での「9.11テロ」(2001年の同時多発テロ)について当時の多くの新聞は、「文明への攻撃」と断じた。私はその直後の講演で「新聞は自殺した」と論じた。それは自ら言論の自由を投げ捨てたという意味である。なぜか。9.11テロを文明への攻撃だと認識すれば、そのテロ集団への武力行使は容認せざるを得ないことになる。事実、その後のアフガニスタン、さらにイラクへの米国主導の攻撃を多くの新聞は容認し、自縄自縛に陥り、自由な言論を封じる結果となった。
ここで考えてみるべきことは、米国の軍産複合体を含む米国の国家権力集団こそ世界最大のテロリスト(国家テロ)集団ではないか、である。第2次大戦後米国による大量殺戮の事例に事欠かない。その米国にテロを断罪する資格が果たしてあるのだろうか。
例えばベトナム侵略(1975年米軍の敗走によって戦争は終結)である。米軍も5万人を超える犠牲者を出したが、ベトナム側の犠牲者は300万人、しかも米軍が空から撒いた猛毒・枯れ葉剤による後遺症でいまなお呻吟し、生活権を奪われているベトナム人は多数にのぼっている。
さらに「もう一つの9.11テロ」を挙げる必要がある。南米のチリで民主的に選出されたアジェンデ社会主義政権が1973年9月11日、ピノチェト将軍率いる軍事クーデターによって倒された。アジェンデ大統領が殺害されたほか、数千人の支持者たちが虐殺されるか、今なお行方不明のままとなっている。この軍事クーデターを裏で後押ししたのが米国CIA(中央情報局)とされている。
▽アメリカ「帝国」の崩壊過程と5つの敗戦、進む日米の孤立化について
米国は世界最強の軍事力と自由市場原理主義のグローバル化によって世界の覇権をめざしているのだから「帝国」と呼んで差し支えないだろう。しかしその帝国の影響力が急速に低下しつつあり、事実上崩壊過程に入っている。何よりも米国の5つの敗戦がそれを物語っている。
第1はベトナム戦争の敗戦、第2は「9.11テロ」(01年)を強大な軍事力をもちながら防げなかった敗戦、第3は独仏のイラク攻撃への拒否、そしてイラク攻撃の挫折、第4は1100人を超える死者を出した大型ハリケーン「カトリーナ」襲来(05年夏)による米国南部の破壊、第5は米国の裏庭、南米における左派政権の台頭と反米・反自由市場原理主義の動き―である。
共通しているのは軍事力偏重による大義の喪失であり、軍事的暴力と報復の連鎖であり、さらに貧困と暴力の悪循環である。特に第5の敗戦には米国流自由市場原理主義への反乱という要素が濃厚にみえてくる。
以上の敗戦は、世界における米国の孤立化が顕著になってきたことを示すもので、その米国と軍事、経済面での一体化を強化しつつある日本もこのままでは孤立化への道を進むほかないだろう。
▽非武装の中米・コスタリカと公正・平和をめざす世界社会フォーラム
以上のような日米の孤立化の路線とは異質の針路が現実にあることに着目したい。
一つは非武装中立の平和外交を進める中米・コスタリカで、1949年の憲法改正で軍隊を全廃し、今日に至っている。
コスタリカは軍事力を捨てたお陰で浮いた軍事費を自然環境の保全、平和・人権教育、社会保障などに回して、安心・安全で豊かな国をつくりあげている。「軍事力つまり暴力を持たず、行使しないからこそ、外国からの侵略つまり暴力を招く恐れもない」というのがコスタリカ国民の平和・安全保障観になっている。大いに学びたいところである。
もう一つは世界経済フォーラム(通称「ダボス会議」)に対抗する世界社会フォーラムの動向である。前者は米欧日を中心とする世界の政治経済リーダー、エコノミストたちの集まりで、スイスの観光地、ダボスで毎年1月下旬に開かれる。07年1月には約2000人が集まった。同フォーラムはグローバル化と自由市場原理主義の推進本部ともいうべき存在である。
これに対し、後者の世界社会フォーラムは市民、民衆が主役で、「もう一つの世界」つまり自由市場原理主義に反対し、公正で平和な社会づくりをめざす運動である。07年1月にはケニアの首都ナイロビで開かれ、世界各国のNPOなど約6万5000人が集まった。
▽日本の望ましい路線選択 ― 石橋湛山の小日本主義に学んで
世界の中で日本が孤立化への道を進むのを避けるためにはどういう路線選択が望ましいだろうか。蔵相、首相を歴任した石橋湛山(日蓮宗の信徒)の小日本主義に学び、継承発展させる必要があると考える。
湛山の小日本主義論の特色は次の5つにまとめることができる。
1)領土拡大をめざす戦前の大日本主義のアンチ・テーゼであること
2)軍備拡張は亡国への道であると認識していること
3)平和憲法第9条「戦争放棄と戦力不保持」を世界に先駆けた理念としてきわめて高く評価していること
4)平和憲法と日米安保条約(日本の自衛力の維持発展を明記)とは矛盾しており、平和憲法の理念を優先させ、それに立脚すべきであること
5)世界とアジアの平和のために「日中米ソ平和同盟」の締結を提唱したこと
これを地球環境時代にふさわしく修正しつつ、継承発展させて、21世紀における望ましい日本の路線選択―「従来の貪欲路線から知足路線への大転換構想」として次の3つをあげたい。
1)知足・非暴力・簡素な経済への構造転換
2)平和憲法理念の活用と「持続的発展」条項の導入
3)自衛隊の非武装「地球救援隊」(仮称)への全面改組
▽知足・非暴力・簡素な経済への構造転換を進めること
簡素な経済への構造転換策として以下の4本柱を提案したい。これらがすべてではないが、重要な柱になり得る。
*循環型社会づくり(5Rの実践=Reduce・削減、Reuse・再利用、Repair・修理による長期使用、Rental・レンタル利用、Recycle・再生利用)
*財政・税制のグリーン化(軍事費の撤廃、消費税の廃止と高率環境税の導入など)
*脱「車」社会の構想(自家用車中心から公共交通・自転車・徒歩中心への転換)
*農業の再生と食料自給率の向上(地産地消、旬産旬消の感覚を取り戻そう)
湛山は昭和20年代の敗戦後経済の復興にケインズ経済学の立場から蔵相として取り組んだ。戦時経済から平和経済への転換には功績があったが、今日、もはやケインズ経済思想に学ぶところは少ない。ケインズ自身「貪欲が必要」といっており、ケインズ経済学は貪欲の経済思想だからである。
ここでは農業再生と食料自給率向上の重要性に言及したい。わが国の食料自給率は先進国では極端に低い40%にすぎず、残りの60%を海外に依存している。これは何を意味するか。食料はいのちの糧(かて)だから、日本人はいのちの60%を海外、いいかえれば地球全体に依存し、預けていることを意味する。しかも地球温暖化、異常気象を背景に近未来の水・食料不足が大きな懸念材料になってきた。
こういう現実を踏まえれば、日本人に必要なのは、安倍首相のお好きな「戦争のために命を捨てる狭い愛国心」ではなく、地球全体への愛を意味する「愛球心」ではないか。食料自給率を高めることと愛球心を育てることーこれが今後の日本の生存条件の有力な柱になるだろう。
▽平和憲法に「持続的発展」条項を追加すること
以下の追加条項は試案にすぎないが、「持続的発展」を憲法に盛り込むことは、世界でも前例がないはずであり、平和憲法の理念を一層活力に満ちたものにするだろう。湛山は9条の平和理念を高く評価し、日米安保条約よりも優先させるべきだと説いた。その精神を21世紀に継承発展させることにつながる。
*9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)への追加条項=「日本国民及び国は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と世界の通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力しなければならない」
*25条(生存権、国の生存権保障義務)への追加条項=「すべての国民、企業、各種団体及び国は生産、流通、消費及び廃棄のすべての経済及び生活の分野において、地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努めなければならない」
▽自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)に全面改組すること
東西冷戦の終結後、地球環境問題が最重要課題となっている今日、軍事力はもはや有効ではないどころか、むしろ巨大な軍事力そのものが脅威となっている。軍事力は「百害あって一利なし」である。しかも国民に不必要な消費税などの増税を強いる。
そこでコスタリカの非武装中立路線に学びながら、日本としても平和憲法の理念を生かすための非武装化の構想を模索すべき時である。これは簡素な経済への構造転換の柱の一つ、財政・税制のグリーン化として「軍事費の撤廃、消費税の廃止」を提案していることと連動している。
ただし自衛隊の非武装「地球救援隊」への全面改組には日米安保=軍事同盟の解体と東アジア平和共同体の結成が必要不可欠である。
湛山は首相退陣後、岸信介・池田勇人首相時代に「日中米ソ平和同盟」の締結を提唱した。これは日米間の日米安保条約を中国、ソ連にも広げ、相互安全保障条約にするという構想である。当時のフルシチョフ・ソ連首相は「原則的に賛成」と回答し、周恩来中国総理も「私も以前から同じようなことを考えていた。中国はよいが、問題は米国だろう」と言ったという湛山の証言が残っている。
こういう湛山の平和構想を今日の地球環境時代にふさわしく継承発展させるのが非武装「地球救援隊」の構想である。
(「地球救援隊」のより詳しい説明は「緑の政治がめざす変革構想」=仏教経済塾に06年7月24日掲載を参照)
*安原和雄の仏教経済塾
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