2007年10月01日11時01分掲載  無料記事
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外資も敵わぬ「おもてなしの心」 TVドラマ『どんど晴れ』を観て  安原和雄

  先週末(9月29日)まで半年続いたNHK・朝のテレビドラマ『どんど晴れ』は、乗っ取りを図る外資とその標的になった老舗旅館との抗争を描いた物語で、興味深く観ました。乗っ取りは失敗に終わり、それは老舗旅館の「おもてなしの心」にはついに敵(かな)わなかったという筋書きとなっています。 
 昨今、米国主導のグローバル化の波に乗って利益追求を第一とする自由市場原理主義が猛威を振るっていますが、それに対抗して「日本のアイデンティティ」をどう主張していくかが論議を呼び始めています。このドラマは、そういう論議に向けて有力な視点を示唆していると評価できるのではないでしょうか。 
 
▽外資も白旗を揚げた「おもてなしの心」 
 
 ドラマの中で強く印象に残ったセリフを紹介しましょう。 
 先行きの経営不安の中で外国資本による買収工作の標的にされた老舗旅館「加賀美屋」をあくまで守ろうとする主役の若女将、夏美とその応援団の人々のセリフは次のようです。そのキーワードは「おもてなしの心」です。 
 
・外資に加賀美屋の株の過半数を握られて、買収される瀬戸際に追い込まれたとき、夏美は言います。 
「大丈夫です。加賀美屋は一番大事なものを失ってはいません。それは、おもてなしの心と家族の和です。いのちを賭けても加賀美屋を守ってみせます」 
 
・加賀美屋に宿泊し、夏美のお陰で自分の息子を精神的に救われた経済評論家(女性)はテレビで訴えます。 
「カネで買うことのできない日本の良き伝統であるおもてなしの心は大切にしなければなりません」 
 
・ドラマの圧巻は大企業にのし上がった日本企業の会長と夏美の次のやりとりです。 
会長「世の中は勝つか負けるかだ。君たちは負けたんだよ」 
夏美「そうでしょうか。勝つか負けるかだけではないと思います。人と人との心のつながりを大切にしたいと思います。その原点はおもてなしの心ではないでしょうか。それを守るために力をお貸し下さい」 
 
 会長はなかなか首を縦に振ろうとはしませんが、そこへ会長の母(加賀美屋に泊まって、高齢のため体調を崩し、夏美のもてなしに感激した体験の持ち主)が現れて助け船を出します。 
「同じ日本人としてその心の分からない人はいないと思いますよ」と。 
 会長も結局、老舗旅館の支援に乗り出し、外資の買収工作は失敗に終わります。会長が要求した支援の条件は「伝統と格式を守り抜くこと」、「おもてなしの心を大切にすること」―の二つです。 
 
 買収をめぐる交渉場面で外資側は「私たちのもとで再建の道を選ぶか、それとも(経営破綻して)従業員を路頭に迷わせるか」と冷ややかに迫りますが、おもてなしの心にはしょせん敵わず、最後には外資が「参った」としぶしぶ白旗を揚げるという展開です。 
 
▽日本人が大切にしてきた価値観とは 
 
 ドラマのねらいについてNHKチーフ・プロデューサー、内藤慎介氏は次のように述べています。(ドラマの公式HPから) 
 「効率優先」「結果の重視」「個人主義」―こうした価値がよしとされている現代。どんなこともスムーズに進んでいきますが、そこには何かが欠けているようにも見えます。『どんど晴れ』は、欠けた何か、つまり「思いやり」や「気配り」といった、古くから日本人が大切にしてきた価値観を「老舗旅館」という場を借りて改めて見つめ直すドラマにしたいと考えています―と。 
 
 この文章冒頭の「効率優先」「結果の重視」などは、利益追求至上主義の自由市場原理主義―小泉・安倍政権が取り組んできて、9月下旬に誕生したばかりの福田政権がどの程度手直しを図るかが関心を集めている―を指しています。一方、後段の「思いやりや気配りなど古くから日本人が大切にしてきた価値観」は、日本のアイデンティティ(英identity)と同義だと理解できます。 
 このidentityの適切な日本語訳は難しいのですが、ここでは日本人に固有の独自性、つまり日本人らしさ―と理解しておきます。そうすると、「おもてなしの心」は欧米の人々には身についていない、日本特有の日本人らしさということになります。 
 
▽「おもてなしの心」を広く定着させるには 
 
 しかしこの「おもてなしの心」が現実の日本社会で果たして健在でしょうか。薄れつつあるのではないでしょうか。また夏美の言葉に出てくる「家族の和」は、昨今の親殺し、子殺しの横行などからも分かるように残念ながら崩壊しつつあります。 
 
 その根因として指摘できるのは、一つは貨幣価値しか視野にない経済成長主義です。経済成長とは、GDP(国内総生産)の量的拡大(質的充実とは無関係)を意味しています。しかもこのGDPにはお金で買えるモノやサービスのみが含まれます。このため経済成長主義は「カネ、カネの世の中」を助長してきました。経済成長を「善」と思い込んでいる人々(現代経済学者を含めて)がいまなお少なくありませんが、経済成長の「悪」の側面を見逃してはならないと考えます。 
 
 もう一つは利益追求を至上とする自由市場原理主義です。これが「カネ、カネ」に拍車をかけました。いまや「いのちよりも大事なカネ」という雰囲気です。いのちは手段でカネが目的―という価値観の逆転現象が日本列島にあふれています。これでは世の中、いのちを無視し、殺伐とした空気に包まれるほかないでしょう。 
 いいかえれば経済成長主義も自由市場原理主義もお金では買えない非貨幣価値(例えば地球環境やもてなしの心など)は一切無視しています。昨今の世の乱れは、その成れの果てというべきです。 
 
 以上を念頭に置いて、テレビで訴えた経済評論家のセリフ、「カネで買うことのできない日本の良き伝統であるおもてなしの心を大切に」を聞くと、「なるほどその通りだ」と相づちを打ちたい心境になります。 
 
 「家族の和」を取り戻し、「おもてなしの心」をもっと日本社会に広く定着させるためにはどうしたらよいでしょうか。お金では買えない非貨幣価値を大切にしてこそ、カネの価値も生きてくると考え直すことではないでしょうか。 
 まず「おもてなしの心」の旗を高く掲げ続けること、それが結果として加賀美屋の経営基盤を強固にしてゆきます。外資の手法は多くの場合、この逆で、まず利益つまりカネを稼ぐことを優先するあまり、一時的にその企業の株価は上昇しますが、連帯感も和も壊し、結果として経営基盤が崩壊してゆくことにもなりかねません。 
 
 実はこの非貨幣価値を貨幣価値以上に重視するのが仏教経済学の何よりの特徴です。このドラマは非貨幣価値尊重派(加賀美屋)と貨幣価値執着派(外資)とが四つに組んで、最後に貨幣価値執着派が投げ飛ばされた相撲にたとえることもできます。 
 
▽「おもてなしの心」と慈悲の心 
 
 さて「おもてなしの心」とは、何でしょうか。改めて考えてみると、答えはそれほど簡単ではありません。 
 米国から導入し、今では全国に広がっているスーパー・マーケットはセルフ・サービスが基本で、そこにもてなしの心を発見することは困難です。サービスとは本来、奉仕の精神も含まれているはずですが、価格(廉価販売が売り物)に見合った機械的な事務処理があるだけです。 
 
 すでにみたように、大切なのは、「思いやり」や「気配り」であり、それは「効率優先」、「結果重視」の対極に位置する価値観です。もう一つ大事なのは、「人を信じて、心を込めて接すること」です。夏美役を演じた比嘉愛未さんは次のような感想を述べています。 
 
 「夏美に一番あこがれるのは、人を信じることができるということ。夏美は自分に好意を持っていない相手にでも、心を込めて接することができる。それってすごく難しいと思いませんか。夏美は、どんな人も受け入れられる純粋な気持ちを持っているんだろうなって、その心のきれいさにいつも感心させられています」(ドラマの公式HPから) 
 たしかに「自分に好意を持っていない相手にも、心を込めて接すること」は難しく、なかなかできることではありません。夏美はドラマの中でいつも笑顔を忘れない、笑顔の美しい若女将の役柄を演じきったように観ました。私はそこに仏教の慈悲を連想していました。 
 
 慈悲について仏教伝道教会編『和英対照仏教聖典』はつぎのように解説しています。 
 「仏教における最も基本的な倫理項目で、〈慈〉とは相手に楽しみを与えること、〈悲〉とは相手から苦しみを抜き去ること。これを体得して、対象を差別せずに慈悲をかけるものが〈覚者〉(かくしゃ)すなわち仏(ほとけ)であり、それを象徴的に表現したものが、観音・地蔵の両菩薩である。やさしくいうと、慈悲とは〈相手と共に喜び、共に悲しんであげる〉ということになる」と。 
 そういえば、加賀美屋の庭の一角にお地蔵様が鎮座していました。このお地蔵様に向かって時折手を合わせていた乗っ取り屋のリーダー(日本人)は土壇場で加賀美屋の味方につくという筋書きでもありました。 
 
 ドラマの最終場面での夏美の言葉を紹介しましょう。 
 「家族の笑顔、仲間の笑顔、加賀美屋みんなの笑顔があるからこそ、自分もまた笑顔になれることに気づいたのです」と。 
 「皆様のお陰」と感謝する謙虚な心が慈悲の心につながっているということでしょうか。沢山の夏美が日本列島の各地に健在の姿を現せば、日本のアイデンティティといえる「おもてなしの心」もまた見事に復活し、広がっていくように想います。 
 
▽『どんど晴れ』と『おしん』との距離 
 
 いつまで「おしん」なのか―という見出しでNHK・朝の連続テレビドラマ『おしん』について私(安原)が書いた毎日新聞社説(1984年4月1日付=放映が終わった翌日)を参考までに紹介します。社説は無署名であるため、私が問題提起をして、論説室で意見交換の末、私が執筆するという形をとりました。当時、多くの視聴者の涙を誘ったこのドラマを取り上げた社説はほかにはなかったように記憶しています。 
 
 『おしん』物語は20年以上も昔の話で、中曽根康弘政権時代のことです。1980年代後半のあのバブル経済がまさに始まろうとしていた時期に当たります。『どんど晴れ』と『おしん』の時間的距離はかなり開いていますが、経済的社会的距離は意外に接近しています。働く人たちの「忍耐と我慢」は今も変わらないし、むしろ強まっているくらいです。社説の内容(一部)は以下のようです。 
 
 人気テレビドラマ「おしん」が終わった。何度も頬をぬらした人たちにとっても、このドラマはそのうち忘却のかなたへと消えていくことになるだろう。しかし忍耐と我慢のシンボルとさえいわれた「おしん」は本当にドラマの世界での主役でしかなかったのだろうか。 
 身近な生活を見回してみても、心なごむ話は意外に少ない。 
(中略) 
 
 財界首脳が「我慢の哲学」を国民に向かって説くのに大いに活用したのがおしんブームであった。そこには春闘による賃上げをできるだけ抑制しようという意図が働いていることは明らかである。 
 収入がふえず、それでいて、その収入に占める税負担など非消費支出がふえれば、否応なしに私たちが「おしん」の生活をしいられることは小学生でもわかる単純な算術の問題である。「おしん」を拡大再生産していくメカニズムが定着してしまったのか。 
 
 中曽根康弘首相は「我慢しているのはおしん、康弘、隆の里」と言ったことがある。ドラマは終わっても現実のおしんが日本列島のあちこちで、きょうも頑張っていることを忘れないでもらいたい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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