2007年06月16日11時47分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200706161147336

戦争を知らない世代へ

日中戦争下の米国人宣教師と中国民衆と日本軍 中谷孝(元日本軍特務機関員)

  日中戦争の戦場で印象に残っていることに、到る処で出遭ったアメリカのプロテスタント教会とその付属病院の存在がある。 
 
 対米宣戦以前の話であるが、作戦で日本軍が市街に入ると県政府の有する大きな街に必ずキリスト教会とそれに付属する病院が有り、アメリカ人宣教師が病院長を兼ねていた。日本軍を恐れた住民、特に婦女子は教会と病院に保護を求めて殺到し、庭を埋め尽くしていた。教会や病院に治外法権が及ぶわけではないが日本軍もアメリカ人の目の前で余り手荒なことは出来ない。中国民衆のアメリカに対する信頼感は高かった。 
 
 明治28年(1895)に発生した北支事変の結果結ばれた辛丑(しんちゅう)条約により、欧米及び日本は中国に軍隊駐留権を認めさせヨーロッパ各国は利権を争っていたが、アメリカは独り多くの宣教師を送り込み教会を建て病院を併設して善意の印象を浸透させていた。その数3千を越えていたと云う。 
 医療の遅れていた中国では大きな信頼を獲得し、一般には「ヨーロッパ人は利己的だがアメリカ人は頼りになる」と云う空気が醸し出されていた。日本軍が占領した街で宣教師達は日本軍を極力刺激しない様穏やかに対応し建物に迎え入れた。総べての教会は灯油エンジン付き発電機を備え、短波無線機を持ち、病院にはレントゲン装置を備えていた。慈善・布教の陰に国家情報機関である一面が窺えた。 
 
 日米開戦により日本軍占領地のアメリカ人宣教師達は送還されたが教会及び病院は存続を許された。教会の信者は憲兵の干渉をおそれて、殆んど集まらなくなったが、病院は中国人医師が業務を引き継いでいた。 
 
 日本の降服後、宣教師の復帰は早かった。教会も病院も復旧したが、彼等が再度戦火に翻弄される迄僅か3年しか無かった。中国共産党軍の攻撃に国民党が敗れ、アメリカに頭の上がらなかった蒋介石が台湾に逃れると、新しく支配者になった毛沢東がアメリカのキリスト教会の存在を認める筈は無かった。更に文化大革命は隠れクリスチャンを徹底的に弾圧した。 
 
 近年中国政府は宗教に寛大な政策をとり、教会も一部復活しているが、外国人の牧師、神父は存在していないらしい。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。