2007年08月29日11時18分掲載  無料記事
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日本列島に住めなくなる日 山田太郎『原発を並べて自衛戦争はできない』 安原和雄

  米国主導の対テロ戦争の余波で、万一、日本が戦争に巻き込まれた場合、どういう事態が発生するか。原発技術者・山田太郎氏は、原発に関する専門知識を活かした論文、「原発を並べて自衛戦争はできない」(季刊誌『Ripresa』07年夏季号・リプレーザ社発行)で「日本列島上に並んでいる原子力発電所が攻撃されれば、放射能汚染で日本列島に日本人が住めなくなる日がくる可能性がある」と指摘している。 
 さらにそれを防ぐためには日本の安全保障政策として「非武装の選択こそが現実的」と提案している。 
 
 安倍改造内閣の発足(8月27日)について、多くのメディアは今後安倍カラーをいかに修正するかが焦点と伝えている。しかし安倍首相は米国の意向に沿ってテロ対策特別措置法(注)の延長にあくまで執着している。これは日米軍事同盟の堅持、そして米国主導の対テロ戦争への協力態勢を続ける姿勢に変わりはないことを意味している。 
 いいかえれば安倍首相は、先の参院選で自民党が惨敗したにもかかわらず、「戦後レジーム(体制)からの脱却」、憲法9条の改悪、そして「戦争のできる国・日本」への意図を捨ててはいないとみて差し支えないだろう。そういう路線に固執することが日本にどういう悲劇をもたらすか、山田論文が示唆するところは深い。 
 
 (注)テロ対策特別措置法は、日本が血税を使って、米国を中心とする多国籍軍に石油を供給するために海上自衛艦をインド洋に派遣している根拠法であり、11月1日で期限切れとなる。安倍政権はこの延長を画策しているが、参院で第一党となった民主党の小沢代表は、延長に反対することを明言しており、当面、与野党間の最大の争点となっている。 
 
 以下に山田論文の要点を紹介したい。 
 
▽原発が武力攻撃を受けたらどうなるか? 
 
 原発の安全に関する議論―大地震でも、あるいは重要な機器が故障しても大丈夫か、など―は、平和であることを当然の前提としている。しかしその平和という前提条件がなくなるという事態、つまり戦争になったら原発にどういう問題が生じてくるのか。 
 
 1)武力攻撃は原発の設計条件に入っていない 
 まず指摘したいのは、原発の設計条件に、武力攻撃を受けても安全でなければならない、は入っていないということである。 
 わが国に現在ある商業用原発55基は、いかに発電コストを小さくできるかという経済性を最優先に設計されており、武力攻撃を受けた場合、どうなるかは少なくとも設計上は分かっていない。 
 
 2)武力攻撃下で原子炉はどこまで安全か 
 次は武力攻撃下で原子炉の安全はどこまで保てるのか、である。 
 ここで火力発電所と原発の決定的な相違点に触れておきたい。火力発電の場合、武力攻撃によって発電できなくなったとしたら、ボイラーへの燃料供給を止めさえすれば、発電所の運転は無事に止められる。 
 しかし原発の場合、原子炉内にある核燃料は、どうなるか。原子炉内で核反応が止まっても、核反応によって新たにできていた放射性物質が、放射線を出すとともに、発熱もするので、その熱を水で冷却してやらねば、核燃料の温度は上がり続け、最後には燃料被覆管が溶けて破れてしまう。さらに温度が上昇すれば、管の破れにとどまらず核燃料自体が溶け、炉心が崩壊するという事態になる。その実例がスリーマイル島原発事故(注)である。 
 
 (注)1979年3月に米国ペンシルバニア州を流れる川の中州にあるスリーマイル島(TMI)原発で起きた事故は、原子炉から冷却水が失われて炉心が崩壊(溶融)した深刻なものだった。原子力事故の国際評価では旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故に次ぐ史上2番目の大事故とされている。 
 
 さて肝心の原子炉が停止した後に行わねばならない冷却は、武力攻撃を受けた場合にできるのだろうか。冷却には、原子炉内の水の循環とその原子炉内の水から熱を海に運び出す補機冷却システムの働きが必要である。例えば海水用ポンプ、配管、熱交換器、電動機、非常用電源(多くはディーゼル発電機)、ディーゼルエンジン用燃料(多くは軽油)タンクなどが必要で、それらの多くは屋外にむき出しで置かれている。これらの機器は小さな通常爆弾でほとんどが破壊されるか、機能停止になるだろう。 
 
 これでは武力攻撃を受けたら、ほぼ確実に原子炉の冷却ができなくなり、原子炉の安全が保てない。こういう事態の発生はもともと設計上考えていないのだから、それから先、どういう事態に発展するかは未知の世界である。 
 ただ想像すれば、大量の放射能が屋外に放出される可能性がある場合、公的機関を通じて地域住民に避難勧告あるいは命令が出され、地域の交通機関は大混乱に陥るだろう。実際には地域住民が避難することは不可能に近いかも知れない。 
 
 3)武力攻撃下で使用済核燃料はどこまで安全か 
指摘しておきたいことは、原発で最も危険なのは、原子炉内で核反応させた使用済核燃料である。核燃料は平均約4年間原子炉内で使われた後、炉外に取り出される。取り出された使用済核燃料は依然として強い放射線を出しているので、万一、人が近づいたら、致死量の放射線被曝をしてしまう。 
 この使用済核燃料が保存される燃料貯蔵設備(燃料プールなど)も、通常爆弾の攻撃には無防備といってよい。この燃料貯蔵設備に爆弾が落下した場合、爆発の衝撃によって何が起こるか。 
 使用済燃料の破損・破壊が生じて、使用済燃料が核反応を起こす可能性がある。これは燃料貯蔵設備が、むき出しの原子炉になってしまうことを意味する。どの程度の核反応になるか。そもそもそこで核反応が起きることを想定していないから、核反応を停止させる装置を持っていない。だから起こってしまった核反応は成りゆきに任せるほかない。 
 
 燃料貯蔵設備の中では、核反応の熱で高温になり、しかも破損した使用済核燃料から放射性物質が大量に漏れだし、大気中に放出される。付随して水蒸気爆発が起きれば、原子炉建屋の破壊が進むかもしれない。 
 予想しない核反応が起きた事例として東海村JCO臨界事故 
 
 (注)があるが、これに比べて武装攻撃の結果起こる核反応の規模は桁違いに大きく、被害も甚大になるだろう。 
 (注)1999年9月茨城県東海村でJCO(株式会社)の核燃料加工施設で発生、作業員2人が死亡した。 
 
 被害発生の直後は、死者や重傷者の救出、人々の避難などでも大混乱になるだろう。長期的には、その時の気象状況にもよるが、周辺の広大な土地が永久に人の住めない放射能汚染状態に陥るだろう。こういう結果になることは、チェルノブイリ原発事故(注)から21年後の今日の現実をみれば明白である。しかもチェルノブイリ事故は戦時下ではなく、平和時の事故であった。 
 
 (注)1986年4月に旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故では上空に吹き上げられた放射能が他国にまで降った。原発周辺は30キロにわたって人が住めなくなり、約14万人が移住させられた。いまなおガンなど病気にかかる人が増えている。北に隣接するベラルーシ共和国では国土の30%が放射能に汚染された。 
 
 4)武力攻撃下で六ヶ所村の再処理施設は果たして安全か 
青森県下北半島に位置する六カ所村の再処理施設が試運転を完了して、正式に稼働できるのはいつか、は分からない。 
 しかし仮に稼働して、各地の原発の敷地から順次、使用済核燃料が六ヶ所村へ向けて搬出され始めても、各原発で貯蔵する使用済核燃料はゼロにはならない。原子炉から取り出された使用済核燃料は、相当長期間、発熱を続けるので、その期間、燃料貯蔵設備で冷却する必要があるからである。しかも再処理施設の正式稼働がいつになるか分からない現状では各原発の敷地内に使用済核燃料が際限なく溜まり続ける。このことが各原発を武力攻撃に対し、きわめて危険な存在にしている。 
 
 一方、再処理施設が正式稼働すれば、使用済核燃料が全国の原発から集まってくることになり、それによって再処理施設は各原発よりもはるかに武力攻撃に対しては危険な存在になるだろう。 
 
▽非武装こそが「現実的」な指針 
 
 どの外国とであれ、国籍不明の武装勢力とであれ、ひとたび武器を使用した紛争に日本が巻き込まれたら、原発が武力攻撃される可能性を覚悟せざるを得ない。その場合、原発を安全に護ることは不可能といってよい。平和の下でなければ、原発は安全を保てないことは、原発の原理的・構造的な宿命である。 
 原発を国内に抱えているわが国は、国家であれ、武装集団であれ、どんな相手からも、武力攻撃を受けるような事態をつくってはならない。そのためには、軍備を持たずに、平和的な手段で国際紛争を解決する努力をするのが国家滅亡を避けるためのもっとも現実的な方法なのである。 
 
 これは日本国憲法(特に前文と第9条)に書いてあることであり、人類で初めて原子爆弾を投下されるという悲惨な体験をした日本においては、戦争直後も「現実的」な指針であったし、当時よりも兵器が発達し、多数の原爆が存在する現時点では、なおさら「現実的」な指針になっている。 
 
 最後に次のことを指摘したい。 
 A:原発に対する武力攻撃には軍事力などでは護れないこと。日本の海岸に並んだ原発は、仮想敵(国)が引き金を握った核兵器であること。 
 
 B:ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性がないこと。 
 
▽安原のコメント―原発という名の「原爆」を抱えて、戦争にこだわる愚かさ 
 
 以上の山田論文「原発を並べて自衛戦争はできない」を読んで、驚いたのは、原発が武力攻撃を受けた場合、どういう危険な事態が発生するかがすべて「想定外」となっていることである。山田論文の繰り返しになるが、重要な点なので、以下に再録したい。 
 
 *原発の設計条件に、武力攻撃を受けても安全でなければならない、ということは入っていない。 
 *武力攻撃を受けたら、原子炉の冷却ができなくなり、原子炉の安全が保てない。こういう事態の発生はもともと設計上考えていないのだから、それから先、どういう事態に発展するかは未知の世界である。 
 *使用済核燃料が保存される燃料貯蔵設備も、通常爆弾の攻撃には無防備といってよい。この燃料貯蔵設備に爆弾が落下した場合、爆発の衝撃によって何が起こるか。 
 使用済燃料の破損・破壊が生じて、使用済燃料が核反応を起こす可能性がある。どの程度の核反応になるか。そもそもそこで核反応が起きることを想定していないから、起こってしまった核反応は成りゆきに任せるほかない。 
 
 先の新潟県中越沖地震で運転停止に追い込まれた東京電力柏崎刈羽原発の場合も「想定外」の事故が相次いだ。しかしこの想定外は平和状態での地震による事故であるが、山田論文にみる「想定外」は戦争状態でのそれであり、どれだけの混乱と惨事を招くかが想定外なのである。その最悪の想定外が放射能汚染によって日本列島に日本人が住めなくなるという事態である。こういう事態は、小松左京の作品『日本沈没』―地震による日本列島沈没のため海外移住を余儀なくされることを描いた長編小説―から連想すれば、「原発版・日本沈没」物語とはいえないか。 
 
 安倍首相ら憲法9条(=戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)の改悪志向派、すなわち軍事力重視の安全保障派=日米軍事同盟依存派は、以上のような最悪の事態を頭の片隅にせよ、考えてみたことがあるのだろうか。 
 彼らは憲法9条擁護派、すなわち生命・人間重視の安全保障派=日米軍事同盟批判派に対し、しばしば「平和ボケ」という冷やかしの言葉を投げつけてきたが、その彼らこそ平和・安全地帯に身を置いて戦争時の惨事を想像すらできない「平和ボケ」ではないのか。 
 
 原発という名の事実上の「原爆」を列島上に55基も抱え込んでいて、それでもなお軍事力にしがみつき、戦争という火遊びをする、その愚かさにいつ気づくのか。亡国への道をひた走ろうとするその狂気からいつ醒(さ)めるのか。いいかえれば非武装こそが生き残る唯一の賢明な道であることにいつ気づくのか。 
 
 私は山田論文の「非武装こそが現実的な指針」という認識に共感を覚える。その論文末尾の次の指摘をいま一度噛みしめたい。ここには日本人の運命とその未来が示唆されている。 
 「ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性がない」と。 
 
(なお「原発を並べて自衛戦争はできない」を掲載している季刊誌『Ripresa』を発行しているリプレーザ社のTel&Fax:050−1008−1753、発売元の社会評論社のTel:03−3814−3861、Fax:03−3818−2808) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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