2007年06月23日20時38分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200706232038536

根津教諭の「君が代」拒否

<停職6ヶ月「出勤」日記・12>教育関連3法が成立、だから私は「処分」を発信していく

6月18日(月) 
 
立川二中へ。 
 
 生徒たちの登校が終わって、仕事を始めようとしたところに、Sさんの訪問。語り合った。 
 
 今日出会った人たちは――。 
 
 信号待ちで私の前に止まった車の窓が開き、40歳前後の男性が身を乗り出し、笑顔で手を振ってくださった。私も立って、手を振り、「ありがとうございまーす」と大きな声で答えた。 
 
 2人目は、私より10歳ほど年長と見られる女性。プラカードを見て、私に話してこられた。「なぜ国歌を歌わないの?」「国歌なんだから歌えばいいじゃない」と。話してみて、そこはかみ合わなかったが、その女性、「でもこんな処分はひどいよね」とおっしゃった。 
 
 「国旗国歌は尊重するもの」とおっしゃる方の中にも、「処分はやりすぎ」と感じていられる方は結構多い。 
 
 3人目は、70歳前後と見られる女性。「随分長いねえ」とおっしゃる。初めての方かと思って尋ねると、「いつも見ているよ」と。「いったい国は何を考えているんだろうね」と言われたことに対し、私が「戦争したいんじゃないんでしょうか」と言うと、この女性、「えっ、戦争はいやだよ」と条件反射的に言われた。戦争体験がそう言わせるのだろう。 
 
 4人目は、今春卒業したAさんのお母さん。今年はこの道を通られないなあと思っていたところでの出会いだった。お子さんの近況を伺ったりして、楽しいひとときであった。 
 
 今日は定期テスト直前で、原則一斉下校。何人何組かが立ち寄って話していった。 
 
 3年生のBさんは、「先生、治安維持法で捕まっちゃうよ」と言う。「治安維持法の時代と同じ、と私も思うよ」と私。彼はこうも言った。「卒業式の日の朝配っていた紙(チラシ)の歌の意味を見て、ホントにむかついた」と。彼は、チラシ回収隊のおじさんに渡さずに、今もこのチラシを大切に保存しているのだそうだ。 
 
 校門の前で撒かれたチラシを、校門に入ったところでそれを回収する回収隊。無理に回収すれば、彼のように、そこから「なぜ?」と考える生徒が出現するのは当然のことだ。別れ際彼は、「がんばってください」と言ってくれた。 
 
 二人連れの1年生。じっとプラカードを見ていて、「おかしいですよね」「がんばってください」と言う。「どういうことかわかるの?」と訊くと、「はい、わかります」。もう一人は、「軍国主義です。お姉ちゃんが言ってます」と。 
 
 じっとプラカードを見る生徒に学年を尋ねると、どの生徒も「1年生です」。「何のことか知っているの?」と訊くと、大半が「知っています」。 
 
 登校時に元気な声で挨拶をしてくれるのも、私のことを一応知っていてのことなのだと、わかった。 
 
 他にも何人かが、「がんばってください」と言ってくれた。 
 
 曇りの予想が外れ、晴天。アスファルトの照り返しがきつかった。 
 
6月19日(火) 
 
 95年3月に嘱託採用拒否をされた田畑さんの裁判を傍聴した。当時の豊島区教委N室長への尋問、そして田畑さん本人への尋問と長時間にわたった。 
 
 不採用の理由は、「田畑さんが仕事の意欲に欠け、社会性に欠けると判断した」というもの。「仕事の意欲に欠ける」としてあげた「事実」に、「補教をしない、拒否した」がある。 
 
 原告代理人がN室長に、1年間に43回補教に当たったことを記録した出席簿のコピーを示し、「都教委に面接結果を具申する際に、43回の補教を知っていましたか」と訊くと、成田室長は「知りませんでした」。事実を知らずに、「意欲に欠ける」と判断し、都教委に採用しないよう具申したのだ。 
 
 公簿に記録が残るものについてこの通りなのだから、記録が残らないものについては、やりたい放題の創作をしたことは、言うまでもない。 
 
 また、室長が「社会性に欠けると判断した」のは、「採用に当たっての面接時に、田畑さんが許可も得ずにメモを用意し、時折メモをしていたから」と言う。 
 
 よほどの偏見がなければ導き出せない結論だ。おかしいことをおかしいと主張する彼女への報復であり、はじめに結論ありきであったことが、傍聴していてよくわかる。 
 
 再雇用採用を拒否されてから12年、田畑さんは闘い続ける。 
 
6月20日(水) 
 
 南大沢学園に。 
 
 Kさんは校長に、根津を支援する気持ちを書いた手紙を手渡そうと思って早朝からやってこられた。校長が出勤し、私と挨拶を交わしている2メートル後ろにKさんの姿があった。門の中に入っていく校長に私は、「この人は私と最近知り合った人です。校長に話をしたいとのことですから、聴いてください」と言い、Kさんも言い始めたが、校長は頭を下げると背中を向け、中に入ってしまった。その後Kさんは先週のボール紙ゼッケンを胸にかけ、私の隣で子どもたちを迎えた。 
 
 ここに出勤する人たちを降ろしたタクシーがUターンしてきて、私の隣で止まり、後ろの扉が開いた。と思うや、運転手さんが「がんばってくださーい」と身を乗り出して大きな声で言ってくださった。うれしかった。 
 
 出勤時に今朝も何人もの教員が労いのことばをかけてくださった。「Cと言います。ご苦労様です。何かできることがあったら、言ってください」と新たに声をかけてくださった方も。 
 
 ほとんど人通りのない道だけれど、ここで人と待ち合わせていると言う女性が、「新聞で見ています。応援しています」と言ってくださった。 
 
また、来校された男性は、車を停めて出てこられ、「どこまでもがんばってくださいね」と言って行かれた。 
 
 午前中のお茶タイムは、いつもの喫茶室へ。今朝初めてことばを交わしたCさんおすすめのアイスココアを注文した。なんたって、100円なのが、魅力。 
 
 Uさん、SUさんが訪ねてくださった。 
 
6月21日(木) 
 
鶴川二中へ。 
 
 「根津先生おはようございます」と大きくさわやかな声をかけてくれる何人かの集団。「オーイッ」とはるか前方から声をかけてくれる集団。「がんばってください」といつもの何人かに元気をもらい、今日も始まる。 
 
 まったく私を知らない1年生の中に、私の挨拶に返事を返さない生徒が現れてきた。流言飛語を信じてしまう社会現象は、そのまま子どもの社会にも起きるわけで、この1年生たちも、信じ込まされ始めたのだろうか。 
 
 この連鎖を断ち切るのに必要なのは、自分の頭で考えることを大事にする教育。 
 
 しかし、自分の頭で考える教育と対極にある、国の考えを刷り込み、国に従順な人間をつくるための教育関連3(4)法が昨日成立してしまった。 
 
 こんな社会状況だからなおさらのこと、私は私の受けた処分を、身体ごと晒し、発信していく。 
 
 通りかかった2人の方が会釈をしてくださった。どちらも初老の方だった。 
 
 せっかくの休日を使ってSAさんが訪ねてくださった。こんなにゆっくり話しをしたのは初めてのこと。75年生まれの彼女と感じ方考え方がびっくりするほど似ている。話せば話すほど、そのことがわかった。いいひとときを過ごさせていただいた。 
 
 少し遅れて聴講へ。 
 
6月22日(金) 
 
 都庁第一庁舎前で8時から1時間、チラシ配り。 
 
 今日も14人の人が集まってくださった。大勢で配ると活気づき、チラシの受け取りもいい。都庁の中からも声をあげてほしい!と思いながら、訴えた。 
 
 ちょうど終わろうとするところに、富山に「全国行脚」に行っている河原井さんから電話が入り、河原井さんからの「ありがとう」をみんなに伝えた。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。