2008年01月12日11時38分掲載  無料記事
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山は泣いている

16・ニセコ、新宿、池袋 若者は銀世界からネオンの海へ 山川陽一

  またニセコにやってきた。学生時代の山仲間のひとりI君が経営するニセコのログビレッジに、1年1回同期のメンバーが集まって数日を過ごすのがここ数年の慣わしになっている。50歳台も半ばにさしかかる頃から、さしもの企業戦士も皆さん少々お疲れのご様子で、鮭が母川に帰ってくるがごとく、何かと理由をつけては母なる山岳フィールドに回帰しだしたのが数年前だったが、そのメンバーも全員が大台を越える歳になった。 
 
 いつから始まったのか、近年はスキー場にもシルバー割引という制度があり、ニセコアンヌプリを取り巻く一帯を滑れる共通1日券が、なんと3割引で手に入る。われわれの仲間も「チケット売り場で『シルバー券1枚!』と叫んだら免許証を見せろと言われちゃったよ。俺もまだすてたものじゃーないゾ」とかなんとか言いながら、嬉々としてシルバー券を求めて、今日は30回乗ったから完全に元を取ったと言ってはしゃいでいる。 
 シルバーになりたてのこんな元気な年寄りばかりならまだいいが、割引が評判を呼んで、ゲレンデ全体が白髪の銀世界になってしまったらどうなるのだろう。若者のメッカ、ニセコもおしまいだと余計な心配をしたりした。 
 
 昔から「年寄りこども」などと言って、とかく年寄りとこどもを同列扱いするが、すこしバカにしてはいないか。大体スキーに来ようなどと思う年寄りは、若者たちよりずっと小金を持っているから、わたしに言わせれば、割引などしないでシルバー割増にしたほうがいいのではないかと思う。その代わり混んでいるときの優先搭乗やゆったりしたシルバーシートが利用できるなんてサービスはどうだろう。 
 わたしはシルバー券を買うのにいささか抵抗を感じて、昨年はスキーをあまりやらなかった。みんなと一緒にゲレンデで遊んだのはワイスホルンのスキー場に行ったときの一回だけで、あとは、相棒を募って、スノーシューで羊蹄山の麓を歩き回ったり、林の中で写真を撮ったり、冬の日本海を見に出かけたりして過ごした。シニアの世代はそれなりのゆったりした行動パターンを見つけるべきで、ヤング世代と同等なことをしてもかなうわけがない、なんて思いながら。 
 
 大体、最近のスキー場は、スキーヤーよりスノーボーダーが幅をきかせているのが気に食わない。わたしに言わせれば、そもそもスノーボーなどというものは、何の役にも立たない。犬猫に例えれば、さしずめスキーヤーは犬で、スノーボーダーは猫であろう。犬は、番犬や盲導犬、最近では雪崩探索犬や麻薬探査犬などで大いに役立っているが、猫ときたら勝手に振舞うだけでなんの役にも立たない。(我が家には2匹の猫がいるから良くわかる。) 
 同様に、ひと昔前は雪国の郵便配達夫はスキーを履いていたし、軍隊にもスキー部隊があった。今でも、自衛隊の岩内の駐屯地では、冬になるとニセコのチセヌプリにある自衛隊専用ゲレンデに全国から訓練兵を集めてスキー訓練に励んでいる。(もっとも、これなどはあまり実用にならないと思うのだが・・・。)山登りでも、スキーはただ滑って遊ぶだけではなく、シールをつければ雪中登山の道具と化す。 
 翻って、スノーボーはどうだろう。いろいろと考えても、役に立つことは何ひとつ思い浮かばない。ボーフラのようにふらふら滑りまわり、ゲレンデの真ん中にたむろして腰を下ろしてスキーヤーの邪魔をしているだけである。 
 
 我が家に帰ってこんなことを話したら、家族のみんなからすっかりバカにされた。ミスミス損をして無駄な抵抗をするのはやめたほうがいい、スノーボーも単に自分が出来ないだけではないか、というのだ。以来、前言を翻してわたしもシルバー券組の仲間入りをしてスキーを楽しんでいる。スノーボーは、いまさら新しいチャレンジはきついし、若者しか似合わないと思うので、いまだもって試していない。 
 何はともあれ、あっという間に過ぎてしまった楽しいニセコの休日だった。 
 
 東京に帰ってきて数日後、東京野歩路会と山岳映画サロンが共催の山岳映画の会の無料券があったので、池袋公会堂まで出かけていった。 
 開場まですこし間があったので、会場近くの蕎麦屋で蕎麦を食べていると、同じ映画会に行くのだろう、年配の男女が蕎麦を食しながら話しをしている。聞くとはなしに聞いていると、男の方が「先日白馬に行ってきましたよ。白馬三山がバッチリで最高でした。」とか言っている。「あの大雪渓を登るのですか。」「いやいや、違います。ロープウエーで行くのです。」「白馬岳の他はなんて山ですか。」「エーと、エーと、なんだっけなア、すぐ忘れちゃうんだから・・・」 
 わが身にも憶えあり。でも、いやですねー。歳をとるということは。 
 
 蕎麦を食べてから、まだじゅうぶん時間があるなと思いながらぶらぶら会場まで行くと、なんと、すでにして長蛇の列なのだ。人々が公会堂の周りを延々と取り巻いて、すごい熱気なのだが、びっくりしたことに、見事に、ジーちゃんバーちゃんとおばちゃんばっかりで、若い人はひとりもいない。日本はいつからこんなに中高年ばかりの国になってしまったのだろう。開場時間になって入場が始まると、1、2階ともあっという間に埋まって、立ち見が出るほどの盛況であった。 
 
 プログラムは、会員が製作した新作ビデオ3編と、かの有名な山岳映画カメラマン福原健司さんが三浦雄一郎を長い間追い続けて撮った「地球を滑った男」ならびに横溝利雄さんが尾瀬を撮った「湿原に魅せられて」の16ミリ映画二編であった。会員の新作ビデオもかなりのレベルのものであったが、失礼ながら一言付け加えさせてもらうと、撮影者も映像の中に登場する人物も全員がかつての若者ばかりなのだ。主催者自身も、ご挨拶で「映画をつくる若者よ出てこーい!」と悲痛の叫びをあげていたが、困った問題である。 
 いまや、日本から若者が消えてしまったのだろうか。私の記憶では、かつてこのような山岳映画の会では、映写される作品も若き日の福永健司さんなど気鋭の人たちががんがん撮っていたものだったように思うし、会場を埋めた入場者も大半が若者であった。 
 
 この事態をどうしたらいいのだ! 午後8時、頭を抱えて会場を後にして帰宅の途についた。帰路、新宿を通る。こちらは「早く帰って寝なければ」なんてことを思いながら帰宅を急いでいるのに、新宿の街はこれからが本番のご様子で、ネオンの輝きの中にピンクや金色に染めた髪、光るピアスの若者たちが泳ぎまわって、活気に満ち溢れている。いつもは、苦々しい思いで敬遠しているこの街の喧騒が、この夜だけは、どういうわけかすごく新鮮で、輝いて見えたのだった。(つづく) 
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当) 


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