2007年08月09日20時11分掲載
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カナダ・バンクーバーで「原爆と人間」展 地元「9条の会」と共に市長が核兵器反対の声明
ここバンクーバーは、日本からの移民がカナダに初めて上陸した土地であり、またここには西欧からの移民が入る前は、原住民達が数千年にわたって生活していた。どうしてこのようなことから書き始めるかというと、それはこの催しの進行がこの二つに事実に基づいていたからだ。(落合栄一郎)
戦前から20年程前まで、日系人の多くはバンクーバーの一角パウエル街に住んでいたので、そこで8月上旬に日系人の祭りパウエル祭が1976年に始められ、毎年続けられてきた。今年は、31回目で、4、5日の二日間にわたって開かれた。その開会式に、バンクーバーで長く原爆記念の行事を続けてきた退役軍人(奥さんが原爆体験者)が、市長を説得して、この祭りの開会に、広島、長崎の原爆犠牲者にたいする追悼と核兵器反対の声明文を読み上げてもらうことに今年は成功した。
この式次第は、(1)原住民の代表の挨拶、(2)地元代表の国会議員の挨拶、(3)日本総領事の挨拶,(4)市長の原爆記念日の声明であった。まず、原住民の代表は、高齢(60歳ぐらいか)のご婦人で、実に堂々と、威厳をもって、この土地が自分達のものであったこと、日本からの移民の多くが彼らと同じような、漁師としての生活者であり、生活態度など共通する点が多く、日本人には親しみを感じていることなどを述べた。
日本の総領事は、日本にかつてはあったが、今はなくなりつつある祭りの形態がまだバンクーバーに残っていることに対する驚きと敬意を表するという挨拶で、原爆については一言もなしだった。
この祭りの会場の次の通りにある日本語学校の教室を借りて、「原爆と人間」展を、バンクーバー9条の会の若い女性が精力的に準備して開催した。市長も、30分程熱心に見てくれた。市長の原爆についての発言もあったせいか、今年は、昨年(そう昨年も催した)よりも、かなり多くの人が見に来てくれて,熱心に見てくれたし、質問や議論もできた。
この原爆展のあらましを紹介したい。我々は,9条を守る会であり、主眼はそこにある。戦争には被害と加害の両面がある。太平洋戦争では、日本人市民にも、また軍人にも多くの犠牲者があり、その最たるものが広島、長崎への原爆投下による犠牲である。
しかし、被害が甚大であったとはいえ、日本軍が近隣諸国とその国民に甚大なる被害を及ぼしたことも忘れてはならない。ということで、加害者としての日本、被害者としての日本(人)の両方の意味で、戦争の悲惨さ、惨たらしさ、無意味さなどの反省の上に、日本国憲法9条が成立した(正確にいえば、もう少しややこしい事情もあるが)という筋書きである。
そこで、広島市寄贈の原爆の悲惨な状況を示すパネルを40点ほど、加害の例として、現在話題になっている慰安婦問題についての展示、そして憲法9条の意義、現在それがおかれている危機、そしてそれを守り、世界平和に貢献しようではないかというメッセージなどからなっていた。
来場者に鶴を折ってもらう趣向(期間中に千羽をつくりあげた)もこらした。展示をするにあたっての問題の一つは、こういう国外に居ると、加害の事実などについて、展示するのに適した資料が乏しいことだった(もう少し早くから計画すればよかったのだが)。
いずれにしても、原爆の被害を強調するだけでは説得力が少なく、日本があの戦争で犯した数々の悪行を反省し、再び繰り返さないということを十分に世界の人々に分らせる努力をする必要もあるだろう。
しかし一方、核兵器の恐ろしさそのものは、まだまだ十分に世界の人々に分ってもらえていないと思うので,原爆記念日だけでなく、核兵器禁止の運動という形で常に、人々を啓発しても行かねばならないであろう。
そこで最後にもう一つ。この行事は、先にもお知らせしたように、カナダ全国の18都市でこの期に行なわれた原爆記念行事の一つである。そして、この運動は、カナダ政府に「平和省」をつくり、世界に率先して、核兵器禁止運動を促進するよう要請する全国共同声明を発することと、そうしたことを国会に要請するという請願書の署名活動も行なった。唯一の原爆体験国である日本国こそ、非核3原則を堅持して、このようなイニシアテイブをとるべきなのだが。
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