2007年06月03日00時14分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200706030014420

ダグラス・ラミスさんの『普通の国になりましょう』を読む

  もう5年も前になる。ラミスさんを口説いて「ダグラス・ラミス平和を紡ぐ旅」というのを仲間を募って一年間やった。あの9・11の後の世界、アメリカの対テロ戦争が始まり、米軍がアフガニスタンに爆弾を雨を降らせていた。その一年後にはイラク侵略が始まり、日本では有事法制が議論され、海外派兵寸前まで来ていた。グローバル化のなかで職場も地域も荒廃し、次は憲法改定だと公然といわれはじめていた。ラミスさんはすでに津田塾大学を退き、沖縄に在住、在野の政治学者としてさまざまの運動現場で人々とまじって動いていた。それから時代はいっそう進み、ラミスさんからこの本が届いた。(大野和興) 
 
  ラミスさんを「全国を平和行脚をしてほしい」と口説いたのは、東京での反戦集会でばったり出会ったときだったと記憶している。ラミスさんは「なぜ外国人の自分が。それはおこがましいのではないか」と当然の疑問を口にした。「農村を主に歩いてほしいのだ。そこでアメリカ人であるラミスさんがアメリカの戦争と日本の憲法を語ることで人々が考えるきっかけが作れると思う」と、そんな問答をした。 
 
  ラミスさんが一つだけ条件があるといった。当時三つになる息子海くんを連れての旅になるが、大丈夫か。「もちろんきちんと子守をつける」と返事をし、それから一年間、私が住む秩父からはじまり、長野、山形、山梨、東京都下、長崎、埼玉、京都など十ヶ所余りを訪ねる旅がはじまった。ラミスさんは、ほとんど旅費だけという旅を根気よく付き合ってくれた。その旅でラミスさんをよんだ長野県の青年グループは有事法制反対の地方議会決議の運動に乗り出すなど、いろんな波及があった。 
 
  悪がきで講演の邪魔ばかりしていた海くんも五歳歳を重ねた。今回ラミスさんが書いたこの本を手にとって、瞬間的に思ったのは、「ラミスさんは海くんを思い浮かべながら書いたのだな」ということであった(ぼくの思い違いかもしれないが)。 
 
  それほどこの本はやさしく読める。同時にとてつもなく奥が深い。国家という権力、戦争という行為が持つ意味を考えに考えぬき、ラミスさん特有の逆説的な論理を縦横に駆使しながら、「普通」とは何かを問いつめていく。 
 
  この場合の「普通」とは、「軍隊を持つ国」「戦争ができる国」はこの世界では「普通」の国であり、これこそが「国際貢献」の最低条件なのだという、いまこの国を動かしている政治潮流が使う「政治言語」としての「普通」である。 
 
  ラミスさんはこの「普通」の意味を次々とひっくり返していく。その論理の展開はスリリングなほどだ。 
 
  例えば、「昔、普通の人は、地球が平らだと信じていました」「現在の世界で、普通の国は貧乏です」。つまり、歴史のなかでも、いまの世界の広がりのなかでも、「いろんな普通」がある。そのなかで、「軍隊を持ち」「戦争ができる」国が「普通の国」であると考える人は、どうやらアメリカが世界で「普通の国」と考えている節がある。 
 
  そのアメリカはこのところ戦争を繰り返してきた。そして、その戦争に一度も勝っていない。(そうラミスさんにいわれてはたと気がついた)。 
 
「朝鮮戦争は引き分け」 
「ベトナム戦争はみごとに敗北」 
「第1次湾岸戦争にもし勝っていたのなら、第2次湾岸戦争(イラク戦争)を仕掛ける必要はなかったはず」 
「そしてアフガニスタン戦争、イラク戦争・・・。アメリカはいま、両方に負けているようです」 
どうやら「普通」の大国は戦争に負けるものなのだ。 
 
  そして、戦争――。 
 
  国が軍隊を持つ理由は、次のように説明される。「(侵略から)国民の命を守る」「国の大切なものを守る」。こうして世界中のほとんどの国が軍隊を持った。20世紀はその軍隊がどう使われたかをみる世界規模の実験の世紀であった。 
 
「この100年のあいだ、国家によって殺されたのはおよそ2億人。その圧倒的過半数は兵隊ではなく、(女性、子ども、老人を含む)普通の人」「それぞれの国のなかにいた自国民」 
 
  では日本は――。 
 
1、日本の長い歴史のうち、政府がもっとも強い軍事力をもったのはいつだったでしょうか。 
2、日本の長い歴史のうち、国民が暴力によって殺された数がもっとも多かったのはいつだったでしょうか。 
正解――同じ時期。 
 
  こうした論理を実証的に積み重ねながら、ラミスさんは戦争がいかに異常な社会を生み出すかを解き明かし、次のように書く。 
 
「戦争だらけの20世紀は普通=正常でもなんでもなく、異常な時代でした」 
「日本国憲法は、その異常なやりかたから脱皮した、『普通の生活=平和的な生活』を提案しているのではないでしょうか」 
 
  こうしてラミスさんは政治的言語としての「普通」を、普通の人々の「普通」に逆転させていく。 
 
「普通の人は戦争をしません」 
「戦争をする人は、なかなか普通になれません」 
「戦争をしないことが普通になる世界をつくらないと、人類に生存さえあやうくなります」 
 
  そして最後にこう呼びかける。 
 
「みなさん、ぜひ『普通の国』になりましょう」 
 
  この本は子どももおとなも、声に出して読んでほしいと思う。できれば何人か集まって交代で一節ずつ読み、みんなで立ちどまって考え、話し合う、そんな読み方が似合っている本だ。 
 
(C・ダグラス・ラミス著 大月書店 2007年4月刊 1200円+税) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。