2007年12月23日11時57分掲載
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山は泣いている
14・憧憬の山稜─朝日岳から日本海へ 花々咲き乱れる夢の楽園を逍遥 山川陽一
第4章 わたしと山・2
▽積年の夢が実現
北アルプスの白馬岳と小蓮華岳の中間点の三国境から北に派生している雪倉岳、朝日岳に続く稜線一帯は、長い間気になる山域としてわたしの中に存在していた。1971年サワガニ山岳会が日本海の親不知からこの山域に続く尾根に栂海(つがみ)新道をつけてくれたことを知り、わたしの思いは更につのっていった。積年の夢の実現へ、学生時代の山仲間3人でこの山域に出かけることになったのは、2006年夏も終わりの8月27日であった。初日は栂池まで行って一泊し、白馬大池を経て白馬山荘、朝日小屋、栂海山荘(無人)と山中に三泊して、9月1日に日本海の親不知に下った。
いまや、少しばかり重量を背負うと、ガイドブックに示されているコースタイムの3割増しは見込まなければならなくなってしまった自分たちが、いささか不甲斐なくもあるが、それ以上に、久々の長丁場をまだ歩ける喜びは大きかった。
当初は、高山植物が盛りの7月下旬から8月上旬にと考えていたのであるが、仲間の日程調整の結果この時期になった。しかし、何が幸いするかわからないものである。この年は近年になく残雪が豊富で、花の季節が半月から1ヶ月近くもずれ込んだため、今が夏の高山植物の盛りで、加えて秋の花が咲き始めていて、夏秋の花を同時に満喫できる幸運に恵まれたのだった。
出発の朝、新宿駅のホームの売店で買った信濃毎日新聞に目を落とすと、一面のトップで、白馬大雪渓で登山者の列に落石が直撃して1名が死亡したことを報じていた。朝日小屋で同室した単独行の登山者の話では、そのニュースを知らないまま大雪渓の登り口の猿倉に着いたところ、当日の入山者は本人だけで、ひとり大雪渓を独占して登って来たそうである。
私も、中学時代に、ここで落石にあった経験がある。そのときは猿倉から白馬山頂を経て蓮華温泉に下山したのであるが、大雪渓をほとんど登りきったあたりで、小雪渓方面から落ちてきた一群の大きな落石に見舞われて、あわや直撃の恐怖で、九死に一生を得た。確か昨年も、杓子岳方面からの大崩落の事故があったと記憶している。一般コースであっても、やはり山には大きな危険が潜んでいる。
▽山頂から海岸までの植物分布を通観する
今回われわれは、大雪渓のコースではなく、栂池から乗鞍、大池、小蓮華を通って白馬の山頂に立った。
白馬山頂から、三国境、鉢ヶ岳、雪倉岳、朝日岳を経て栂海山荘に至る間は、日本でも有数の高山植物の宝庫である。トウヤクリンドウ、タカネマツムシソウが咲く斜面を下り、鉢ケ岳の砂礫の斜面にかかるとコマクサの大群落であった。雪倉岳を越え朝日岳周辺から黒岩平までの区間には、随所にある高層湿原に池塘が点在し、遅い残雪が消えた後に花々が咲き乱れて、まるで夢の楽園を逍遥しているかのようである。
チングルマ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ハクサンコザクラ、ウサギギク、カラマツソウ、イワショウブ、クルマユリ、ハクサンフウロ、ハクサンチドリ、タカネナデシコ、ヒオウギアヤメ、ニッコウキスゲ等などが、群生し、混生し、その中に、ミヤマアキノキリンソウ、ミヤマリンドウ、トリカブト、イワギキョウなど黄色や紫の秋色が混じった。マルハナバチが花から花を渡って、集蜜に余念が無い。すでに花の終わった湿原の木道を歩いていると、大量のイナゴが音を立てて足元を飛び交った。
栂海新道は高度を下げるにしたがって原始の様相を見せて、長丁場にも興味が尽きない楽しさがあった。道中マムシに2回出会い、突然犬ケ岳の懸崖をカモシカが雄たけびをあげながら駆け下った。栂海山荘では、消灯と同時に枕元をネズミが跋扈し、ザックの隙間からもぐりこんで食料をあさった。夜中小用に起きたら、手に取るように大きい星が満天を埋め尽くしていた。
植生的には、ハイマツ帯と岩塊斜面が続く高山帯から、高層湿原とオオシラビソの樹林帯が交互に現れる亜高山帯の植生へ、更に高度を下げると、ブナの原生林やカエデなどの雑木林、見事なゴヨウマツの巨木が見られる森へと続いていく。2932メートルの白馬山頂から海抜ゼロメートルの親不知の海岸まで、一気通貫で植物の垂直分布が見られるこの山稜は貴重である。
最終ピークの入道山を過ぎると、樹間に海の輝きを垣間見ながら、これでもかこれでもかの下りで高度を下げ、ついに海岸線を走る国道8号線際に飛び出す。道を渡ると、そこが最後の宿、親不知観光ホテルの玄関口だった。(つづく)
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当)
(後記)
*白馬山荘は日本一の収容能力1500名。(村営頂上宿舎を併せるとなんと2500名。)
日本の登山事情を象徴するその大きさにびっくりし、食堂のほかに立派なレストランがあって二度びっくりした。当日は、宿泊者が少なくて快適だったが、満室のときの状況はどんなであろうか。
*東北の朝日連峰、会津朝日岳、羽後朝日岳、上越の朝日岳、そして今回の飛騨朝日岳。どの朝日岳も印象に残るいい山だった。晴天に恵まれた早朝、朝日岳からの剣、立山、毛勝三山の遠望は忘れられない。朝日小屋は、適度な大きさ、女主人のアットホームなもてなしと小屋の清潔さは好感が持てる。
*親不知観光ホテルは、安い料金、豊富な海の幸の食事、登山者の気持ちを理解した接客はうれしかった。聞けば、ここの主人は、北アルプスで昔の面影を残す最後の山小屋と言われる船窪小屋のオーナーであった。
*この山域は、ロングコースに加えて、北アルプスとしては標高が低いことなどが入山者の総量抑制効果につながって、静かな山歩きが楽しめる。
*11月初旬、たまたま日本山岳会の岐阜支部からの招きで、岐阜まで出かける機会があった。前日に支部主催の年次講演会が市内の会場であり、翌日、今年から支部ではじめた森林ボランティア作業の現場に案内してもらうスケジュールだった。まったくの奇遇というか、その日の講演者は、なんと栂海新道の生みの親であるサワガニ山岳会会長の小野健さんその人であった。栂海新道の誕生から現在に至る苦労話に加え、深い専門性に裏付けられた栂海新道の地質や植物についてのお話に時がたつのも忘れて傾聴した。当日はひとつ部屋に同宿して、翌日も1日一緒に行動させてもらった。人生の大半をひとつのことにささげてきた人は、さすがに魅力的で、こんなめぐり合いをセットしてくれた岐阜支部に感謝感激であった。
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