2007年07月26日10時07分掲載  無料記事
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知足と簡素な生活のすすめ  脱「経済成長」が時代の要請 安原和雄(仏教経済塾)

  私(安原)は07年7月23日、日本プレスセンタービル(東京都千代田区)内で開かれた「仏教経済フォーラム」定例研究会で「知足と簡素な生活のすすめ」と題して講話を行った。安倍首相は今回の参院選で「成長を実感に!」などと相変わらず経済成長主義に執着しているが、経済成長によって資源エネルギーを浪費し、地球環境の汚染・破壊をさらに進めていくことはもはや許されない。ゼロ成長でもよし、と考える脱「経済成長」こそが時代の要請であることを強調したい。そういう脱「経済成長」時代には「消費こそ生活の目的」と考える従来の「消費主義」病を克服し、知足と簡素な生活への転換が求められる。 
 
▽戦争病、消費主義病にとりつかれたブッシュ米大統領 
 「消費は生活の目的ではない」といったら「えっ、なぜ?」という反応を示す人と、「そんなこと、当たり前」と答える人とどちらが多いだろうか。残念ながら前者の消費主義信奉者たちが多数派であることは疑問の余地がないだろう。 
 小泉純一郎前政権のキャッチフレーズは「改革なくして成長なし」であった。安倍晋三政権(06年9月発足)のそれは「成長なくして日本の未来なし」である。どちらも政策目標として経済成長の旗を掲げている。経済成長を計る尺度であるGDP(国内総生産=最近では年間約530兆円の規模)のほぼ6割は個人消費であり、この個人消費の増大なしには経済成長もおぼつかない。 
 
 もちろん消費拡大志向は日本に特殊な現象ではない。むしろ米国がその本場といってよい。「我々の時代は消費主義と定義される」という認識に立つ米国ワールドウオッチ研究所編『地球白書2004〜05』は次のように述べている。 
 「所有して消費したいという衝動は、いまや多くの人々の精神を支配し、かつては宗教や家族、共同体が占めていた精神のある部分もこうした衝動に浸食されている。消費は個人の成功度を測る一般的な基準になった」と。 
 このことは消費主義は、いまや「病」とも称すべき症状を呈するに至ったことを示している。 
 あの戦争病にとりつかれたブッシュ米大統領が「9・11テロ」(2001年)の後、「テロを恐れることなくショッピングセンターに出掛け、買い物をすることが愛国者としての義務だ」と勧めたというエピソードが語り継がれている。テロとの戦いを宣言したブッシュ大統領も消費主義病との戦いまでは思いつきもしないらしい。大統領自身が消費主義病にとりつかれているからであろう。 
 
 消費主義病を克服する処方箋は何か。以下の4本の柱を中心に考える。 
1.「消費主義」病、それを促す経済成長主義 
2.「豊かな生活」の再定義―消費者たちの反乱 
3.知足のすすめ―「消費者の選択」の再定義 
4.簡素な生活のすすめ―非暴力を求めて 
 
(前出の仏教経済フォーラム=寺下英明会長、安原和雄副会長=は知足、共生、中道を合い言葉に仏教経済思想の形成と普及をめざす自主的かつ開かれた集まりで、宗派にこだわらず、入会、退会ともに自由である) 
 
1.「消費主義」病、それを促す経済成長主義 
 
 ここではまず消費主義病がどのように広がりつつあるか、その一端を報告し、その背景に経済成長主義が相変わらず根を張っていることを指摘する。 
 
*中国の自動車保有台数がアメリカを抜く日 
 02年には約1000万台の自家用車が中国の道路を走り、その保有台数は急増し、2015年には保有台数は1億5000万台になるという予測もある。これはアメリカの1999年の自動車保有台数を1800万台も上回る。 
 
*アメリカを中心に広がる消費主義病 
 大量消費社会の積極的な追求は、多くの国の国民健康指標の低下をもたらしている。次のような「消費主義病」が急増しつづけている。 
・喫煙による死亡 
 数百億ドルもの広告によって促進されている消費習慣の喫煙は世界中で毎年500万人の死亡に関係している。 
・太りすぎと肥満症 
 太りすぎと肥満症―栄養の偏った食生活と運動量の少ないライフスタイルの結果である―は、全世界で10億人以上を苦しめており、日々の生活の質を低下させ、社会に莫大な医療コストを課し、糖尿病の急増を招いている。アメリカでは成人の推定65%が太りすぎ、または肥満症であり、これに関連する死亡は年間30万人に達している。 
・体が大きくなりすぎたアメリカ人 
 アメリカ人そのものも大きくなっている。実際、体が大きくなりすぎたアメリカ人のニーズを満たすために数十億ドル規模の産業が出現している。特大サイズの衣類や、より頑丈な家具、さらには特大の棺などを供給する産業である。 
 
*「消費主義」病を促すもの―経済成長主義 
 先進国の生活習慣となった大量消費、そして消費主義病を蔓延させている元凶は何か。その答えは経済成長主義にほかならない。経済成長とは、GDP(国内総生産)の量的拡大を意味しており、その大半を個人消費が占めている。いいかえれば個人消費の増大なしには経済成長もむずかしい。経済成長主義が消費主義病を促し、逆に消費主義病が経済成長主義を増幅させる。こうしていまでは経済成長主義は一種の宗教にさえなっている。 
 次の指摘は的確である。「際限のない消費による継続的な経済成長が信奉されている様子は、まるで現代の宗教である。企業幹部は株主の期待に応えるために、政治家は次の選挙に勝つために、経済成長を目標に掲げる」(同『地球白書』)と。 
 
2.「豊かな生活」の再定義―消費者たちの反乱 
 
 ここで問うてみたい。「消費の拡大は果たして生活を豊かにし、人々に幸せをもたらしているのか」と。結論からいえば、「ノー」であり、豊かな国、すなわち所得の多い国では「所得増・消費増と幸せは一致しない」という調査結果がある。 
 たとえばアメリカでは1957年から2002年までに個人所得は2倍以上に増えたが、意識調査で「大変幸せ」と答えた人の割合はこの期間を通じてほとんど変化していない。いいかえれば、すでに所得が多く、富裕になっている人々には「幸福はお金では買えない」という古い格言が生きている。 
 ここから「豊かな生活」とは何か、という豊かな生活の再定義への試みが高まってきた。従来の経済成長主義、消費主義に対する消費者たちのささやかな反乱である。 
 
▽生活の質の向上 
 再定義から導き出される豊かな生活とは、「財貨の蓄積」ではなく、「生活の質の向上」にほかならない。要するに経済成長主義、消費主義とは異質の豊かさの追求である。 
 
 その「生活の質の向上」は次のような柱からなっている。 
*生存のための基本的条件=食料、住居、安定した生計手段などを含む 
*良好な健康=個人の健康と自然環境の健全性を含む 
*良好な社会関係=実感できる社会的結束と、実感できる助け合いの社会的ネットワークとを含む 
*安全=身体的安全と個人的所有物の安全を含む 
*自由=潜在能力(注)を実現する機会の保障を含む 
 (注)潜在能力(Capability)とは、アマルティア・セン博士(1933年インド生まれ、1998年度ノーベル経済学賞受賞)独自の概念で、くだいて言えば、様々なライフスタイルを実践できる真の自由を指している。いいかえれば、財やカネの量で示されるのではなく、生活上の様々な選択肢に対する自由度によって測られ、その自由度が大きいほど生活の質が高いことを意味する。だから「潜在能力」という表現よりも「選択の自由度」の方が分かりやすいかもしれない。 
 例えば財産家でも病弱であれば、その制約を受けて選択の自由度は低い。さらに飢餓と断食の例では、食事をとらない点では同じだが、飢餓は意に反して強制されるもので、そこには選択の自由はない。ところが断食の場合、食事を自由に選択できるにもかかわらず、あえて断食を選択するので、潜在能力の視点に立てば、断食のできる人は生活の質が良いということになる。 
 
 以上の「生活の質」の柱は、日常感覚では次のように表現できる。 
*日常の活動がゆったりと展開され、ストレスが少ない 
*家族、友人、隣人とのより親密な交流がある 
*より直接的な自然との「ふれあい」ができる 
*人々が財貨の蓄積よりも充足と創造的表現へのより強い関心を抱いている 
*自分自身の健康、他の人々の健康、自然界の健康を損なうような行動を避けるライフス タイルを重視する 
 
3.知足のすすめ―「消費者の選択」の再定義 
 
 生活の質の向上を実現し、日常生活に定着させるには何が必要だろうか。東洋思想の知足(=足るを知る)の精神に着目したい。 
 
▽老子の「足るを知る者は富めり」 
 特に注目したいのはアメリカ人の手になる『地球白書2004〜05』が「消費者の選択」の再定義に関連して、東洋思想である「知足の心」の重要性を説いていることである。次のように述べている。 
 
 消費者の選択とは、個々の生産物やサービスの間の選択ではなく、生活の質を高めるための選択を意味するものと再定義されるべきである。個人にとって真の選択は、消費しないことの選択も含まれる。1つの指針は中国古代(前4世紀)の哲人、老子の「足るを知る者は富めり」という教えである―と。 
 
 また老子は「禍は足るを知らざるより大なるはなし」(戦争の惨禍の原因は支配者が強欲、すなわち貪欲で、足ることを知らないのが最大である、という意)とも説いた。この今日的意味を一番理解して欲しい支配者は、いうまでもなくブッシュ米大統領であろう。貪欲そのものの姿勢がイラク攻撃のような軍事力行使に駆り立てているからである。 
 
▽釈尊の「知足の人は貧しといえどもしかも富めり」 
 知足の精神の重要性は、釈尊(前563〜前483。古代インドのシャカ族の出身で、仏教の開祖)も力説した。その趣旨は次の通りである。 
 
さまざまな生活の苦しみから逃れようと思うならば、足ることを知らなければならない。お金が十分なくても足ることを知り、感謝して暮らすことができる人が一番富める人である。足ることを知らない人は、どんなにお金があっても満足できないので貧しい人である。足ることを知らない人は、5欲(食欲、財欲、性欲、名誉欲、睡眠欲)という欲望の奴隷で、その欲望にひきずられて、「まだ足りない」と不満をこぼすので、足ることを知っている者から、憐れな人だと思われる。 
 
 以上、知足にまつわる古代東洋思想を紹介した。ただ注意を要するのは、今日的な知足の精神とは何を意味するのかである。今日の地球環境の保全を最重要な課題とする地球環境時代に知足を説くことはどういう意味をもっているのか。果たして先進国・富裕国も貧しい発展途上国も一様に知足の心が求められるのかというテーマである。 
 
▽先進国でこそ知足の精神の実践を 
 知足の実践には環境保全(=持続可能性)と社会的公正(=格差の是正)という2つの命題を両立させることが重要である。 
 
 具体的には欧米、日本など西側世界の大量消費を維持し、一方、発展途上国の貧しい人々の生活水準の向上を阻む「消費のアパルトヘイト(差別)」を是認することはできない。 
 環境保全と社会的公正を両立させるためには、先進国の豊かな人々こそ、肥大化した物欲を抑制し、知足の精神の実践が不可欠である。いいかえれば持続可能性の範囲内に貪欲を抑え込むことが不可欠である。 
 
 ただ先進国内でも特に日米では所得面で格差が拡大しつつある。貧者の増大、すなわち「生活の質の向上」の前提となる生存のための基本的条件に恵まれない人々の増大である。この格差を放置したまま、一律に知足の心を説くわけにはいかない。 
また中国やインドなども今では高度成長を遂げつつあり、消費水準も急速に高まりつつある。発展途上国の消費水準の向上は、必要であるとしても、あくまでも環境保全に必要な持続可能性の範囲内に収める必要があるだろう。 
 
4.簡素な生活のすすめ―非暴力を求めて 
 
 消費主義が豊かな生活をもたらさないという事情を背景に大量消費社会からの離脱の動きが始まっている。それは草の根レベルで高まりつつあり、欧米、日本では簡素・質素な生活(シンプルライフ)を求め、実行する人々が増えつつある。これは知足の精神、非暴力の日常的な実践といってもよい。 
 
▽4Sをめざすライフスタイル 
 シンプルライフとは従来の大量消費型購買習慣の見直しだけでなく、ライフスタイル全体の簡素化をめざしている。スローガン風にいえば、4S(Simple Slow Small それにSmileの4つのS)運動と位置づけることもできるだろう。4Sとは「簡素で、ゆったりと、身の丈に合った暮らしを追求する。同時にほほ笑みを忘れない、一種の利他主義の実践」という生き方を意味する。 
 これはわが国でいえば、新保守主義的な自由市場原理主義に立つ小泉流構造改革、さらにそれを継承発展させると宣言している安倍流構造改革とは180度異質の「もう一つの構造改革」である。以下では日本がもっと学ぶべき欧米での具体例を紹介しよう。 
 
*アメリカで増えるLOHAS(ロハス)消費者 
 アメリカでは健康と環境に配慮した生産物の購入に関心をもつ消費者が膨大な数に達しており、市場調査では「注目すべき消費者たち」として認知されている。LOHAS消費者(Lifestyles of Health and Sustainability:健康と持続可能性にかなうライフスタイルを追求する消費者)と呼ばれる人々で、環境への負荷の少ない小型蛍光電球や太陽電池、また生産者に正当な報酬が支払われる公正取引の対象であるコーヒーやチョコレートなどに関心をもつ。 
 この種の消費者はアメリカの成人人口の3分の1を占め、2000年にその購入総額は約2300億ドル(約27兆円)にのぼった。これは同国の総個人消費の約3%に当たる。 
 
*自転車専用路網を増やしているオランダとドイツ 
 オランダ、ドイツは自転車専用路の建設や自転車を優先する信号の設置など、自転車利用を安全にするためのインフラ整備に投資している。オランダは過去20年間に自転車専用路網の総延長を2倍に増やし、ドイツは3倍に増やした。 
石油をエネルギー源とする車社会はすでに崩壊過程に入っていることを認識する必要がある。人口13億人の中国の車社会への新規参入がこの崩壊過程に拍車をかけている。 
 石油資源に限界があること、車の走行によって放出される膨大な二酸化炭素(CO2)による地球環境の破壊(地球温暖化、異常気象など)、多数の交通事故死(年間の死者は日本1万人以下、アメリカ約4万人)、巨額の必要コスト(道路整備、騒音防止など)―がその理由である。先進国では公共交通機関(鉄道、バスなど)、自転車、徒歩重視への転換競争が始まっている。一番出遅れているのが日本である。 
 
▽ミサイル技師からシンプルライフへ 
 米国におけるシンプルライフ実践のはしりともいえる人物を紹介しよう。 
 『核先制攻撃症候群』(岩波新書)の著者、R・C・オルドリッジ(1926年生まれ)で、1973年米国最大の兵器メーカー、ロッキード社の弾道ミサイル設計技師を辞職し、平和活動家に転身した人物である。辞職の理由は、当時のペンタゴン(国防総省)の核政策が先制攻撃戦略(核攻撃を受ける前に相手の核ミサイル基地を叩く戦法)に転換したことにあった。その後広島で開かれた原水爆禁止世界大会などへの出席のため来日したこともある。 
 彼は当時を追想して書いている。「快適に暮らせる毎週のサラリーがなくなって、まず手がけたことは、今までより贅沢を切りつめた生活すること。お金もかからず、それに環境保護にもかなう料理法による、さまざまな食事をやってみるようになった。それが次第に日常のパターンとして定着した。つまり質素に暮らすということ」と。 
 
 さて今の時点で考えてみるべきことは、彼のシンプルライフがどういう意味をもっているのかである。彼自身、次の諸点を挙げている。 
(イ)資源や食糧の配分の不公正を改善するのに貢献すること 
 われわれ一人ひとりが質素な生活をすることは、食糧や資源の配分を公正にするのに役立つ。多額のサラリーを消費していたころに私がしていたことは、世界の富の半分でどうやら生きのびている全人類の94%に向かって、(食糧や資源を不当に収奪する形で)暴力を加えていたことを意味する。地球上の8人に1人が飢餓に直面している。今日の世界で死んでいく人びとのうち3人に1人は、飢えによる。世界の食糧が不足しているわけではない。問題は配分の不公正である。 
 
(ロ)平和をかき乱す貪欲を一掃することができること 
 必要としている物だけを消費していれば、われわれ自身の貪欲を一掃することができる。私はキリスト教徒だが、次のような仏陀の教えが実に説得力を持っている。 
 
欲求は利益の追求をうながす。 利益の追求は欲情をうながす。 
欲情は執着をうながす。執着は貪欲とより大きな所有欲をうながす。 
貪欲とより多くの所有欲とは、所有物を見張り、監視する必要をうながす。 
所有物の見張りと監視から、多くの悪い、よこしまなことが起こる。殴り合い、喧嘩、口論。中傷、うそ。 
これが、めぐる因果の鎖である。欲求がなければ、利益の追求や、欲情や執着や貪欲や、より大きな所有欲があり得ようか? 
己の所有欲というものがなかったとしたら、静かな平和がやってくるのではないか? 
 
以上の仏陀の教えを紹介した後、次のように述べている。 
 「これこそ、われわれの家庭や社会や、さらには国際関係のありさまをよく描いているではないか。因果の鎖を自覚し、質素に生活することにすれば、われわれはいつかは、われわれの本性から貪欲を拭うことができるはずである」と。 
 
(ハ)自分の生活様式を私利中心でないものに改めるよう努めていること、いいかえれば利他主義実践への意欲 
具体的には以下のような諸点を挙げている。 
*既成の社会的な枠を変えるための非暴力的手段を模索し、かつ兵器こそ安全保障と雇用をもたらすという神話を追放するために活動している。 
*アメリカ政治のあり方には同意できないが、この国を愛している。この祖国愛があるからこそ、利潤や権力への飽くことのない渇望にかられた軍産複合体(注)が、アメリカ国民に向けて繰り返し吐き続けている嘘(うそ)やごまかしを暴露しなければならない。 
 (注)軍産複合体とは、巨大な軍事組織と大軍需産業の結合体を指しており、いまではアメリカの政治、外交、軍事を牛耳り、戦争を主導するほどの影響力を持っている。軍人出身のアイゼンハワー米大統領が1961年、大統領の座を去るに当たって全国民に向けたテレビでの告別演説で警告を発してから、一躍その存在が浮かび上がった。 
 
 ここでは愛国心があるからこそ、軍産複合体と対決し、批判するという姿勢、生き方に着目したい。日本では保守政治家などが戦争のための愛国心育成を主張し始めているが、これとは異質の愛国心には大いに学ぶ必要があるのではないか。 
 
 上述の簡素な行動こそ、貪欲(=不公正、収奪、暴力を意味する)の対極に位置する知足であり、持続可能性の追求であり、非暴力の実践であろう。特にR・C・オルドリッジのシンプルライフは反戦、反核、反権力への志向と重なり合っている。しかも注目すべき点はキリスト教徒であるにもかかわらず、仏陀の教えが、彼の思考と行動の支えとなっていることである。 
 
▽脱「経済成長」をどう考えるか? 
 講話後、質疑応答を行った。その一つを紹介する。 
問い:脱「経済成長」、つまりゼロ成長でもよし、いわれるが、人間に成長が必要であるように、経済も成長しなければ、行き詰まると思うが、どうか。 
 
答え:たしかに人間には成長が必要である。しかしその成長は50歳の実年を迎えてなお体重が増え続けることではない。体重が増え続けることは健康上もマイナスが多い。必要なのは人間的成長、つまり人間としての質的成長である。 
 
 さて経済成長とは、経済規模の量的拡大を指している。質的充実とは無関係であることを理解する必要がある。経済成長はGDP(国内総生産=個人消費、公共投資、民間設備投資などで構成)という経済概念によって計るが、その質は問わない。ただ量だけが問題である。人間の体重が増えても、それが人間的成長とは無関係であるのと同じである。 
 
 日本の年間GDPは現在500兆円を超えている。いわば成熟経済の規模に達している。この経済規模は米国に次いで世界第2位という巨大さで、この規模を毎年維持するのがゼロ成長であり、毎年増やしていくのがプラス成長である。 
 ゼロ成長、つまり毎年500兆円という新しい富を創出するだけでも莫大な資源エネルギーが必要であり、それが地球環境の汚染・破壊につながる。ましてプラスの成長を追求すれば、資源エネルギーの浪費、環境の汚染・破壊に拍車がかかる。 
ゼロ成長経済の下でも優れた企業は勝ち残るし、企業倫理に欠ける企業は没落していく。プラス経済成長下でも同じである。プラス成長がなければ、企業は行き詰まると考える必要はない。 
 
 重要なことは経済成長ではなく、経済の質的な充実、すなわち「豊かな生活」の再定義から導き出される「生活の質の向上」をどう実現するかである。「生活の質」の柱として挙げられている5項目のうち、次の2項目の意味を考えてみたい。 
 
*良好な健康=個人の健康と自然環境の健全性 
*良好な社会関係=実感できる社会的結束と、実感できる助け合いの社会的ネットワーク 
この健康や社会関係は、市場でお金で購入できる性質のものではない。例えば健康を維持するためにはお金が必要であるが、健康そのものをコンビニで買うことはできない。このようなお金で買えないモノはGDP(国内総生産)には計上されない。しかし生活の質を向上させるためにはお金で買えない、いいかえればGDPに計上されない良好な健康や良好な社会関係などが不可欠である。 
 だから経済成長がなければ、「豊かさ=生活の質の向上」を実現できないと考える必要はない。それはGDP概念で計る「経済成長」に対する誤解からくる錯覚である。 
 
(本稿はワールドウオッチ研究所編『地球白書』に負うところが大きい。また拙論「知足とシンプルライフのすすめ―〈消費主義〉病を克服する道」=足利工業大学研究誌『東洋文化』第26号・07年1月刊に所収=が下敷きとなっている) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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