2008年01月26日15時55分掲載
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山は泣いている
18・衰退する山の文学 珠玉の文章を生み出す山の魅力が失われ 山川陽一
第5章 山と文化・1
「山のパンセ」などの著作で知られる串田孫一さんが亡くなられたのは2005年のことである。串田さんは、哲学者、詩人、登山家、エッセイスト、大学教授など、多彩な顔を持っていた。かつて串田さんの周りには、尾崎喜八、山口耀久、三宅修、辻まこと、畦地梅太郎など、山岳雑誌「アルプ」を舞台に、山の随筆や詩、紀行文などを発表していた多くの人たちがいた。
まだ健在の方もいらっしゃるが、回顧的なものを除いては、最近は、もうこのひとたちの新しい山の文章に触れることはなくなってしまった。もちろん、皆さん高齢になって、山登りの第一線から退いてしまっているという現実もある。が、それ以上に、日本の山自体が、彼らをして「もう俺たちの出番ではないよ」と宣告されてしまったのではないかという気がしてならない。
日本に登山という行為が登場して以来、山は多くの文章家を輩出してきた。小暮理太郎、田部重治、小島烏水、冠松次郎、武田久吉など黎明期の人たち。近代登山発祥後の槙有恒、浦松佐美太郎、大島亮吉、三田幸夫、伊藤秀五郎などの登山家たち。そしてアルプの仲間たち。こんな人たちの文章に触れるたびに思うのだが、昔の人はみんな登山家であると同時に、超一流の文章家だったなあと思う。構えて書いたものでなくても、山行記録そのものが一編の詩であり、文学である。
わたしは、なにをもって文学とか文芸というのか、正式の定義は知らないが、詩人とか小説家、エッセイストなどを名乗る人たちが書く文章だけが文学ではないと思っている。読む人の心の琴線に触れる価値ある文章を文学と呼ぶのだとすれば、彼らの文章はどれもまさしく文学と呼ぶにふさわしい。
昔は、文才がある人だけがこぞって山に行ったわけではない。感性が豊かだからこそ山に魅かれたという側面も否定できないが、もっと本質的には、山が文章を生み育てたのだと思う。対象物たる山が、感性を育み、書かないでいられない衝動、沸き出る感動の発露が文字になって表現されてきたのだと思う。
若き血を滾らす登高欲と達成感、原生の自然と山岳美、素朴な山村の風景と村人、そういう上等の素材が日本の山野に満ちあふれていた。そんなものが希薄になってしまった今日の山の世界から、果たして、珠玉の文章が生まれるだろうか。
料理にたとえれば、料理人の腕が同じであるならば、素材がいいほうがうまい料理が出来るのは当然である。
戦後、日本は、開発いう名の下に国をあげて自然破壊にいそしんできた。便利さと引き換えに自然を売り渡してきたといってもいい。日本中探しても、いまや複数の日数をかけないと頂上にたどり着けないような山は数えるほどしかなくなった。有名な山は、どこでも、奥地まで自動車道が入りこみ、ロープウエーがかかったりしている。山小屋に行けばビールが飲め、テレビが観れ、ひょっとすると風呂に入ることさえ出来る。それだけ、万人が容易に山を楽しめる世界になったわけだが、そこに実現してきたものは、結局、都市生活の延長でしかない。
山の文学というひとつのジャンルを確立してきた世界も、いまや幕引きのときを迎えてしまったのかもしれない。(つづく)
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