2007年05月07日02時29分掲載
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ロシアの独立系ジャーナリストへの圧力強まる 危機に瀕する言論の自由
5月3日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界報道自由デー」のイベントとして、ユネスコ英国支部がロンドンで「世界の報道の自由は後退しているか」という討論会を開催した。この中で「後退している」側のスピーカーの一人となった、在モスクワの人権問題シンクタンク「デモス・センター」の代表タチアナ・ロクシナさんは、チェチェン紛争をめぐりロシア当局側の住民弾圧を批判してきたアンナ・ポリトコフスカヤ記者が昨年10月に殺害された例をあげ、現在のロシアでいかに言論の自由が侵害されているかを語った。(ベリタ通信)
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「プレスの自由」:アンナ・ポリトコフスカヤさんが無残に殺害された後、ロシアの独立系ジャーナリストたちは、自分たちがいかに弱い立場にあるかを思い知らされた
タチアナ・ロクシナ
デモス・センター代表
「国境なき記者団」によると、今年これまでに、世界中で24人のジャーナリストと、5人のその助手が殺害され、投獄されたジャーナリストは125人、助手は4人となり、さらにネットを使って政府批判をしていた67人が投獄された。
昨年は、これまでにないほどの多くのジャーナリストが殺害され、投獄された。こうした犠牲者の一人が勇気ある仲間の一人だったアンナ・ポリトコフスカヤさんだった。数々の賞を受賞し、チェチェン紛争に関して真実を語り、人権擁護を訴えてきた第一人者だった。昨年秋、ポリトコフスカヤさんが無残殺害されてから、ロシアの独立系ジャーナリストや人権運動の活動家たちの小さなグループは、いかに自分たちがもろい存在であるかを思い知った。
今年3月2日、また一人、ジャーナリストがモスクワで死亡した。独立系日刊紙「コメルサント」の軍事問題担当記者のイワン・サフロノフ氏だ。自分のアパートの窓から転落したことになっているが、友人たちは、自殺にみせかけた他殺だとみている。もし友人たちの疑いが本当だった場合、2000年にプーチン氏が大統領になってから、取材に絡んで13人のロシアのジャーナリストの列に加わることになる。こうした請負い殺人のただの一つとして十分な捜査が行われていない。
世界的な報道の自由の後退は、ジャーナリストの殺害、投獄や嫌がらせにとどまらない。先進的民主国家でも、編集者やジャーナリストたちによる自主検閲が増加している。メディア専門家たちもまた、政治的思惑に基ずく金を使った広告やメディア規制を挙げている。基本的価値であるメディアと情報の自由が問題になっているのだ。
昨年、デンマークの新聞が掲載したイスラム教預言者ムハンマドに関わる風刺画をきっかけとして、表現の自由と宗教的感情の尊重をめぐり、世界中で論争が起きた。欧州では、デンマークの風刺画問題は、主に言論の自由の制限に関わる問題として活発な議論が起きたが、ロシアでは、政府の路線に反対の立場をとる者を排除するために使われた。こうした状況の詳細を、ロシアのシンク・タンク「ソーバ・センター」が記録している。
例えば、昨年初頭、ボルゴグラードにある地方紙「ゴロドスキ・ベスティ」が、与党統一ロシア党の地方支部が、政治プロパガンダの一環として反ファシスト的表現を使っていることを批判する記事を掲載した。この記事には、イエス・キリスト、モーゼ、ムハンマド、仏陀がテレビのニュースを見ている絵がついていた。テレビでは2つのグループに分かれた人々が死に物狂いの戦いをしており、神々は、画面に向かって「おいおい、それは私たちが教えたことと違うぞ」と叫んでいた。
統一ロシア党は、ゴロドスキ・ベスティ紙が外国人恐怖症を扇動していると主張し、新聞の配布から2、3時間後には、検察当局が「この新聞は過激主義的傾向がある」とメディアに対し警告を出すまでになった。新聞を発行元の地元政府は、ゴロドスキ・ベスティ紙を閉鎖した。
また、ビリャンクス市の独立紙「ナッシュ・ビリャンスク」、及び同じく独立系メディアの「ガゼタ・ル」というウエブサイトが、幅広い議論を喚起するため、デンマークの風刺画を再掲載。両メディアともに、報道・文化省から過激主義的活動をしている、と警告を受けている。
最後に、同様にデンマークの風刺画を再掲載した、ボログダにある独立系新聞「ナッシュ・リージョン・プラス」紙の編集長アンナ・スミルノバさんが、宗教的敵意を扇動したということで裁判にかけられ、昨年4月有罪となった。スミルノバさんにとって幸運だったのは、その1カ月後、高等裁判所がこの判決を覆したことだ。しかし、新聞の所有者は、安全な道を取ることを選択し、新聞を閉鎖した。
寛容を示し、過激思想を取り締まるとの名目でメディアを攻撃するという問題は、ロシア当局による風姿画騒動の悪用より大きなものになっている。例えば、(ロシア内の自治共和国の1つ)アルタイ共和国の独立系インターネット通信社「バンクファックス」では、サイトに、ある読者の反イスラム教的コメントが投稿された。この結果、バンクファックスは報道・文化省によってあやうく閉鎖される寸前までいった。
コミ共和国(ロシア連邦中北部)の独立メディア「ジリャンスカヤ・ジズン」紙も、現在存続をかけて闘っているところだ。共和国内の超国家主義者の活動に関して客観的な報道を連載で掲載したが、連載の中にはこの運動の指導者のインタビューも入っていた。インタビューは国家主義のスローガンがいかに民衆扇動的なものであるかを明らかにしたのだが、検察側は、新聞が過激主義を広めているという警告を出した。これがきっかけで出資者からの財政援助が得られなくなり、印刷代を払えなくなってしまった。現在、ジリャンスカヤ・ジズン紙はネットだけでの発行となっている。
メディアを沈黙させる戦略の大きな犠牲者の一人は、スタニスラフ・ドミトリエフスキー氏だろう。氏は、ニジン・ノブゴロドにある「プラボ・ザスキタ」という、人権問題を扱う小さな新聞の編集長。昨年初頭、「人種的及び宗教上の敵意を扇動している」として有罪になった。1年後、ドミトリエフスキー氏が関わっていた人権団体「ロシア・チェチェン友愛協会」が、ロシア最高裁の判断で閉鎖された。協会が「過激主義」の指導者から距離を置かなかった、というのが1つの理由だった。氏の犯罪とは、国際社会とロシアの国民に対して、チェチェンに平和をもたらすことを呼びかけるチェチェンの分離派指導者の声明を掲載しただけなのだ。
ロシアで独立系メディアは珍しい存在になっている。テレビはロシア政府の代弁者になってしまっている。最近の例では、テレビの地域のジャーナリスト養成機関となっている「ロシアン・インターニュース」社の事務所が摘発され、インターニュース・グループの代表に関わる疑わしい刑事事件の取り調べの一環として、コンピューターのサーバーが押収された。
独立系紙媒体メディアはまだ存在しているが、読者数は限られている。報道の自由に関する問題を取り上げるシンクタンク「グラスノスチ・ディフェンス」によると、ロシアの独立系紙メディアの発行部数は50万部。これは、1億4500万人の国民全体からすると、大海の一滴でしかない。
報道の自由は現在のロシアでは存在しないも同然だ。世界全体でも後退している。報道の自由の侵害が最悪なのは、キューバ、北朝鮮、トルクメニスタンなどの全体主義国家や、ロシアのような独裁主義国家だが、民主主義国家も、よって立つところの価値の擁護に失敗している。9・11米同時テロ以降、報道の自由への考え方は変わってしまった。国民の利益ために、という文脈では報道の自由は語られないようになった。国家の利益ために、という文脈で語られるようになったのだ。(翻訳:小林恭子)
原文(英語)はガーディアン紙のウエブサイト「Comment is Free」に収録されている。原文を読む
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