2007年12月30日19時02分掲載
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山は泣いている
15・もうひとつの山 会社の仕事への挑戦を支えてくれた山の体験 山川陽一
第4章 わたしと山・3
人には色々な生き方があるが、およそ「大過なく勤めあげた」などということばが当てはまらない自分の会社時代であった。振り返ってみると、その大半は、今まで誰も手がけたことのない命題への挑戦だった。だからピンチも多かったのだが、一度それを乗り越えると、その経験が、更なる大きな試練に立ち向かう力を私に与えてくれたように思う。
ひとつの山を越えると、また次の山が、まるで待ち構えていたかのようにその奥に聳え立っていた。自分にとって、そんな山に登り続けていることが、性に合っており、生きがいでもあった。
成功体験ばかりでなく、拭おうと思ってもぬぐいきれない挫折の体験もある。こんな自分の会社生活の中でも、最大のエポックは、業界第三位のB社との合併という出来事であったと思う。それは、私にとって、決められた日までにどうしても登頂しなければならない山、失敗を許してもらえない未踏の山であった。
もう20数年前のことである。特に誰に伝えたいということではなく、この体験は、自分史的には、いつかどうしても書き残しておきたいことであった。もうとっくに時効は過ぎているから、公にしても誰も文句は言うまいと思う。
その当時のわたしは、A社の情報システムの責任者だったのだが、ある日、ひそかに役員室に呼び出されて大変なことを告げられる。一年後のXデーに同業のB社と合併する、B社の情報システムの責任者にもその旨伝えておくから連絡をとりながら準備しておくようにと。AB両社の主要部門の代表者から構成する合併準備委員会の召集がかかる数ヶ月前のことである。
新会社スタートの日に、統一情報システムが間に合わなかったら、合併自体が成り立たなくなるというトップの判断で、すべての部門に先行して耳打ちされたのであるが、口が裂けても口外できないことをこっそり告げられても、準備できることは限られている。相手のシステムを勉強することや基本方針を決めること以外は、具体的作業は何ひとつ出来なかった。
そして、合併がマスコミ発表されてからXデーまでの時間との勝負、死に物狂いの作業は、いま思い出しても大変なことをやり遂げたものだと感慨深いものがある。最後の数ヶ月は、多くのメンバーは、職場に泊りきりの臨戦体制になった。当時、会社の同好会山岳部の部長でもあったわたしは、山岳部員にお願いして寝袋をかき集められるだけ集めて、みんなに使ってもらったことを覚えている。
こんな状況の中で、わたしは思い続けていた。
「ここ一番を乗り切ることが出来れば、この経験は、このプロジェクトの渦中にあるメンバーのこれからの人生にとって、かけがえのない財産になる。もしダメだったら、みんなの人生に、とてつもなく大きな負のコンプレックスを背負わせてしまうことになる。だから、何が何でも乗り切るのだ。」
もうそのときのわたしの頭の中には、「会社のために」などというお題目はひとかけらもなくなっていた。
そんな日々、わたし自身の心の支えは、いつも、山での体験であった。
あの時あの山での苦しさに比べれば、こんなことはどうという ことでもないな
いままで、終わりのない山歩きはなかった、歩くのだ、行き着 くまで歩き続けるのだ
ひと山終えたあとの気分のなんと爽快なことか
やはり、みんな一緒にあの頂に立ちたい。頂上で感激の握手を したい。
先年、M銀行で合併システムがうまく稼動しないで社会問題になったり、T銀行がシステム開発の遅れを金融庁に指摘され合併日程が延期になったりしたのは、記憶にあたらしい。こんなことが起きるたびに、あのときの記憶が蘇る。むちゃくちゃ苦しかったことも、すべてがなつかしい思い出である。(つづく)
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当)
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