2007年12月31日09時06分掲載  無料記事
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18歳の米国人女性はどこに消えたのか カリブ海の楽園で起きた悲劇

 南北アメリカに挟まれたカリブ海の南に浮かぶオランダ領アルバ。国際観光地として知られるこの小島で2年半前、観光旅行中の米国人女性ナタリー・ハロウェーさん(当時18歳)が忽然と姿を消した。誘拐、殺人、失踪など様々な憶測が流れたが、必死の捜索にもかかわらず、ようとして行方はわかっていない。アルバは、麻薬の密売や女性の人身売買が盛んという。このため、ナタリーさんが麻薬や人身売買に絡んで消息を絶ったとの見方もある。事件は今、迷宮入りの様相を呈しているが、一連の捜査の過程を眺めてみると、家族の話から奇妙な実態が浮かび上がってくる。(江口惇) 
 
▽パラダイスが一転悲劇に 
 
 まず最初に、ナタリーさんがなぜアルバにいたかを説明する必要がある。当時彼女は、米南部のアラバマ州バーミングハムにあるマウンテン・ブルーク高校の生徒だった。彼女は、卒業間近の他の同窓生100人以上と一緒に、カリブ海のパラダイスといわれるアルバに5日間の卒業記念旅行に来ていた。 
 
 米国では、高校生たちが卒業記念に海外旅行に出かけたりするケースが多い。親たちも、長年の学校生活が一区切りし、大人の仲間入りをするという意味もあり、費用を捻出し、子供たちを送り出す。 
 
 ナタリーさんが消息を絶ったのは、2005年5月30日未明。酔った感じのナタリーさんが、ナイトクラブから出て、現地に住む3人(オランダ人一人とスリナム人の兄弟)の若い男性と一緒に車に乗り込むのが目撃されている。当日は、アラバマに戻る帰国便に乗る当日だった。しかし、彼女は空港に現れず、一行は米国に戻った。米国の家族はパニック状態になり、現地に乗り込んだ。以後世界中のメディアも殺到し、大きな国際的事件に発展した。 
 
▽不可解な警察の対応 
 
 この事件では、大きくいって二つの謎がある。一つは、アルバの警察当局の初動捜査が遅れたことだ。地元警察では、ナタリーさんが行方不明になった直後、3人の若者から事情聴取をしたが、3人は、ナタリーさんをホテルに送り返して別れたと供述した。 
 
 しかし、これはうそだった。なぜなら、ナタリーさんが当時滞在していたホテルの監視ビデオには、彼女が戻った姿が映っていなかったからだ。これだけでも、警察が3人に疑惑の目を向けるだけの条件がそろっていたが、警察は、直ちには動かなかった。3人が誘拐などの疑いで逮捕されたのは行方不明から10日近く経った6月9日だった。これだけの時間があれば、仮に3人が容疑者だとすれば、証拠隠滅や口裏あわせをするだけの十分な時間があり、初動捜査の甘さが指摘されても致し方ない。 
 
 家族がアルバ入りした直後、警察は家族とも面会しているが、その話から警察が、ナタリーさんの行方不明を、あまり深刻なものと考えていなかったふしがある。ナタリーさんの両親は離婚しており、ナタリーさんの父親デーブ・ハロウェー氏と、離婚した母親ベスさんは、別途現地入りしたが、こうした経緯を父親デーブさんが、2006年に出版された共著「アルバ:ナタリー・ハロウェーとパラダイスの悲劇(仮約)」の中で、詳述している。 
 
▽転々とする供述 
 
 デーブさんによると、アルバの担当刑事は、娘を案じるデーブさんに対して、ここでは若い女性の失踪はよくある話だと述べ、ナタリーさんもまた、誰かと恋に落ちて姿を消しただけで、数日後に姿を現すと話したという。デーブさんは、刑事の発言に驚愕した。 
 
 第二の謎は、容疑者とされる人物たちが、くるくると供述を変えたことだ。ナタリーさんが最後にいたのは、前述の3人だ。3人は当時、未成年だったが、メディアは、当初から実名で報道している。オランダ人の男性は、ジョラン・バンデルスロートさんで現在20歳になっている。 
 
 彼らは当初、ナタリーさんと一緒にナイトクラブを出た後、彼女をホテルに送り届けたとうその供述したという事実は既に書いた。その後、3人は、(1)ナイトクラブを出たあと、ジョランさんとナタリーさんを浜辺で車からおろした(2)ジョランさんは、ナタリーさんがホテルに戻らず、浜辺にいると主張したため、浜辺に置き去りにして別れた−−などと供述を変えた。 
 
 要するに、ナタリーさんが深夜の浜辺で一人になった後、彼女がどうなったのかは知らないとの主張だ。 
 
 しかし、スリナム人兄弟が「ジョランが殺した」と供述したとの報道もあり、3人の供述がどこまで本当なのか、よくわからない。ナタリーさんの行方不明をめぐっては、こてまでにジョランが2度、スリナム人兄弟が3度逮捕されているが、いずれも証拠不十分で釈放されており、捜査当局が、3人の供述に振り回されている感は否めない。 
 
▽判事の父親も関与? 
 
 また、この第二の謎をめぐっては、ジョランの父親が、事件当時、証拠隠滅や口裏あわせの法律指南をしたのではないかとの疑惑も浮上している。ジョランの父親は当時、アルバで判事をしていた。職業柄、自治領政府や、警察にも影響力を及ぼせるだけの力があった。 
 
 父親はジョランに「遺体が見つからない限り、問題は起きない」と発言したといわれている。父親は、ジョランの当日のアリバイについても証言を変えており、不可解な言動が目立つとされる人物。彼もまた05年6月23日に共謀などの疑いで逮捕されているが、その後釈放されている。 
 
 ここで再び話をナタリーさんに戻す。家族の話では、高校卒業後は、アラバマ州立大学に進み、医学進学課程で学ぶ予定だった。将来的に医学の道を目指すコースだ。高校の学業成績も優等だった。その彼女がアルバに行き、青い海に囲まれたアルバで開放的な気分を浸っていたのは十分に予想できる。そうした将来を夢見ていた彼女にアルバで何が起きたのか。 
 
▽デート・レイプ薬を使用か 
 
 ナタリーさんが滞在していたホテルは、カジノも併設しており、カジノのビデオには、カジノを他の若い女性と興じているナタリーさんのビデオが残されている。そのビデオには、女性グループの隣に座っているジョランさんの姿も映っている。 
 
 マウンテン・ブルーク高校の生徒の話では、ナタリーさんは、カジノで会ったジョランに好感を抱いたともいわれている。この話が事実なら、ナタリーさんがナイトクラブで、ジョランたちと一緒にいたことも一応理解できる。 
 
 しかし、ここで疑問なのは、3人がなぜナタリーさんをナイトクラブから連れ出したのかだ。一部の報道では、デート・レイプ薬(睡眠薬の一種)を使い、ナタリーさんの行動能力を失わせ、レイプすることが目的だったともいわれている。 
 
 アルバには、各種の麻薬があふれており、若い女性観光客を狙った男性が徘徊しているといわれる。それだけに、一概には無視できない話だ。しかもナイトクラブのバーテンも、こうしたデート・レイプ薬の混入に協力しているという恐ろしい話もあるという。 
 
▽事実上迷宮入りの恐れ 
 
 結局ナタリーさんの身に何が起きたのだろうか。アルバの捜査当局が07年12月18日に、ナタリーさんの行方不明事件について、事実上捜査の終結宣言をしたために、このままでは、謎のまま幕引きの恐れもある。 
 
 ナタリーさんの消息については単純に言えば、事故死か他殺か、あるいはどこかで生存しているのかのいずれかだ。ここでは事故死は触れずに、他殺か生存説かについて仮説を紹介する。 
 
 一つの仮説は、3人がナタリーさんをナイトクラブから連れ出した後、レイプし、ジョランが殺害し、遺体をボートで沖合いに運び、遺体を海中に投棄したというもの。ボートは、ジョランの父親が借り出したとされる。 
 
 二つめの仮説は、ナタリーさんの行方不明が、麻薬とセックス・ビジネスと絡んでいるとの見方だ。ギャンブルの借金のかたか何かで、ナタリーさんが売られ、どこかで監禁されているというもの。ナタリーさんは白人、金髪の女性にために、特に必要とされたというシナリオだ。アルバの近くのキュラソー島には、麻薬づけにされた外国人女性が売春婦として働かせられている場所があるともいわれている。 
 
 ナタリーさんの事件は謎の多い事件である。しかし、ナタリーさんの家族は、依然事件解明をあきらめていない。アルバは日本の淡路島の3分の1程度の面積だが、今後も、独自でアルバでの捜索活動を続けるという。 


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