2007年04月15日11時00分掲載
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井上琢郎『日本人に生まるる事を喜ぶべし』 「礼儀立国・日本」のすすめ 安原和雄
平和のためには何ができるのか、何をしたらよいのか。「平和憲法9条(戦争放棄、戦力不保持)を守れ」という声が広がりつつある。「九条の会」も日本列島の隅々まで行き渡り、全国ですでに6000を超えている。しかし平和を確かなものにするための方策はいろいろあるのではないか。
井上琢郎著『日本人に生まるる事を喜ぶべし』(2007年1月、財界研究所刊)は「礼儀立国の提案」を試みている。いうなれば「礼儀立国・日本」のすすめである。私は同感であり、こういう発想も高く評価すべきではないか。平和へのもう一つのチャレンジといえよう。(07年4月14日掲載)
▽平和をまもるため「礼節の国」へ(礼儀立国の提案)
井上著『日本人に生まるる事を喜ぶべし』は、平和をまもるため「礼節の国」へ(礼儀立国の提案)―という見出しで、その思いをつづっている。以下にそれ(要旨)を紹介したい。
井上氏は1930年東京生まれ、東京電力初代ロンドン事務所長、理事、さらに東京熱エネルギー社長などを経て現在NPO法人日本ヴェルディ協会常務理事など。
私は、日本は立派な国であると思い、この立派な国がいつまでも平和に存続、発展することを祈っている。しかし、この地球上で日本が末永く長寿息災でいるためには何の努力もしなくてよいわけではない。世界には力の原理が支配しているのが現状であり、この原理が簡単に消えてなくなることはない。そういう世の中で、日本は戦争を放棄することを憲法で定めている。今、憲法を見直すという声も聞かれるようになったが、日本はどうしたらよいのか。
私はこれ一つだけでもやるべきだと考えたことがある。それは日本を「礼節の国」にすることだ。「する」というか、あるいは「元に戻す」と言ってもよいかもしれない。明治維新の前後、日本人が欧米各国を訪問し、ひとしく世界から賞賛されたのは日本人が礼儀正しいということであった。
世界の大部分の人が日本はすばらしい、日本だけはいつまでも地球の一員としてとどまってほしいと思えば、日本は救われるのではないか。(中略)日本に来ると礼儀の国であるから心が洗われたような思いがする、ということになれば、日本を侵略する国は先ずなくなるし、あっても国際的な連帯活動が日本を守る可能性が高まる。
国民に礼儀の大切さを訴えかけ、礼儀を守るよう呼びかけ、実行させていけば、国民は心のこもった礼儀を守るようになっていく。(中略)
今見かけるような荒々しい、心のひだの荒れた、見苦しいひとびとの態度は、礼儀と共に、やさしい、気持ちのよい、心のこもった態度に変わってくるだろう。それにより世界の国々から尊敬され、愛される日本となり、日本の安全保障にも展望が開けるのではないか。
▽アインシュタイン博士の目に映った日本とは
相対性理論で知られるアルバート・アインシュタイン博士(注)が1923年に来日した。その来日の時、日本は同博士の目にどう映ったか。同書は博士の次の言葉(要旨)を紹介している。
「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。(中略)世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟手をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」
これは今から80年以上も昔の日本に対する博士の印象記である。博士の言葉を受けて、同書は次のように書いている。
「アインシュタインの言葉は、日本人にとって、うれしく、ありがたい。決して買いかぶりではない。(中略)日本人の平和的な、和を尊ぶ精神、他人をいつくしむ心は、天才アインシュタインの目にはっきり見てとれたのだ。近代文明は人類に恩恵をもたらしたが、その前途には人間の心を失った荒涼たる世界がみえる。それを日本の心によって導いてほしいというのだ」と。
(注)1879〜1955年、ユダヤ系ドイツ人、1921年ノーベル物理学賞を受賞。
来日後の1933年ナチスに負われて渡米、米政府のマンハッタン計画(原爆開発)に参加、その原爆が1945年夏、広島、長崎に投下される。第二次大戦後、博士は平和運動に尽力した。
▽マレーシア人、ノンチックさんの日本人変貌論
さてその日本人が第二次大戦後どれほど大きく変貌したか。ここではマレーシアの元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック氏の日本人に関する詩(一部)を井上氏の同著作から以下に紹介する。
かつて日本人は 清らかで美しかった
かつて日本人は 親切でこころ豊かだった
戦後の日本人は
(中略)
経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ
自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる 自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり バカにしたりする
こんな ひとたちと 本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして日本人は こんなになってしまったんだ
▽礼儀再生は、「いただきます」、「もったいない」、「お陰様で」―から
日本人の一人としても「どうして日本人はこんなになってしまったんだ」と呻(うめ)かずにはいられない。
さて素朴な疑問を発してみよう。礼儀とは何か? と。
井上氏はすでに紹介したように次のように述べている。
「今見かけるような荒々しい、心のひだの荒れた、見苦しいひとびとの態度は、礼儀と共に、やさしい、気持ちのよい、心のこもった態度に変わってくるだろう」と。ここでは「やさしい、気持ちのよい、心のこもった態度」が礼儀のありようとなっている。
しかも「それにより世界の国々から尊敬され、愛される日本となり、日本の安全保障にも展望が開ける」と礼儀と日本の安全保障とを結びつけて捉えている。これはなかなかユニークな礼儀論であり、安全保障論、いいかえればもう一つの平和論といえるのではないか。
重要なことは礼儀の乱れたこの日本国においてどうしたら「やさしい、気持ちのよい、心のこもった」礼儀を身につけることが出来るか、である。学校で子どもたちに教えるだけで、果たしてしっかり身につくだろうか。
家庭に帰ってテレビを観ると、少年向けの番組で「てめーは」などと乱暴な言葉が飛び交っている。家庭に限らず、日本社会全体が乱暴な殺伐とした空気に包まれているのである。こういう現実の中から礼儀再生の道をどこに求めるか、そこが問題であろう。
私は「やさしく」と説く直接話法よりも迂回作戦をとって「いただきます」、「もったいない」、「お陰様で」という素敵な日本語の再生を図り、その日常化を進めることによって自然に礼儀が身につくように工夫する方が効果的ではないかと考える。熟年層にはこの三つの日本語をまだ忘れてはいない人が多い。それを活用できないだろうか。
▽三つの言葉の含蓄は「いのち」、「感謝」、「節約」そして「利他」
「いただきます」などは、いずれも英訳しにくい日本文化ともいうべき性質のものである。その意味合い、その含蓄を説明したい。キーワード風にいえば、いのち、感謝、節約、利他―などである。これらは礼儀立国のキーワードでもあることを強調したい。
*「いただきます」
出された料理を食べ始めるときの挨拶の言葉と一般に理解されているが、本来は動植物の生命(いのち)をいただくという意味である。牛や魚はもちろん、コメや野菜にもいのちがある。そのいのちをいただいて、そのお陰で人間は自らのいのちをつないでいる。そのことに感謝を表す言葉が「いただきます」である。感謝の心は他者との共生の心、他者への思いやり、やさしさにもつながっていく。
もう一つ大事なことは、折角いただいたいのちをどう活かすかである。もちろん「世のため、人のため」に活かすことであり、これが利他主義の原点となる。
*「もったいない」
「そのものの値打ちが生かされず、無駄になるのが惜しい」が一般の理解であり、「捨てるのはもったいない」などが用例である。モノや心を大切にしようという意味で、地球環境保護のために資源・エネルギーを節約するのにぴったりの言葉でもある。
毎日新聞社の招きで05年来日したケニアの環境保護活動家で、ノーベル平和賞(04年)を受賞したワンガリ・マータイ女史は「もったいない」という日本語に出会って感激し、「MOTTAINAI」を世界語として広める行脚を世界各地で重ねている。本来なら日本人が世界に向かって発信すべきであり、同女史には感謝しなければならない。
*「お陰様で」
相手の親切などに感謝の意を表す挨拶語と一般に理解されているが、原義は若干異なる。今の自分のいのちが祖先のいのちにつながっており、それに対する感謝の心の表れを意味している。最近は他人のお世話にはならない、自力で生きていると考える人が少なくない。そういう心構えは必要だが、事実認識としては独りよがりの思い込みにすぎない。
多くの祖先のいのちがあって、そのお陰で今ここに自分が存在している。この事実に思いをめぐらせると、多くの人に支えられて生かされ、生きていることに「お陰様で」と感謝の念を抱かずにはいられない。「お陰様で」はそういう含意である。
▽軍事力・利己主義・拝金主義よ、さようなら―が礼儀立国のカギ
上述したアインシュタイン博士の日本印象記の中で私が注目したいのは「世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、・・・」という認識である。これは軍事力や拝金主義への疑問符と受け止めたい。
一方、マレーシアの元上院議員ノンチック氏の次の指摘は、昨今の日本人に対する有り難い忠告と理解したい。
「自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている」と。
ここには拝金主義さらに利己主義への率直な批判が浮き出ている。
軍事力第一主義は米国のイラク攻撃・占領が挫折に見舞われていることからみても、もはやその有効性を失い、時代錯誤と化している。礼儀立国のすすめは、軍事力という暴力のすすめとは180度異質であり、軍事力の後ろ盾は無用である。その意味では憲法9条の平和理念を活かすことが礼儀立国の大きな柱であり、軸となる。
私が特に指摘したいのは、昨今の日本列島を覆っている利己主義、拝金主義を脱皮できるかどうか、いいかえれば利己主義や拝金主義よ、さようなら!といえるかどうかである。ここが礼儀立国へのカギになるのではないか。自分さえよければいいという身勝手な利己主義、「いのちよりもカネが大事」といわんばかりの拝金主義が個人に限らず、政治経済の分野でも横行するようでは礼儀の再生はおぼつかない。
▽利他主義と非貨幣価値の尊重を
利己主義や拝金主義に別れを告げるための必要条件は何か。
結論から先にいえば、今をときめく自由市場原理主義(=新自由主義=規制廃止による企業利益最大化の追求、弱肉強食、格差拡大など)路線の変更によって利己主義から利他主義へ、さらに拝金主義から非貨幣価値尊重への転換を図っていくことであろう。もちろん一朝一夕には事は運ばないが、これ以外に良策は見出せない。
強調すべきことは、利己主義と拝金主義の産みの親は、実は現代経済思想(注)そのものであり、その責任は決して小さくないという点である。
(注)現代経済思想とは、ケインズ(イギリスの経済学者)経済学(財政赤字による経済成長主義)、米国と日本で支配的となっている昨今の自由市場原理主義などを指している。
現代経済思想は自己利益を第一とする利己的人間観を想定して体系を組み立てており、利他主義が入り込む余地はない。しかも市場経済の核である市場メカニズムはGDP(国内総生産)で表される貨幣価値として計ることのできるモノやサービスのみを対象にしており、その取引を利己的人間が担う仕組みとなっている。
広い意味の経済価値には貨幣価値のほかに非貨幣価値(地球、大気、水、土壌、自然の恵み、生態系、主婦の家事労働などの無償奉仕、思いやり、やさしさ、連帯感、感動、生きがい、品格など沢山あり、いずれも貨幣で計ることができない価値)があり、人間が生きていく上で重要な意味を持っているが、これら非貨幣価値は市場には一切登場しない。いいかえれば市場では「カネこそわがいのち」となる。現代経済思想に支えられた市場メカニズムは、こうして利己主義と拝金主義をつねに再生産していくほかない。
もう一つ、経済成長主義が利己主義、拝金主義を助長させていることも見逃せない。小泉政権のスローガンは「改革なくして成長なし」であった。今の安倍政権は「成長なくして日本の未来なし」である。このような経済成長路線の追求は何をもたらすか。プラスの経済成長は貨幣価値で計るGDPの増大を意味しており、非貨幣価値の重要性は無視される。損得勘定が中心で、ここでも「カネがものをいう世界」、いいかえれば利己主義、拝金主義が広がっていくほかない。
利己主義から利他主義へ、拝金主義から非貨幣価値尊重へと転換を図るには現代経済思想をどう超えるか、さらに経済成長政路線そのものをどう見直すかがテーマとならざるを得ない。
私は現代経済思想に代わる仏教経済思想(いのち、平和=非暴力、知足、簡素、共生、利他、多様性、持続性の八つがキーワード)の構築、経済成長路線から「脱成長」主義への転換が礼儀再生の必要条件であり、それなしには礼儀再生も容易ではないと考える。
ただし家庭で、教育の現場で、さらに会社で「いただきます」、「もったいない」、「お陰様で」を毎日唱えることは、本日ただいまからでも実践できる。
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載
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