2007年05月26日12時35分掲載
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根津教諭の「君が代」拒否
<停職6ヶ月「出勤」日記・8>さまざまな来訪者への応対…気がつけば「出勤」10時間に
5月21日(月)
立川二中へ。朝生徒たちと挨拶を交わすひととき。校門をくぐった生徒が一人戻ってきてプラカードを読む。1年生のようだ。「これは私のことよ。 2年前、わたしはここの教員だったの」と言うと彼は、「がんばってください」とぺっこり頭を下げ、にっこりした。「ありがとうございます」。
いつものように北多摩高校に進んだ二中卒業生とも挨拶を交わす。「先生、がんばってください」――「あなたはテストをがんばって!健闘を祈ります」。
今朝も市議会議員のAさんが、通りながら車のクラクションを軽く押してくださり、挨拶を交わす。今朝もいつもと同じようにスタートした。今日はB社のCさんの取材があった。
読書タイムなのに集中できずに行きかう車を眺めたり、校庭に運動会の練習をフェンス越しに見たりしていると、4月以来ずっと気になっていた方の姿が見えた。待っていれば私の前を通られるのだけれど、それが待てずに私は駆け寄って「お久しぶりです。お元気でしたか」と言い、続けて停職6ヶ月にされたことついて報告をした。この方は、昨年も一昨年も10時と12時頃に健康センターの往復にここを通られ、私が気づかない時にも、「先生がんばってください」と声をかけてくださった、70代終わりか80代の男性で、今年はお会いしなかったので気になっていた。だから今日はお会いできて勝手に一安心した。
70歳前後と思われる男性がプラカードの前で自転車を止め、私が声をかけようかと逡巡している間に走り去り、しかし引き返してこられた。「ここの先生ですか」と切り出された。昨年も一昨年もここを通るたびに見ていられたのだとのこと。
「停職処分はひどいけれど、親のしつけができなくなっているからある程度形をきちんとさせることも必要なのではないか」とおっしゃる。「親の問題もありますが、子どもは社会を見て育ちます。国会議員や要職にある人が自身の不正を正せば、子どもたちのよい教育になるのではないでしょうか」と私。
憲法に話が及び、「9条があるから日本は戦争をしない」とおっしゃる。国民投票法案をめぐって意見交換をした。とても温和な方で、最後は私の失職を心配しておられた。処分はひどすぎる、というのは、都民の大半の感じ方のように思う。
もう一人、30代後半と思われる男性がプラカードを見ているので、声をかけた。「こんな処分はおかしいですよね」と言われ、「署名でもあればします」と申し出てくださった。
昼食休憩の時間を割いて、Dさんが訪ねてくださった。
下校時は今日も卒業生が訪ねてくれた。Eさんは中間テストが終わったからと立ち寄ってくれ、Fさんは5時に立川駅から電話をくれ、駆けつけてくれた。テスト前で部活がないからと訪ねてくれたのだった。昨年以来の対面、随分と大人っぽくなっていた。2人の気遣いがうれしい。
やはりテスト前で下校が早かったGさんHさんが帰り道、私に気づき、道草をしていった。
卒業生たちから、あったかーい気持ちをプレゼントしてもらった。月曜日、さあ今週もがんばろう!って、自然に元気がみなぎる。
7時50分に「出勤」して、今日も10時間「勤務」・・・?!
5月22日(火)
今日は「出勤」せずに事務作業日に充てている日なのだけれど、国労の1047名解雇20年の闘い・国土交通省を話し合いのテーブルにつかせる要求を掲げての座り込み行動に参加した。
5月23日(水)
南大沢学園に。家を出てから40分後、鶴川への道を走っていることに気づいた。苦笑。大きく迂回してしまったから学校前に着いたのは、7時50分。でも校長の出勤よりも早かった。
出勤してきた校長は作り笑顔の様子で、私のところで立ち止まった。「おはようございます」――「おはようございます」。挨拶だけで無言である。
「今日は何かおっしゃることはないのですか」(私)――「できれば・・・」(校長)
「できれば、ここにいてください、ですか」――「いえ、できれば、いないでいただきたい・・・」
「ここにいてはいけないことの根拠となる法令を示してください、と前から申し上げているでしょう」と答えた私のことばには返さずに、校長は私に一礼をして校門をくぐって行った。
この「指導」=管理が、校長にとっての「職務」なんだろうが、彼の自尊心は傷つかないのだろうか、と思う。自尊心を麻痺させ、「内心」と切り離してする「職務」行為が、社会を腐敗させることに考えを及ばせてほしい。
今朝は朝から暑い。湿度が低い分、しのぎやすいが、予報では7月下旬の暑さと報じていた。ブレザーを着て、汗ばんだ顔の生徒もいる。「暑いですね。大丈夫ですか」と声をかけてくれる高等部の生徒。「暑いですから、(お茶に)来てください」と言ってくれる。
高等部の実習が終わらないうちにと思い、お昼少し前、喫茶室に行った。アイスコーヒーを注文し休ませてもらった。訪ねてくれた友人のIさん、Jさんも一緒。
異動を通告された3月30日に、教材教具類をこの学校の運び込んでおいた、その中から必要なものが出たので、副校長に校舎への立ち入りをお願いした。
それに対しては許可が出され、今日のところは無事済んだが、別の副校長がやってきて、「9月30日までは、校舎への立ち入りは禁止です。これからはこういうことは止めてください。トイレも緊急の時だけです」と言う。「みだりに入ってくるわけではないでしょう。必要があれば、私物を見ることなど、これからもあります」と答えると、「止めてください」。「いいえ、止めるとは言えません」と私。そのままに玄関で別れた。
副校長と言い、校長と言い、都教委の指示による言辞の多いこと!
今日は部活がなくて下校の早かった立川二中の卒業生であるKさんが、話し込んでいった。彼は私が二中に転任した時に学年集会で話しをしたことを鮮明に覚えていて、それを告げてくれた。「強烈な印象でした」と言う。
ここ数年、私が生徒たち全体の場で話をする機会など、自己紹介を除けば皆無である。その1回の話を覚えていてくれたなんて・・・。3年も前のことを。感激!、です!!
その話とは、こうだ。ボールか何かを見せて何に見えるかを問い、では、皆から見えないところはどうなっているのだろうと問い、物事は見やすい1つのところから見るだけでは見えないことがある。裏側から見ると違って見えることがある。いろんな角度から見て、考えよう。見えないところには想像力を働かせよう。という主旨の話しをしたのだった。
感激いっぱいで帰路に着いた。
5月24日(木)
鶴川二中へ。今日も朝から照りつける。今日は中間テストだと言う。私の挨拶に無視をする生徒がかなり多いが、「がんばってください」「応援しています」と一言付け加えてくれる生徒もいる。そのどちらにも、私の今を、社会を考えるその題材にしてほしい。そんなことを思いながら、生徒を迎える。
朝早くから前の家のおじいさんが出てこられた。今朝は白のワイシャツ姿でパリッとされている。「木曜日」を待っていてくれたのだそうだ。私がいる午前中の時間のほとんどを、私とともに過ごされた。
午後は、聴講、そして裁判の打ち合わせ。
5月25日(金)
都庁第二庁舎前で情宣活動。チラシの片面は、教職員の不起立は、『生徒の学習権への侵害』と言い、教職員が皆起立するのが、『無形の教育』と主張する都教委を批判。もう片面は、教育3法の批判。都教育庁に働く皆さん、仕事の中で吟味し、内部告発をしてください、ともに考え行動しましょう、と呼びかける。
「がんばってください」と声をかけてくれる方が結構いらっしゃる。
今日の参加は13人。Lさんも駆けつけてくださった。
その後午前中は国交省前での座り込みに参加。
午後は、入学式での不起立・不服従者に対する処分発令に抗議し、不服従者を激励する行動に参加した。雨が降る中、80人もの方が駆けつけた。
今年の不服従・被処分者は、7人。若いのに不起立3回目で減給6ヶ月の方に、思いを馳せる。高校の人が6人、養護学校が1人(都教委発表では、養護学校を「特別支援学校」と呼称を変更していた)。
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