2007年04月13日13時15分掲載  無料記事
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迷走する安倍首相の二枚舌、真意はどこに? 従軍慰安婦問題

 3月の初め、米国下院で日本の戦時中の従軍慰安婦問題に関する決議案の審議が始まり、安倍首相は「狭義の意味では強制ではなかった」と主張。その一方で、1993年に政府としての関与を認め、元「従軍慰安婦」に対し「お詫びと反省の気持ち」を表明した河野洋平官房長官(当時)の談話も否定しないあいまいな態度を取っている。このような二枚舌をつかう日本政府を、近隣諸国やオーストラリアのような関係国に住む人々はどのようにみているのか、アジア市民権ネットワークの代表でもある、オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキがドイツとの比較を盛り込みながら分析している。(TUP速報) 
 
 
従軍慰安婦:ほんとうのことを言う時(普段使っている普通の意味で) 
テッサ・モーリス・スズキ 
2007年3月8日 
 
 2000年8月、ドイツではナチ奴隷労働の何万人もの生存者を補償するために強制労働補償基金が設けられ、51億ユーロの基金が戦時中の奴隷労働の使役にかかわったドイツ政府や企業によって共同で出資され、2005年までには、7万件以上の補償請求が認められている。 
 
 日本史の研究者の中には、日本とドイツの戦争責任に対する姿勢の比較に反対する者もいる。確かに、過去に向き合う「良い」ドイツとそうでない「悪い」日本と、単純に二分するのは深刻な誤解を生む。歴史的責任へのドイツの姿勢は、複雑で、さまざまな意見がある。そのうえ、ドイツの主要な問題はホロコーストへの責任であり、それは、日本の歴史において、これに明確に相当するものはない。 
 
 一方、日本には政府を説得して、戦時中の過ちに対する責任をとらせようと何十年も戦う、多くの決然とした勇敢な学者、ジャーナリスト、弁護士、および一般市民がいる。困難と、時には落胆をともなう状況のなかでの彼らの努力は称賛に値する。おおやけに日本の歴史的責任の問題を提起すると、多くの場合警察がとりたてて犯罪として扱おうとしない、暴力的な脅しをちらつかせた口汚いメッセージの集中砲火に直面する。 
 
 しかしながら、強制労働の問題では、日本とドイツの違いははっきりと対照的だ。日本も戦時中、鉱山と工場で働くために非常に多くの強制労働者を徴用した。しかし、日本の場合は、この強制的徴用の暗部として、いわゆる「慰安所」に収容され、日本軍の手による強姦やその他の性的虐待を受けた女性の強制的な徴用があった。 
 
 また、ちょうどドイツが強制的に労働者を徴用したかどうかについて論議を必要としないように、「慰安所」が存在したという事実に疑問の余地はない。ドイツ政府は強制労働を認め、謝罪し、賠償金の支払いを行ったが、しかしこれまで何人もの著名な日本の政治家たちは、戦時中に徴用された労働者と「従軍慰安婦」の双方とも、本質的に強制であったことを認めたがらない。2007年3月の最初の週にトップニュースを飾ったのはこの後者の問題である。 
 
 これより2週間ほど前、米下院では日本政府に対し、戦時中の「従軍慰安婦」の戦時暴力を謝罪し、この事実について正確な公教育を行うよう要求した下院決議案121号に関する審議が始まった。議会がそのような決議案について審議するのは決してはじめてではないが、このたびの議論は特に多くの国際的な注目を集めた。 
 
 米国議会決議案に対し、3月1日、安倍晋三首相は「従軍慰安婦」の募集が「狭義の意味の(軍の)強制性は、それを裏付ける証言はなかった」とコメントした。数日後の国会答弁で彼はこの発言を繰り返し、「狭義の意味での強制とは」、明らかな事実として、「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く」ことがなければならないと述べた。米国議会決議の結果がどのようなものであれ、彼および彼の政府は謝罪しないと明言したことからも、安倍首相には「従軍慰安婦」の徴用は「広義の意味で」強制的であったと主張することに、何の問題も、また一切の歴史的責任も感じていないことは明らかである。また、麻生太郎外相は米国議会決議案を「客観的事実に基づいていない」と非難した。 
 
 これらの発言を読み、私は、もしドイツ政府がナチの強制労働に対して「狭義の意味での強制」ではなかったので歴史的な責任はないと主張したら、国際的な反応はどんなものかと想像した。また、もしこの強制労働を積極的に否認するドイツの大臣のひとりがクルップという名で、その名の財閥の直系の子孫であったとしたら、世界はどのように反応するだろうかと、考えた。(訳注:クルップ社はドイツの重工業企業。父親から工場を受け継いだアルフレート・クルップが事業を発展させ、第二次世界大戦中にはドイツ軍向けに、戦車や大砲などの兵器を製造したことでも有名) 
 
 「従軍慰安婦」が被らなければならなかった悲運に対する責任の拒否は、もちろん、アジアの隣人やオーストラリアを含む地域のパートナーとの関係にとって非常に重要な問題である。オーストラリアの元「従軍慰安婦」ジャン・ラフ・オハーン(訳注:オランダ語ではジャンヌ・オフェルネ)は、戦時中の「慰安所」での強姦と虐待の経験に関して直接米国議会で心を動かすような実体験に基づく証言を行った人々のひとりである。オーストラリアとの緊密な関係を望む安倍の熱意は広く報道されてきており、彼の首相としての在り方に、日本とオーストラリアの友好関係の新たな局面の始まりを見るものもいる。しかし、日本政府は安倍首相や麻生外相のコメントが、韓国や中国だけでなく特に戦争の記憶が生々しく残っている(オーストラリアのような)多くの国々において、日本の国際的イメージを損なわせたことを把握できないように思える。北朝鮮によって拉致された日本人の運命は近年日本国内で激しい感情を引き起こし、安倍自身も感極まって、公衆の面前で彼らの苦況に涙を流した。なのになぜ安倍や彼の政権にいる人々は、ジャン・ラフ・オハーンのような人々の体験が同じような感情をオーストラリアや近隣諸国に抱かすかもしれないと想像できないのか、人は不思議に思う。 
 
■強制と従軍慰安婦 
 
 「慰安所」の歴史にまつわり多くの混乱と論争があるが、いくつかの明白な事実がある。戦時中、日本軍の軍人が使用するための売春所が、アジアの占領地域全体につくられた。1932年には最初のものが設置され、その大部分は1937年に中国と全面的戦闘状態になった後につくられた。なかには、民間人が利益を得るために営業したものもあったが、そこも頻繁に出入りしたのは日本軍軍人であった。その他は直接日本軍によって設立され運営された。中曾根元首相は海軍の部隊が使うためにボルネオ島の「慰安所」建設の予算を許可したことを彼の回顧録でふれている。 
 
 これらの場所で働くために徴用された女性の数は定かではなく、予測は2万から40万と大きく異なるが、歴史家吉見義明氏が細心な研究を行い、その範囲を5万から20万と狭めている。また、徴用の方法と女性が置かれた環境はそれぞれの状況により大きく異なる。以前に売春婦として働いていた日本人女性や、ある意味で「自発的」──貧苦や借金、また絶望の抑圧から追い込まれたものも多くいた。大半は韓国と中国からの女性だった。その多くは工場やレストランの仕事だとの約束につられ、家庭からおびきだされ、異郷の「慰安所」で監禁された。韓国、東南アジアやその他の地域には、銃口を突きつけられ集められた女性もいた。「慰安所」に連れてこられる前に軍人によって強姦された女性もいた。 
 
 多くの人間が──軍人だけでなく、韓国の植民地警察(もちろん、日本の指揮下の)や民間人ブローカー(それらブローカーは今日人身売買業者によって使われるのと同じ詐欺の手口を使った)が「従軍慰安婦」の徴用にかかわった。同じように鉱山や工場への強制労働の徴用に際しても、まぎれもない暴力行為や脅迫、また偽の約束など、様々な手口が使われた。 
 
 このことを証拠づけるのは、耐えがたい痛みと乗りこえなければならなかった烙印にもかかわらず、自らの体験を話すために進み出た非常に多くの女性の証言である。また、「慰安所」を使用した元軍人と、そしてそれらを設立するのにかかわった中曽根元首相のような人々の証言もある。多くの書類は戦争の末期に(誤ってか、または意図的にか)破棄されたのだが、残存する戦場日誌とともに、「慰安所」の規則や運営を詳述した文書は、日本軍が慰安所制度の設立と運営に関わっていたことを明らかにする。それだけでなく、吉見義明氏によって掘り起こされた公文書からも、この事実は確認される。 
 
 1991年12月から1993年8月にかけて、日本政府は従軍慰安婦問題の調査を行った。調査結果に基づいて、1993年8月4日に当時の河野官房長官は談話を発表した。談話において同氏は次のように述べている。 
 
 「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」 
 
 河野氏は、続いて「従軍慰安婦」として「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けたすべての方々」に政府の「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明し、以下の約束をした: 
 
 「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」 
 
 この談話に従い、1995年に、村山内閣はアジア女性基金の設立を支援(設立したのではなく)した。アジア女性基金は、何らかの金銭による賠償を生き残った犠牲者に提供するために、一般市民から寄付を集めることを計画した。しかしながら、多くの犠牲者が、補償金を支払うのは日本政府の義務であるという原則に立ち、アジア女性基金からの補償を受け入れることを拒否した(基金は、その事業の2007年3月31日の終了にともない、解散すると予想される)。 
 
 1996年に、国連人権委員会によって任命された特別報告者は「従軍慰安婦」問題に関する詳細報告を発表した。結論は明確である: 
 
 「特別報告者は、大部分の女性は、自らの意思に反して慰安所に置かれたこと、日本帝国軍は、大規模な慰安所網を設置し、規制し、かつ監督したこと、かつ日本政府は慰安所に責任があることについて完全に確信を得た。これに加えて、日本政府は、国際法上これが示唆するところから発生する責任を取る覚悟をすべきである。」 
 
 元「従軍慰安婦」と「慰安所」に訪れた元日本軍人を含むその他関係者からのさらなる証言はアジアの女性グループが集まって2000〜2001年に開かれた民間のフォーラム、女性国際戦犯法廷で集められた。法廷の主な主催者は受賞歴のある日本人ジャーナリスト松井やよりさん(2002年没)であり、提出された証拠はガブリエル・カーク・マクドナルド氏(ユーゴスラビア戦犯法廷の前所長)を含む国際法学者らによって証拠評価された。 
 
 要約すると、必ずしもすべての「従軍慰安婦」が銃口を突きつけられて駆り集められたわけではないが、そうされた者もいた。「サービス」に対して支払いを受けた者もいたが、ほとんどはそうでなかった。すべての「慰安所」が軍の直接管理であったわけではない。しかしそれは、膨大な数の女性が、暴力によるか、強制的であったか、または騙されるかして、結果的に彼女らの一生涯に影響を及ぼした恐ろしい性的暴力の犠牲となる状況に連れ込まれたという事実を打ち消すものではない。私は疑う、「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けた」多くの人々が、その傷が、「広義」の強制の結果であったか、あるいは「狭義」の強制の結果であったかなどと思い悩んで月日を過ごしてきたであろうか、と。 
 
 日本のシステムは、この意味ではナチの強制労働のシステムとなんら違いはない。ある専門家の言葉を借りればそのシステムは、「自発的応募にまかせるかと思えば、脅しや暴力はもちろん賃金を支払うともちかけるなど、しょっちゅう変わる矛盾の多い政策と、予測不可能な方針転換」の複雑な混合物なのだ。 
 
■暴力の遺産 
 
 米国議会が「従軍慰安婦」問題に関する決議を審議している間、保守的な日本の議員グループ(政権与党の自由民主党員たち)は、政府に河野氏の謝罪を公的に否認させようと圧力をかけている。安倍のコメントとそっくりそのままの彼らの主張は、「従軍慰安婦」が「本人の意思に反する業者の強制連行はあったかもしれないが、軍や官憲による強制連行はなかった」ので、従軍慰安婦にそのような謝罪の必要は全くないということである。 
 
 この否認は、「従軍慰安婦」に対し公正な対応を要求している人々は、偏見に満ちた無知な「日本叩きをする連中」にすぎないという主張とワンセットになっている。例えば、保守的な産経新聞のジャーナリスト古森義久氏による記事は、米国議会決議案の「前提には慰安婦はすべて日本軍に直接に強制徴用され、河野談話も村山談話も明確な謝罪にはなっていないという決めつけがある」と述べている。 
 
 古森氏は決議案を注意深く読んだように思えない。下院決議案121号は(マイケル・ホンダが提案者、戦時中に米国の戦時強制収容所における収容を経験した日系アメリカ人)、確かに「帝国陸軍への性的な奴隷制度への若い女性の強制」について言及しているが、どこにも、すべての募集が軍隊によって実行されたと示唆していない。反対に、日本の政府が「帝国陸軍に対する性的隷属を唯一の目的として若い女性の獲得を”公式に委託”した」(””は原文著者による強調)と慎重な言葉遣いで述べている。また、決議案は、「日本政府関係者と一般市民の尽力と同情が1995年に民間のアジア女性基金の設立をもたらした」ことを褒め、1993年の河野談話での謝罪を言及している。しかしながら、河野談話に示された謝罪撤回の動きと、アジア女性基金の解散に懸念を示し、その文脈で日本政府が「従軍慰安婦」の歴史に関して改めて謝罪し、情報を広めるように求めている。つまり、決議案の本質は、日本政府が河野氏の約束を果たすことを要求しているのである。 
 
 米国議会決議案の慎重な言葉遣いと日本が過去に謝罪を認めていることを考えれば、麻生外相がなぜ「事実に基づくものではない」と決議案をしりぞけるのか理解しがたい。しかし、一方で麻生にとっては、事実が厳密に調べられなかったことが都合が良いのかもしれない。イギリスのジャーナリスト、クリストファー・リードの報告によれば、麻生氏自身が、麻生財閥の子孫であり旧財閥系企業である麻生セメント株式会社の元代表取締役である。(戦時中、吉隅炭坑で少なくとも300人の連合軍捕虜:イギリス人101人、オーストラリア人197人、およびオランダ人3人を労働させ、同様に、何千人もの朝鮮人強制労働者を雇用した) 
 
 安倍首相と麻生外相が否認して、いったいどのような目的が達せられるというのだろう? 米国議会決議案否決を促進するという目的に適わないことは確かである。それどころか、彼らの発言は議会決議案に”反対する”(””は原文筆者による強調)米国議員を真剣に当惑させた。米国の決議案121号の反対者の主な戦略は、日本の政府が既に十分に「従軍慰安婦」の受難に陳謝しており、さらにその問題にふれる必要は全くないと主張することだった。安倍首相と麻生外相は反省を回避することで、彼らに最も近いアメリカの味方の足元をすくってしまったのだ。 
 
■否認の政治 
 
 慰安婦制度の本質は「強制」だったことに疑問をなげかける安倍は、まぎらわしくも、実際には河野談話を撤回していないと主張する。しかし、この2面性のある主張は、安倍に対する批判者たちを納得させることなく、なぜ日本の政治家の謝罪が隣国に懐疑的に見られる傾向があるのかという点を明らかにした。謝罪は個別的なものであったのであり、また、犠牲者に対する補償や歴史的責任に関するしっかりした公教育プログラムなどの内実ある包括的政策によって、裏付けられたことはなかった。だからこそ、河野談話などの談話(たぶん、どんなに善意に基づいたものであったとしても)は、次に権力の座につくグループによって簡単に改ざんされ、解釈しなおされ、その場の状況で言葉をにごされ、または簡単に放棄される。 
 
 もちろん安倍首相には、この問題と関連する前歴がある。2001年初め、NHKは前年末に閉廷した女性国際戦犯法廷に関するドキュメンタリーを制作した。番組が放送される数日前に、安倍首相(当時は内閣副官房長官)はNHKのチーフプロデューサーと面会した。彼らはドキュメンタリーの中身について議論し、その直後に、NHK経営者側によって土壇場で批判のトーンを実質的に弱める変更が番組のプロデューサーに命令された。 
 
 4年後、NHKの内部告発者が、安倍首相が番組の内容を変えさせるために公共放送局であるNHKに直に圧力を加えた(日本の公共放送法に違反した介入)と発表し、問題はトップニュースになった。NHKのスタッフと番組について議論したのを認めた安倍は、面会が「政治的圧力」であったことを否定した(「狭義の意味での政治的圧力」というべきだろうか?)。この件は政治的論議を引き起こしたが、マスメディアの大部分は内部告発者の信憑性に攻撃を集中させた。 
 
 ことの結果、間違った行いをしたことでお仕置きされたのはNHKの内部告発者と事件を伝えた朝日新聞のベテランジャーナリスト、本田雅和氏氏である。本田は保守的なメディアから批判、中傷、皮肉の集中砲火をあび、彼の上司によって記者のポストから外された。 
 
 その間安倍首相は、歴史と記憶関連の問題と、北朝鮮による日本人拉致問題に関して熱心な国家主義者であるとの信任状をうけ総理大臣に任命された。しかしながら、政権の座について以来安倍首相は、よりタカ派の後援者を失望させている。2006年11月に、彼は中国をなだめるようなそぶりをし、長い間両国間の関係を悩ませている歴史問題を研究するために日中共同委員会を設立した。より深刻なのは、北京の六カ国会議の結果、北朝鮮に対する強硬路線をとる日本の安倍政権が他から孤立し、日本は拉致問題の解決に路線変更をしなければならないかもしれないという予測が起こったことである。明らかに揺れる政策と重要な社会・経済問題へ目に見える政策的な影響を与えられなかった安倍首相の個人的な人気は急落した。「従軍慰安婦」問題への彼の発言は、日本の右派の信頼を回復したいという安倍首相の熱望という文脈において、とりわけ7月の重要な参議院選挙への下準備として理解されなければならない。 
 
 なさけないほど相変わらずの話である。歴史的真実は短絡的な政治的便宜主義の犠牲にされている。犠牲者は今回、誰よりもまず、またもや政治家の道徳的に破綻した小事にこだわるレトリックによって侮辱され、正義を否定されている、生存する「従軍慰安婦」自身である。しかし、もう一方の犠牲者は日本人自身なのだ。近隣国との関係は政治的指導者の近視眼の、そして、不適切な行動で損なわれている。過去数日間、ニュースを読んでいて私は、松井やよりさんを思い出していた。彼女は死のその日まで真実と正義のために勇敢に戦った。そして吉見義明のような歴史家と本田雅和のようなジャーナリストに想いを馳せる。元「従軍慰安婦」と彼らのような日本人こそが正当な処遇を受けるべきなのだ。 
 
(翻訳:金克美/TUP)*翻訳、配信は著者の許可を受けています。 
 
 
原文:http://nautilus.rmit.edu.au/forum-reports/0706a-morris-suzuki.html 


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