2007年09月22日17時29分掲載
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【ビデオ】ビルマ軍政はなぜ僧侶のデモを恐れるのか 非暴力の闘いに国民の支持
燃料費の大幅値上げに対するビルマ(ミャンマー)国民の抗議行動は、多数の僧侶が全国各地で抗議デモを展開するにつれ、反軍政の政治的性格を濃くし始めている。旧首都ヤンゴンでは22日も少なくとも2千人の僧侶がデモが行ったが、軍政は2003年以来自宅軟禁に置かれている民主化運動の指導者アウンサンスーチーさん宅前の道路封鎖を突然解除、スーチーさんが自宅前を通過する僧侶たちを見て涙をこらえきれなくなる姿が見られた。なぜ僧侶は反権力闘争の先頭に立つのか。軍事政権はなぜ僧侶の行動に手荒な対応を控えているのか。民主化運動と仏教はどのような関係があるのか。日本人には分かりにくいこれらの点を、現地から送られてきた僧侶のデモ行進のビデオを観ながら考えてみたい。(永井浩)
まずは下記のビデオにアクセスしてほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=EIuSPl_xX-0
僧衣の僧侶たちが旧首都ヤンゴンの通りを無言で行進していく。プラカードなどは見られない。その列に多少の距離を置いて多くの市民が並行して歩いていく。ときどき沿道から拍手がわき起こり、「学生もいるぞ」といった市民の声も収録されている。
僧侶たちはこのあと、市内のシュエダゴン・パオゴダやスーレ・パゴダに集結し、平和を祈り、仏教の教えを唱和した。
抗議デモは、8月15日に政府がガソリンなどの燃料費を倍増すると発表したことから、ヤンゴンを中心に始まった。当初は1988年の民主化運動の活動家たちが中心的な役割を果たしていたが、軍事政権は民間の翼賛組織「連邦団結発展協会」(USDA)や軍の秘密情報機関などを動員して徹底的に弾圧。デモの参加者100人以上が逮捕・拘束された。
僧侶による抗議行動は、9月5日に中部パコックで僧侶たちが燃料費高騰に抗議するデモを行ったさいに、軍の威嚇発砲で数人の負傷者がでた事件をきっかけに全国に拡大した。ヤンゴンだけでなく中部の中心都市マンダレーなど16の都市や町で、数百から千人を超える僧侶のデモが頻発するようになった。ヤンゴンでは4日連続の大規模デモが繰り広げられ、20日は1400人、21日は豪雨のなか約1500人が参加した。
22日はヤンゴン以外でも、マンダレーで1万人がデモ行進するなど全国の5地区で抗議行動が行われた。軍や警察との衝突は伝えられていない。
僧侶団体は軍政に対して、パコックの発砲事件への謝罪、物価値下げ、政治犯の釈放、民主化勢力との対話を求め、政府が応じるまで抗議行動をつづける姿勢を示している。
全ビルマ僧侶連盟は21日、軍政指導者を「国民の敵」と名づけ、「軍事独裁政権をこの地から一掃する」まで平和的なデモを続行すると言明した。
では、軍事政権は一般市民らの抗議デモは力づくで封じこめようとするのに、なぜ僧侶のデモには強硬手段を取らないのか。
第一の理由は、ビルマにおいて仏教と僧侶が果たしてきた政治的、社会的な役割である。国民の約9割が仏教徒であるこの国において、国家の命運をかけた政治的な局面でつねに変革運動の先頭に立ってきたのは僧侶たちだった。英国の植民地支配からの独立闘争しかり、1988年の民主化闘争しかりである。同年の闘いで、広範な国民をネウィン独裁政権の打倒に立ち上がらせる指導的な役割を果たしたのは、学生と僧侶たちだった。
民主化運動は、軍のクーデターと非武装の市民のデモに対する無差別発砲により血の海に沈められ、僧侶をふくむ1000人以上が虐殺された。しかし、その後も散発的に起きる反政府行動で学生とともに軍政がもっとも警戒してきたのは、僧侶の動きだった。
僧侶が果たしてきた政治的な役割は、民衆の仏教への篤い信仰と僧侶への尊敬の念に支えられている。ビルマやタイなどの上座仏教の国では、朝、托鉢に歩く僧侶に人びとが食事などをうやうやしく差し出す光景が見られる。僧侶はそれを胸元にかかえる鉢に入れると礼もいわずに立ち去る。一見無礼にみえかねない僧侶の態度は当然なのである。在家の人びとにとって出家者への布施は来世の幸せにつながる功徳を積む場であり、僧侶は托鉢をつうじてそのような機会を人びとに与えてくれているのである。
ところが今、僧侶たちは、デモ以外の政府への抗議の意思表示として興味深い行動に出ている。それは、軍人や軍政関係者の家族、USDAの関係者からの布施の拒否(「不受布施」「覆鉢」)である。この行為は仏陀や仏法、僧団(サンガ)を誹謗する者に対して許されている。前回は、1990年の総選挙で民主化勢力の中核である国民民主連盟(NLD)が圧勝したにもかかわらず、軍政が公約をほごにしてNLDに政権を移譲せず権力の座に居座る姿勢を示したとき、大規模な「不受布施」が行われた。
布施の受け取りを拒否されることは、仏教徒にとって深刻な問題である。功徳を積む機会を失ってしまうばかりでなく、冠婚葬祭などの日常の行事に僧侶に参加してもらえなくなり、僧侶の説教を聴くもこともできなくなってしまうからである。
現地から送られてくるビデオには、さらに注目すべき場面がある。僧侶が布施で受けたご飯などを生活の苦しい人びとに配っているのだ。人びとはおそらく布施をすることができないほど生活に窮しているのだろう。上座仏教の国では本来はありえないことであり、僧侶が軍政下で苦しむ貧しい人びとにいかに共感をしめしているかの一例であろう。
軍政が強硬手段を躊躇するもうひとつの理由は、民主化運動の理念と仏教の関係である。民主化運動の指導者でNLD書記長のアウンサンスーチーがめざしているのは、軍政下で喪失された国家・国民の尊厳の回復である。彼女にとって政治とは、仏教の教えの基本にある「慈悲(ミッター)」の実践であり、それが人権・民主主義とされる。そしてこの目的を達成するために、仏教の非暴力とインドのマハトマ・ガンジーの不服従を貫こうとしている。
彼女をはじめ多くの民主化運動の担い手は敬虔な仏教徒であり、このような基本姿勢を共有している。つまり「ビルマの伝統のなかから独自の民主主義を発掘し、実践すること」(伊野憲治・北九州市立大学教授)が目標とされているので、多くの国民からすれば軍政の専横と暴力はビルマの伝統・文化・価値とは相容れないものとして拒否される。軍政に対して、パコックへの発砲事件への謝罪や物価値下げとともに、政治犯の釈放、民主化勢力との対話を求めて非暴力の行動を展開する僧侶たちに、民衆が軍政の目を気にしながら拍手を送るのは当然なのである。
このような民衆の尊敬の念に支えられた僧侶を敵に回すことは、軍事政権にとって得策でない。僧侶が先頭に立つ抗議デモに強硬手段を取れば、さらに広範は国民的な反政府運動を誘発させ、民主化運動を復活させることになりかねない。このため、軍政は対応に苦慮しているとみられる。
僧侶の「不受布施」戦術に対抗するため、軍政は国営ラジオで、軍人が高僧に布施をおこないそれが受け取ってもらえたというニュースをトップニュースで流したりしているが、民衆からみれば仏教界を味方につけるためのたんなるパフォーマンスと見透かされているという。このようなニュースを流すことじたい、軍政がいかに仏教団体の動向を気遣っているかをしめしている。
今回軍政が強権の行使を控えている理由としてもうひとつ見逃せないのは、国際世論の動向と情報通信技術の発展である。
国際社会は欧米を中心にビルマの民主化弾圧に批判を強め、ASEAN(東南アジア諸国連合)さえも加盟国の民主化の遅れにいらだちを示し始めている。一方ビルマ国民は、軍事独裁下のきびしい情報統制にもかかわらず、ユーチューブなどの最新の通信手段を利用して冒頭のビデオはじめ多くの映像を次々に国外に伝えている。このような状況では、流血の事態はこれまでのように国内で封印することはできず瞬時に世界中に発信され、この国の国際的な孤立をさらに深めるだけであろう。
現政権が1988年の権力掌握以来、最大の挑戦を受けようとしていることはまちがいない。僧侶のデモが今後、どこまで拡大し、国民各層を反政府運動に巻き込んでいくか、緊迫した状況がつづきそうだ。イェトゥ情報相は21日AP通信に対して、軍政は戒厳令を発令する予定はなく平和的に状況に対処していると語ったが、ヤンゴン周辺地域での警備を強化しているとの情報もある。
*上記以外にもいくつかのビデオが観れる。
http://www.youtube.com/watch?v=U2_EKx2KZ9A
http://www.youtube.com/watch?v=X86fZ8Fm-fo
http://www.youtube.com/watch?v=YpdzaGApmKI
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