2007年05月04日11時54分掲載
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検証・メディア
07年「憲法」社説を読んで 「権力批判」の精神はどこへ? 安原和雄(仏教経済塾)
現行日本国憲法は5月3日の憲法記念日で施行以来60年を迎えた。人間でいえば還暦にあたる。安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を強調し、第9条を中心に憲法改悪をめざしている。権力の監視役としての責任を果たすべきジャーナリズムは安倍政権の憲法改悪論にどう立ち向かおうとしているのか。
大手6紙の社説を読んだ印象からいえば、安倍政権の改悪論への追従論に終始するか、あるいは批判力の衰微を感じざるを得ない。これでは「国家権力への批判」というジャーナリズム精神はどこへ行ったのか? と問わないわけにはいかない。
▽意欲的でユニークな21本社説の一挙掲載
まず大手6紙の社説(または主張)見出しを紹介しよう。
*読売新聞「憲法施行60年 歴史に刻まれる節目の年だ」(5月3日付)
*産経新聞「憲法施行60年 日本守る自前の規範を 新しい国造りへ宿題果たせ」(同)
*日本経済新聞「還暦の憲法を時代の変化に合う中身に」(同)
*毎日新聞「平和主義を進化させよう 国連中心に国際協力の拡大を」(同)
*東京新聞
「憲法60年に考える(上) イラク戦争が語るもの」(5月1日付)
「憲法60年に考える(中) 統治の道具ではなく」(同月2日付)
「憲法60年に考える(下) 直視セヨ 偽ルナカレ」(同月3日付)
*朝日新聞
「憲法60年 戦後からの脱却より発展を」(同月2日付)
「提言 日本の新戦略 憲法60年 地球貢献国家をめざそう 9条生かし、平和安保基本法を 論説主幹・若宮浩文」(同月3日付)
論説主幹による上記の総論的解説のほか、以下のような21本の社説を8ページの紙面に一挙掲載している。しかも「新聞を開いた読者は驚かれることだろう。前代未聞の試みだ。新聞がもつ言論の役割を深く自覚したい。そんな決意の表れと受け止めていただきたい」と書いている。たしかに一瞬驚いた。意欲的でユニークな発想でもある。
1 地球貢献国家 世界のための〈世話役〉になる
2 気候の安全保障 「キョート」を地球保全の原点にする
3 省エネ社会 新技術を活用し、集中型から分散型へ
4 原子力と核 核廃絶と温暖化防止の二兎を追うべきだ
5 化石燃料 省エネと消費国の連携で、石油危機を防ぐ
6 食料の安全保障 貿易協定に日本への優先的供給義務づける条項を
7 アフリカ支援 置き去りにすれば、問題が世界に拡散する
8 経済のグローバル化 弊害と向き合い、上手に果実を増やす
9 通貨の安定 アジア版「ユーロ」を遠くに見据える
10 東アジア共同体 開かれた統合にし、アメリカとも連携する
11 アジア新秩序 日米中の首脳会談を定例化しよう
12 隣の巨人 「開かれた中国」へ、法治と透明化を
13 イスラムとのつき合い 「文明の対立」回避へ、日本の出番だ
14 日米安保 国際公益にも生かし、価値を高める
15 自衛隊の海外派遣 国連PKOに積極参加していく
16 人間の安全保障 憲法前文にぴったりの活躍を
17 9条の歴史的意義 日本社会がつくりあげた資産
18 9条改正の是非 変えることのマイナスが大き過ぎる
19 自衛隊 平和安保基本法で役割を位置づける
20 ソフトパワー ほっとけない。もったいない。へこたれない。
21 外交力 世界への発信力を鍛えていく
▽朝日新聞の主張には自己矛盾も―9条と日米軍事同盟は両立しない
朝日の意欲的な社説の展開は評価したい。例えば「地球貢献国家をめざそう」には同感できる。しかし気になるのは、社説の主張のあちこちに自己矛盾が散在していることである。
その一例を挙げると、「9条、平和ブランドを捨て去る理由はない」といいながら、その一方で「日米同盟を使いこなす。しなやかな発想」を掲げる。この二つが両立すると認識しているらしい。
「9条の平和ブランド」について次の諸点を挙げている。
・9条は戦後の平和と繁栄の基盤である
・歴史を反省する、強いメッセージでもある
・軍事力には限界があり、9条の価値を発展させるべきだ
・自衛隊を軍隊とせず、集団的自衛権は行使しない
・非核を徹底して貫き、文民統制を機能させる
これは「非武装」ではなく、「専守防衛」の枠組みを前提にした平和論である。その骨格は非核と9条の擁護、さらに集団的自衛権(注)の行使は容認できないという立場である。問題はこの控えめの専守防衛論が今日の日米安保=軍事同盟体制と果たして両立するのか、である。「日米同盟を使いこなす」と主張するからには、日米軍事同盟の盟主は日本で、軍事同盟の運営の実質的主導権を日本が握っているとでも思っているのだろうか。そういう認識だとしたら、これほどの「お甘ちゃん」はいないだろう。
(注)集団的自衛権とは、日本が直接攻撃されていない場合でも、同盟国である米国が攻撃された場合、それを日本の軍事力で阻止する日本国家としての権利を指している。この権利は国連憲章や日米安保条約では認められているが、日本政府はこれまで国会答弁などで「憲法9条は、この権利行使を禁じている」と説明してきた。
すでに日米安保=軍事同盟はアメリカ主導の下に著しく変質している。専守防衛の枠組みを大きく飛び越えている。4月27日の日米首脳会談で「かけがえのない日米同盟」を改めて確認し、しかも「世界とアジアのための日米同盟」と改めて位置づけもした。
その一方で安倍政権は憲法9条の「非武装」、「交戦権の否認」条項を削除し、自衛隊を正式の軍隊にし、集団的自衛権も行使できるようにすることをめざしている。つまりアメリカが先制攻撃論で仕掛ける海外での戦争に追随して、日本も本格的に参戦していくことにほかならない。
9条改憲の意図はここにあり、その背景にブッシュ政権からの強い要請もある。9条の平和理念を生かすことを本気で考えるなら、それと対立し、両立し得ない日米安保=軍事同盟をどういう形に変えていくか―私は長期的には軍事同盟解体、すなわち日米安保破棄が有力な選択肢と考える―が避けることのできない課題である。
▽集団的自衛権行使の肯定派は読売・産経・日経、中間派は毎日、批判派は東京
安倍首相の訪米(4月26日)直前に事例研究のための有識者懇談会を設置した「集団的自衛権行使」について各紙はどういう主張を述べているのか。
以下にみるように読売、産経、日経は防衛大臣の発言かと勘違いするほど似通った意見を掲げている。特に読売は明文改憲を待たずに当面は解釈改憲によって集団的自衛権行使に踏み切ることを提案している。安倍首相の見解そのままである。
一方、毎日は集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の範囲を拡大すれば、それで十分対応できるという主張であり、これでは集団的自衛権行使を容認するのと事実上大差ない。中間派的存在か。東京は解釈改憲で集団的自衛権行使に踏み切り、日米軍事一体化をすすめる危険性を示唆しており、批判派の立場である。
読売新聞=集団的自衛権については、「持っているが、行使できない」という自己矛盾の政府解釈を変更すべきだ。日本を守るために活動している米軍が攻撃されているのに、憲法解釈の制約から、近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟など成り立たない。日本の安保環境や国際情勢の変化が日米同盟の強化を迫っている現状をみれば、憲法改正を待つことはできない。
産経新聞=北朝鮮による弾道ミサイル開発や核実験は、日本の安全保障環境を一気に悪化させた。日米両国が協力し、ミサイル防衛(MD)システムを構築することが死活的に重要となった。ここでも米国向けのミサイルを日本が迎撃することが許されるかという9条の議論が発生する。集団的自衛権を保有しているが、行使できない、という政府の憲法解釈があるためだ。しかし集団的自衛権は行使を含めて認められると考えるべきである。日米安保体制もそれを前提に構築されている。
日本経済新聞=北朝鮮の核開発やミサイルの脅威に直面するなど安全保障環境も激変している。憲法9条に関しては、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使を認める場合に、どこまで踏み込むのか。安全保障基本法の検討作業などを通じて、自衛隊の国際貢献のあり方や活動範囲の議論を詰める必要がある。
毎日新聞=北朝鮮問題に対処するため、あわてて改憲する必要があるのだろうか。米国に向かうミサイルを日本周辺の自衛艦が撃ち落とせるかなど、集団的自衛権の行使に絡む問題が提起されている。現行憲法の認める個別的自衛権の範囲はかなり広い。北朝鮮の脅威に対処するのに十分な柔軟性があるのではないか。
東京新聞=憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置が決まった。歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈を見直すお墨付きを得る。日米同盟強化に向け、集団的自衛権行使の道を開くことに狙いがあるのは、メンバーの顔ぶれからも明らかである。憲法には手を触れず、日米軍事一体化への障害を解釈で切り抜ける。安倍晋三首相からブッシュ政権への格好の訪米土産になった。
▽アメリカから届いた「憲法9条守れ」の熱いメッセージ
憲法9条を守るための「九条の会」は日本全国で次々と誕生し、すでに6000を超えているが、海外でも「日本国憲法9条は世界の宝」という声が少なくない。そういう事実をメディアがあまり報道しないのは公正な姿勢とはいえない。ここで海外からの熱いメッセージを紹介したい。
アメリカから「第9条を愛する日本の友人の皆さんへ」と題する憲法9条擁護のためのメッセージが憲法記念日(5月3日)に寄せられた。発信者はオハイオ大名誉教授のチャック・オーバビー博士(81歳)で、アメリカにおける「9条の会」を1991年に創設した人物。第2次大戦中にアメリカのB29爆撃機パイロットであった。
「平和と環境の政党」をめざす「みどりのテーブル」のほか、「コスタリカ平和の会」(略称)、「コスタリカに学ぶ会」(略称)などの会員からE・メールで転送されてきたもので、その大要は以下のようである。このメッセージと日本の主要紙の「憲法」社説とを読み比べて、どちらに軍配を挙げたらよいかを考えてみよう。
*アメリカは地球上で最も暴力的な国
美しい第9条の知恵が施行されて60周年のこの日、この手紙を書くにあたり、私はとても残念で、悲しくて、そして本当に腹が立っています。それは、平和を愛した伊藤一長・長崎市長が暗殺されたことを知ったからです。何と愚かな惨事でしょう。ほぼ同じ時刻にアメリカで起きた、32名の学生と教員がバージニア工科大学キャンパスで殺害されるという、これも同じく愚かな惨事 ― にどこか似ています。
バージニア工科大学での殺人は、アメリカ合衆国憲法の修正第2条と複雑に関連しています。修正第2条は以下のように述べています。
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」
この修正第2条がのべている「民兵(a Militia)」は「国民軍という集団(a group)」を指す言葉であるのに、アメリカでは大変力のあるロビー団体の、全米ライフル協会(NRA)が、どんな個人でも、あらゆる種類の武器を、自由に無制限に、いくつでも欲しいだけ手に入れることが出来ることを保障するために利用しているものです。かくして全米至る所に銃があり、我々を地球上で最も暴力的な傾向の国にしています。
*第9条は日本だけでなく、全人類の宝
私は、アメリカに住む我々にとって、第9条をお手本にした、合衆国憲法の新しい修正条項が絶対に必要だという強い思いを新たにしています。第9条は、人間が人間である以上避けられない紛争に我々が対処する手立てとして、戦争や暴力を防止すると共に、紛争を非軍事的、非暴力的に解決する方法が用いられなければならないと述べています。軍事的に解決できない世界の問題に、アメリカが傲慢な先制攻撃の軍事的反応をするのは、上に書いたようなアメリカの暴力性癖と複雑につながっています。
戦争放棄の第9条(法の支配)を、私は、この地球上のほとんど全ての人類からの情熱的な声 ― 戦争という名のもっぱら男のわいせつを終わらせることを求める熱烈な声であると、理解しています。第9条は、ただ単に日本の宝ではありません。第9条は全人類のものです。私は、第9条の知恵が、あらゆる国の憲法の一部になることを待ち焦がれています。そうなれば、種としての我々は、長年の忌まわしい「戦争の支配」によってではなく「法の支配」の下に、お互いの差異を解決し、紛争を処理するようになるでしょう。
*ブッシュ大統領も安倍首相も「戦争を知らない」人
残念なことに、今現在は、「法の支配」よりむしろ「戦争の支配」への強い欲望を見せている指導者に、日本の皆さんそしてアメリカの我々は苦しんでいます。私は、ブッシュ大統領と、日本の新しい総理、安倍首相を「経験として戦争を知らない」人たちであるとみなしています。2人とも、戦争の恐ろしい本質に関しては、ほんのわずかな認識すらも(個人的な理解として)持っていません。現ブッシュ大統領は、父ブッシュの権力に助けられ、ベトナム戦争の徴兵を忌避しました。
第2次世界大戦と朝鮮戦争の退役軍人である私も含め何百万人の同胞はブッシュ大統領を「臆病者のタカ派(チキン・ホーク)― 他人がやるので戦争を愛するが、自分がやるのは嫌だという人」と呼んでいます。日本の安倍総理は第2次世界大戦の終了後に生まれました。ですから、国が、大都市の全てが焦土と化す ― その中の2つは核の雲の中で水蒸気になりましたが、その意味を彼個人は全く理解していないのです。
かくして私達の国の指導者達は、どちらも同じ病気に苦しんでいるようです。どんな病気かといえば、「軍事力が問題解決のひとつの方法であるというイデオロギー的な信条」という病気です。種としての我々が直面している様々な問題 ― 例えば核の拡散、それから浪費ともいえる資源消費(例えば石油)、さらに地球温暖化、市民の薬物中毒の問題など、― 残念ながら、これらに軍事的な解決方法などはありません。しかしこういった問題の根本の原因が探求されることは滅多にありませんし、イデオロギーや信条ではなく、理性を用いて、人を、付随的損害として扱うのでなく、尊厳をもって扱うような有意義な解決を見出すということもほとんどありません。
*アメリカ政府の傲慢な振る舞いをどう軌道修正させるか
第9条を愛する親愛なる日本の皆さん、この恐ろしい時代に、あなた方の課題は、非暴力の方法を見つけ、あなたとそして私の国の両政府に、あなたの国の素晴らしい戦争放棄の第9条を葬らせないことです。
アメリカに住む私達は非暴力の方法で、この地球上で単独行動主義の、軍国主義的、ネオコン(新保守主義者)の、傲慢な振る舞いをとっているわが国政府の軌道を修正しなければなりません。創造性を持って非暴力で思慮深く協力的な相互作用を地球全体で行うものへと変えていかねばなりません。世界中で行われるアメリカの戦争に自衛隊を自由に使う、そのために第9条を破壊せよと、アメリカ政府は日本に圧力をかけていますが、この圧力は、我々の時代の最も悲劇的な忌まわしいことのひとつです。 (訳 たかだ洋子)
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載
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