2008年02月16日14時24分掲載
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「カタツムリの革命」─サパティスタ解放区訪問記 レベッカ・ソルニット
レベッカ・ソルニットは、2006年12月のトムディスパッチ記事「哺乳類の時代」《*》では、現代の革命・改革勢力を、恐竜が跋扈〈ばっこ〉する世界の草の茂みにひそむ小さな哺乳類にたとえました。本稿(原題「カタツムリの革命」)では、みずからをカタツムリやトウモロコシにたとえる革命勢力、サパティスタ民族解放軍の自治領域を訪問し、目出し帽やバンダナで覆面した先住民女性たちに耳を傾けます。アメリカや日本のメディアではほとんど報道されない土着の民のメッセージ、暮らしに根ざした夢や希望を、「暗闇のなかの希望の語り部」のサパティスタ訪問記から読みとってみましょう。(TUP速報/井上利男)
トムグラム: レベッカ・ソルニット、叛乱の核心への旅を語るトムディスパッチ・コム 2008年1月15日
[トム・エンゲルハートによるまえがき]
1994年元日、メキシコの極貧地方、チアパス州の密林から現れた叛逆集団サパティスタ[1]は、レベッカ・ソルニットがトムディスパッチに登場したのとほぼ同じころから、彼女の心に──そして、書き物に──居ついている。2004年に彼女は、彼らの蜂起を「公定版の歴史に対する一揆」《2》と評した。2006年には「同国におけるインディアンの地位だけにとどまらず、革命の本質にまでおよぶ革命を演出した」《3》と書いた。そして、2007年末には、彼らを集団として「南北両アメリカのスペイン語を話す過半数の人びとから聞こえてくるなかで、いちばん力強い声」《4》と称した。サパティスタが世界意識のなかに劇的に乱入してから14年たったいま、彼女はメキシコのチアパスに旅して、サパティスタが支配する領域を訪問し、今年の元日を彼らとすごした。ひらめきの書『暗闇のなかの希望──非暴力からはじまる新しい時代』[七つ森書館]《5》の著者は、この訪問記を携えて戻ってきた。
トム[1.Zapatista=1910年メキシコ革命で「土地と自由」をスローガンに農民解放運動を指導したサパタEmiliano Zapata Salazar(1879-1919)にちなむ]
http://www.tomdispatch.com/post/2088 《2》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/666 《3》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/762 《4》
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 《5》
カタツムリの革命
サパティスタとの出会い
──レベッカ・ソルニット
私は、ビニール製レコード盤を聴いて育った。細密な渦巻の音声情報を毎分33・1/3回転(revolutions)で再生するやつである。“Revolution”という単語は、本来このような意味で用いる。例えば、あるものの「回転」、「旋回」、天体の「公転」といった使いかただ。単語「ラディカル(radical)」が、「根(roots)」を表すラテン語から派生し、「問題の根元に向かう」という意味をもつと考えると興味深い。だから、“revolution”には、元をただせば、一巡、回帰、循環といった意味があり、農耕暦のサイクルに従って生きる人なら、よく知っている趣がある。
[revolution=1. 革命[the R ]【英史】→ENGLISH REVOLUTION; 変革2a. 回転, 旋回; 一回転; 【天】公転 (cf. →ROTATION )、公転周期、(俗に)自転 b.(季節などの)一巡、ひと回り、循環、回帰 3.【地】変革(広範な地殻深部の運動)──研究社リーダーズ]
私の古い『オックスフォード語源辞典』によれば、この単語“revolution”が「事柄または特定のものごとに大きな変化があること」という意味をもつようになったのは、ようやく1450年のことである。コロンブスがそれほど新しくはない世界への第一次航海に出帆した時点よりも42年前であり、ヨーロッパでグーテンベルグが活版印刷を発明してから、それほどたっていないころだ。私の辞典で、この“revolution”の新たな意味の定義2に「ある国土または国家における、以前の従属者らによる既存政府の完全な転覆」とあるとおり、ヨーロッパでは、時間そのものが、循環的というより、直線的であると思われるようになっていた。私たちは革命の時代に生きている。だが、私たちが生きる革命は、ひとつの信念や慣習の体系からもうひとつの体系への緩慢な移り変わりなのだ。この移行は非常にゆっくりしているので、大多数の人は、私たちの社会の革命──または叛逆──に気づかないほどである。真の革命家は、カタツムリのように忍耐強い人でなくてはならない。
革命は、将来に期待しなければならない突発的な変革ではなく、これまでの半世紀のあいだ、私たちのだれもが生きてきた、変革を迫り、問いかけをうながす情況なのだ。これは、たぶん1955年のモントゴメリー市バス・ボイコット運動[*]、あるいは1962年のレイチェル・カーソンによる化学産業複合体に対する告発の書『沈黙の春』の出版ではじまったのかもしれない。もちろん、東欧の諸国民が非暴力によりソヴィエト一党独裁政府からみずからを解放したり、南アフリカ人民が白人支配のアパルトヘイト体制の土台を揺るがして、ネルソン・マンデラが牢獄から出てくるための道を開いたりといった、びっくりするようなできごとがあった1989年にはじまったともいえる。1992年、南北両アメリカの原住諸民族が、コロンブス西半球到着500周年祝典の意味を逆転させて、歴史を根本的に書き換え、自分たちはいまもここにいるぞと声をあげた、そのときにはじまったともいえる。あるいは、このラディカルな歴史改訂版がメキシコ南部でサパティスモ[サパタ主義]という新たな章を加えた1994年が、この情況の出発点だったとさえ考えられる。
[アメリカ南部アラバマ州モトゴメリー市で、市営バスの座席差別をめぐるトラブルがあり、黒人女性ローザ・パークスが逮捕された事件をきっかけにはじまった運動。当時、弱冠26歳だったマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が指導にあたり、後の全米規模の公民権運動につながる]
5年前、サパティスタ革命はカタツムリとその巻貝の殻を基本シンボルのひとつに採用した。彼らの革命は、資本主義の無情な疎外や産業主義の規格化といった、いくつかの大間違いから離れて、外側や後方へと、昔のやりかたや小さなものごとへと旋回してゆく。また、新しい言葉と新しい思考を用いて、内側へと旋回してゆく。サパティスタの驚くべき力の源は、あるサパティスタ女性が「私たちは子どもたちに私たちの言葉を教え、私たちのお祖母さんたちが生きつづけるようにしているのです」といったように、彼らが深く根ざしている遠い過去、そして彼らがいうには、まだ生まれかけの別の世界があり、そこでは数多くの世界の存在が可能になるという予言である。彼らは、彼らの渦巻を両方向に進む。
[写真1]抵抗の展開を叛逆カタツムリとして描く刺繍作品
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革命の風景
2007年の暮れ、1994年の革命蜂起から数えて3回目のエンクエントロ[encuentros=出会い]、サパティスタ女性たちと世界とが出会う、注目に値する集会に参加するために、私は彼らの領域に入った。現地で見えるかもしれない、あるいは見えねばならない革命の姿を、私はどうしたわけか、距離を置いて読んでいたサパティスタの言葉と思想の奇跡のなかで見失っていた。だがそれも、メキシコ、チアパス州の森林高地や農耕開拓地を曲がりくねって貫く、轍〈わだち〉の深い泥道をワゴン車で長時間たどったすえ、薄暗くほこりっぽい広場に到着した去年の歳末までだった。私たちは、大きな町サンクリストバル・デ=ラス=カサスから入り組んだ風景のなかを5時間ドライブしながら、無数の傾斜地のトウモロコシ畑、木の家、わら葺きの豚や鶏の小屋、やせた馬、ひとつかふたつの町、もっと多くの森、さらにもっと多くの森、それに滝さえも見た。
乾いたトウモロコシの茎を除いて、万物が緑であり、みずみずしい緑のなか、12月の草花が育っていた。アメリカ西部の道端、どこにでも咲く黄色のブラック・アイド・スーザン[キク科Rudbeckia hirta]のように見えるが、樹木のサイズに大きく育ったものがあった。同じように高い、優雅な枝振りの茎に咲いた、手のひら大のラヴェンダー・ピンク色の花もあった。ハッとするその美しさは、生命力、か弱さ、華美を均等に混ぜあわせたかのようだ。その後の何日間か、私が耳を傾けた女たちに少し似ているみたい。
ワゴン車は、ラ・ガルチャ集落の中心部につながる交差点で停まった。その場で、顔の下半分をバンダナで覆面した男たちに集会参加を告げると、坂の上のテント広場へ行くようにと指示された。男たちの背後の大看板に「あなたはサパティスタ叛乱行政区に入りました。当地では、人民が支配し、政府が従属します」と書いてある。その隣の看板の文面は、昨年の注目すべきオアハカ蜂起のさいの政治囚らに宛てられていた。4か月にわたり住民たちが市街と放送局を掌握し、政府を退けていたのだ。その末尾の言葉は次のとおり。「君たちは孤立していない。君たちはわれわれとともにある。EZLN」
[写真2]ラ・ガルチャ集落入口の看板
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多くのみなさんが先刻ご承知のように、EZLNとは、“Ejercito Zapatista de Liberacion Nacional”(サパティスタ国民解放軍)の略語で、これに先立つ数多くのラテン・アメリカの蜂起の名称と同類のものである。サパティスタ──メキシコ南端・最貧、チアパス州の辺鄙な集落に依拠するマヤ族主体の叛乱先住民たち──は、1994年元日の蜂起をまえに、10年の歳月をかけて周到な準備を整えていた。
彼らは武装し、6つの町を攻略して、従来の叛乱者のように発足した。1月元日を蜂起の日に選んだのは、メキシコの小農たちの徹底的な駆逐を招く北米自由貿易協定の発効日にあたっていたからである。しかもまた、その14か月前にコロンブス米大陸到着500周年記念祭がおこなわれたさい、原住民の諸グループがその半千年紀[500年]を問いなおし、この間になされたことは、先住諸民族にとって苦痛や不公正の一撃だったとした、その流儀にも影響を受けていた。
彼らの叛乱はまた、資本主義と1991年に崩壊したソ連の官製国家社会主義といった偽りの二分法を少なくとも一歩超えた世界を確保することをも意味していた。それは、次に来るべきもの、なによりも資本主義や新自由主義に対する叛乱の最初の実現だった。14年たったいま、叛乱は折り紙つきの成功を収めた。チアパス州内のサパティスタ支配地域では、土地なしカンパシーノ[農夫]だった数多くの家族が、いまでは土地を所有している。被支配者だった数多くの人びとが、自治の民になっている。押しつぶされていた数多くの人びとが、活動と力の感覚を身につけている。あの革命のあと、チアパス州の5地域が、メキシコ政府管轄外の領域として、根本的に異なった独自のルールのもとに存続している。
それどころか、サパティスタは、世界に対して、革命や共同社会、希望や可能性を構想しなおすためのモデル──そして、たぶんそれよりもさらに重要な言葉──を提示した。近い将来、たとえ彼らがみずからの領域で決定的に倒されるようなことがあっても、彼ら自身と同じく強力な彼らの夢は死滅しそうにもない。地平線のうえに暗雲がかかっている。フェリペ・カルデロン大統領の政府は、これまでの14年間にわたるチアパス州の緊張度の低い紛争を本格的な絶滅戦争に拡大するかもしれない。それは、夢や希望、諸権利、そして1世紀前のメキシコ革命の英雄、エミリアーノ・サパタが掲げた昔〈いにしえ〉の目標「土地と自由(tierra y libertad)」に対する戦争である。
サパティスタは、兵器だけでなく、言葉でも武装して、1994年に密林から出現した。彼らの初回声明「第一ラカンドン密林宣言」は、珍しくもない、時代遅れの革命レトリックとして響いたが、ほどなくして蜂起は世界を心酔でとりこにし、サパティスタの基本姿勢は変更された。その後の彼らは、メキシコ軍や現地の民兵組織に包囲されているにもかかわらず、自衛時を除いて、おおむね非暴力を貫いてきた(そして、棒で武装し、統制のとれた独自の軍隊、つまりラ・ガルチャを夜間パトロールする覆面部隊の大戦列を維持している)。最も大きく変わったのは、彼らの言語であり、それは、前代未聞のなにか──暗喩や比喩、ユーモアに加えて、才気縦横の分析が満載の革命詩、常人のものではない想像力の果実──に様変わりした。
サパティスタは、並みのロック・バンドが脱帽するほど数多く、かっこいい関連グッヅを繰り出している。最近のステッカーやTシャツの一部には、“el fuego y la palabra”、つまり「火と言葉」と書かれている。このような言葉の多くは、彼らの軍司令、非先住民であるマルコス副司令の直観力ある文才によっているが、そのペンは、長い記憶と豊かな環境──裕福で安楽な生活は望めないとしても、動物たち、イメージ、伝統、思想の面で豊かな環境──を享受する人びとの言葉を写している。
例えば“caracol”(カラコル)であるが、これは「カタツムリ」や「巻貝」を意味する。2003年8月には、サパティスタは彼らの5つの自治区をカラコルと呼び替えた。そのときからカタツムリは重要な象徴になった。私は、巻貝の殻をもつカタツムリを描いた刺繍、Tシャツ、壁画がどこにでもあることに気づいた。多くの場合、カタツムリは黒い目出し帽をかむっていた。カラコルという単語は、強烈な生命力、土着性をもち、それが私たちの現実性のない言葉の一部になるとき、しばしば単なる比喩ではなくなる。
カラコルに再編したとき、サパティスタは、そのシンボルが自分たちに意味するものを説明するために、マヤ民族神話の記憶を引き合いに出した。あるいは、マルコス副司令が、他の多くの物語と同じく、その物語を「老アントニオ」作として、そうしたのだ。架空人物か合成人格、あるいは地域の先住民伝承のほんとうの原作者であるのかもしれない老アントニオは、こう語る──
「男たち、女たちの心はカラコルの形をしていて、心と思いに善をもつ者たちがあちこち歩き、神々や人間たちを目覚めさせ、世界が正常なままであるか調べさせると、昔の賢者たちは言う。カラコルは、心に入りこむことを意味しており、これを原初の人間たちは知識と呼んだと神々や人間たちが言ったと心と思いに善をもつ人間たちが言うと昔の賢者たちは言う。カラコルはまた、世界を歩くために心から出てくることも意味すると彼らが言ったと彼らが言うと彼らは言う……カラコルは、集落へ入りこんだり、集落が出てきたりするための扉、内側のわれわれを見たり、またわれわれが外側の世界を見たりするための窓、われわれの声を遠くまで広く伝えたり、遠くにいる人の言葉を聴いたりするための拡声器、これらのようなものになるだろう」
カラコルは、いくつかの集落のまとまりであるが、世界を包み込むまで外部に展開し、しかも心の内部に端を発する渦巻として説明されている。さて私は、例の挑戦的な看板から道を少し上ったあたり、ひとつのカラコルの中心部、がっしりした二階建てで半分できあがった診療所など、ラ・ガルチャ集落の公共建造物が取り巻く広々とした舗装のない広場に到着した。その空間を横切って歩いているのは、刺繍飾りのブラウスや、反転した虹のように見える何列ものリボンを縫いつけた幅広いえりのシャツとエプロン──それに、密林から1994年にはじめて出現して以来、サパティスタが公的に姿を見せるときにはいつも全員が着用におよんでいる例の目出し帽──で装ったサパティスタ女性たちである。(あるいは、ほぼ全員がというべきか。何人かは代わりにバンダナを用いていた)
あの初めて見た光景は、息を呑むようだった。続く3日間にわたり、あの女性たちの言動を見聞したり、短期ながら叛乱領域に滞在したり、軍隊や世界の支配的イデオロギーを寄せつけないほどに勇敢であり、有効な代替策を創案(または奪還)するほどに想像力豊かな人びとを観察したりすることは、私の人生の一大通過儀礼になった。私にとって、サパティスタは、美しい理念、インスピレーション、新しい言葉、新種の革命であってきた。彼らは、この「第三回サパティスタ人民・世界人民出会いの集会」《*》で発言したとき、現実問題に取りくむ民衆の特定集団になった。私は、自分は山頂に達したと言ったときのマーチン・ルーサー・キング・ジュニアの感慨を思った。私は森林に達したのだ。http://zeztainternazional.ezln.org.mx/ [スペイン語]
[写真3]エンクエントロ会場に入るために並ぶサパティスタ女性たち
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第三回対面会の発言
エンクエトロの会場は、波トタン屋根の大きな倉庫のような集会所だった。梁材はとても長く、運ぶのに田舎道のカーブを曲がりきれそうにないので、現地の木を切り倒したもののようだ。木の壁には、バナー[旗や横断幕]が張られ、壁画が描かれている。(壁画のひとつは、武器をもったサパティスタ女性を描いたもので、その添え書きに「皮下脂肪はOK、拒食はダメ」とあった) 未完の壁画には、ばかでかいトウモロコシの穂が描かれているが、その上半分はサパティスタの目出し帽に突っこまれ、両目が覗いている。地元の芸術家たちが寄進した刺繍作品のいくつかには、トウモロコシがなっているはずの位置にサパティスタたちの顔がなっている茎が描かれている。これらすべて──カタツムリやトウモロコシ生〈な〉りのサパティスタなど──は、叛乱者たちが、自然で普遍的、実り豊かなものであることを表現している。
日に3回か4回、集会所の外に設置された屋根つきステージで、男がのんびりした調子の小品をオルガン演奏し、色彩豊かな服で装い、目出し帽やバンダナを着用したサパティスタ女性たち、おそらく250人ほどが一列になって集会所に入場し、舞台上に並べられた背のないベンチに着席した。世界中からやってきた聴衆の女たちは空いたベンチに固まって座り、男たちは集会場後方で思い思いに群がった。すると、一度にひとりのカラコルが簡潔な発言をして、質問を書面で受け付けるのだった。4日間の会期中、全部で5人のカラコルが、彼女らの状況について現実的側面とイデオロギー的見地から見解を表明した。彼女らは、答えにくい(時には、気に障る)質問に対して、簡明で直截、手際よく応じていた。彼女らは、革命を生きること、言い換えればメキシコ政府からの自立という課題について、また、それだけではなく、みずからを律し、自由と公正の意味をみずから決定することを学ぶという課題についても話したのだ。
サパティスタの叛乱は、その発端からしてフェミニズム[女性解放運動]だった。司令の多くは女性である──ちなみに、今回のエンクエントロは、物故したラモナ司令に捧げられており、彼女の肖像がどこにでもあった。サパティスタ領域内の女性の解放は、闘争の中核部分となってきた。宣言類が、この意味──強制結婚、無知、家庭内暴力、その他の形態の服従からの解放──を明確にしている。女たちは声をあげて文書を読みあげていたが、その何人かは神経が高ぶり、声がひきつっていた。そして、このような読み書きじたいが、革命の一端としての識字とスペイン語の普及の証明になっていた。おおかたのサパティスタの第一言語は先住民族語であり、だから、スペイン語で話す場合、彼らはかしこまった宣言調の明確さをもって話すのだった。彼らは、発言の冒頭で、渦巻状に広がっていく聴衆に向かって、“hermanos y hermanas, companeras y companeros de la selva, pueblos
del Mexico, pueblos del mundo, sociedad civile”──「兄弟姉妹、降雨森林の仲間、メキシコ国民、市民社会のみなさん」──と、改まった挨拶をすることが多かった。続けて、自分たちにとっての革命の意味を語るのだ。
「私たちは無権利の状態にありました」と、ひとりが蜂起以前の時代について発言した。別のひとりが次のように続けた。「最も悲しかったのは、私たちがみずからの苦境を理解できなかったことです。なぜ自分たちは虐げられているのか。だれひとり、私たちの権利を私たちに教えてくれませんでした」
「この闘争は、私たち自身のためだけのものではありません。万人のためのものなのです」と、3人目が発言した。もうひとりが、次のように私たちに直接語りかけた。「あなたがたにお願いします。ネオリベラリズムを排除するために、世界の女性として結集するのです。新自由主義は、私たち万民を痛めつけてきました」
彼女らは1994年以来の暮らしむきの改善ぶりを語った。大晦日のこと、覆面女性らのひとりが次のように明言した──
「私たちは、(抑圧の)責任があるのは資本主義者の制度であると考えていますが、もはや恐れてはいません。あまりにも長いあいだ、彼らは私たちを馬鹿にしていましたが、サパティスタの私たちに対して、だれひとりとして、虐待をできないでしょう。たとえ夫たちが私たちを虐待するとしても、私たちは自分が人間であることを知っています。いまや、女性たちは夫らや父親らに虐待される存在ではないのです。いまでは、一部の夫たちは、私たちを支え、助けてくれますが、それが全所帯でというわけではなく、チョビチョビです。すべての女性のみなさんに、私たちの権利を守り、マッチョ主義に対して戦うようにお勧めします」
彼女らは、世界を変革し、自由な未来を築くための実践、教育、医療、地域社会組織のための新しい可能性の追求、新しい社会の日常作業について語った。彼女らの何人かは、赤ん坊連れで──そして、暮らしぶりこみで──ステージに上がった。とあるピリピリした瞬間に、小さな女の子がステージを駆けて横切り、覆面の母親にキスし、ハグをした。時には、幼い女の子たちも覆面をしていた。
マリベルという名のサパティスタが、叛逆が始まったころの様子を語った。蜂起のまえに会合したりオルグしたりしたときの隠密行動について次のよう
に述べた──
「私たちは、1月1日までの潜伏中に前進することを学びました。これが、種子が生育したとき、私たち自身を光のなかへ運んだときでした。1994年元日、私たちは、私たちの夢と希望とをメキシコ中に、そして世界に伝えました。そして、私たちはこの種子の世話をつづけるでしょう。私たちのこの種子を、私たちの子どもたちに与えているのです。形態は違っていても、みなさん全員が闘うことを私たちは願っています。闘いは万民のためのものなのです……」
サパティスタは、安楽だったり安全だったりする未来を勝ちとってはいない。だが、彼らが達成したものは、すべての初期声明で触れられ、エンクエントロ会期中、繰り返し連発されもした言葉「尊厳」である。また、彼らは希望を生みだした。“Esperanza”、つまり「希望」は、サパティスタ領域内で逃れられない、もうひとつの言葉である。“La tienda de
esperanza”、「希望の店」という塗装のない木造店舗があり、ミカンやアヴォカドを売っていた。朝の何回か、私はcomedor[食堂]でcafe conleche[ミルクコーヒー]とシナモン風味の甘いミルクご飯の食事をした。その店の手書き看板には次のように書かれていた──「叛乱中の自治集落食堂……希望の夢」。サパティスタのマイクロバスの車体は、次のようなスローガンで飾られていた──「共同体は希望を生む」(共同体を表すスペイン語“collective”には、バスの意味もある)
夜更けもすぎてゆき、新年のまさしく夜明けごろ、男たちがふたたび発言するように求められ、新年のダンス音楽が鳴り響くステージにひとりの男性があがって、自分もそうだが、他の男性陣もお話を拝聴していて、ずいぶん勉強になりました、と述べた。
この革命は完全無欠ではない。そのさまざまな短所をあげつらう声が、メキシコの他の場所から、そしてエンクエントロ会場にいたインターナショナル[国際労働運動関係者]たちからも聞こえるのも稀ではなかった(例えば、トランスジェンダー[*]人格や中絶に対する小農女性の姿勢といった、ためにする質問を何回も浴びせかけていた)。それでも、これは驚くばかりに実り多い出発なのだ。
[trans-gender=性不一致。語意に、日本のメディアでいう「性同一性障害」のような異常や病気のイメージはない]
[写真4]壁画が描かれ、洗濯物が干されたサパティスタの学校
http://www.tomdispatch.com/post/174881
カタツムリと夢の速度
彼らの願いの多くはすでに実現した。女性たちの証言は、具体的に土地、諸権利、尊厳、自由、自治、読み書き能力の獲得、民衆を踏みつける悪意の地方政府ではなく、民衆に従う善意の地方政府の樹立といった例をあげていた。彼らは、包囲攻撃網のなかで自分たちの地域共同体を構築し、世界に発信しているのだ。
密林から、貧困のさなかから出現した彼らは、企業のグローバル化──1990年代、さながら世界制覇を達成するかのように見受けられたネオリベラルの野望──に対抗する最初の明瞭な声のひとつだった。それは、もちろん、1999年世界貿易機構シアトル会合の不意打ち封鎖など、新自由主義の野望とその衝撃に対する画期的でうまくいった世界規模の抵抗行動に先駆けていた。サパティスタは、不可視や無力、無視に対する先住民の叛逆が、いかに大胆になれるものかを如実に示したのだ。しかも彼らは、ボリヴィアからカナダ北部にいたる他の先住民運動が南北両アメリカにおける実権の配当を獲得するのに先んじていた。「たくさんの世界が存在可能な世界」という彼らのイメージは、大きな違いを包みこむ懐の深い連合、フランス、インド、韓国、メキシコ、ボリヴィア、ケニア、その他の狩猟採集民、農夫、工場労働者、人権活動家、環境主義者の同盟の出現を表す言葉になった。
彼らのヴィジョンは、「グローバル化政策」推進論者と20世紀の近代主義革命とがともに構想した均一化世界に対するアンチテーゼを提示した。彼らは、政治言語の刷新にすてきな役割を果たしてきた。もっと創意に富んだ、もっと民主的な、もっと分権化された、もっと草の根に近い、もっと遊び心にあふれた世界を築きたいと願う万民にとって、彼らは道案内であってきた。いま、彼らは、メキシコ政府が抵抗のカタツムリを踏みつぶし、エンクエントロの女性たちがみずからを語りながらも体現していた諸権利や尊厳を粉砕しかねない──そして、大量の血を流しかねない──脅威に直面している。
1980年代、わが国の政府が中央アメリカの汚い戦争に資金を注ぎこんでいたころ、具体的には米国の2団体が、そのような弾圧・拷問・暗殺政治に対抗していた。そのひとつは「抵抗の誓い(the Pledge of Resistance)」であり、米国がサンディニスタ治下のニカラグアに侵攻する場合、あるいはそうしなくても、中米の独裁政府や暗殺部隊への関与を深める場合、市民としての反抗で対応すると約束する署名を数十万人分集めた。もうひとつは「平和をめざす証人(Witness for Peace)」であり、中米全域の地域社会にグリンゴ[白人系外人]を立会人や非武装護衛として配置した。
エルサルヴァドルやグアテマラのような国々では、カンパシーノを殺害したり消したりすることは簡単にできたが、アメリカ国民に対して、あるいはその面前でするのは、もっとやばいことになる行為だった。ヤンキー立会人たちは、肌色や国籍の特権を他者の盾〈たて〉に利用し、さらに目撃内容を証言した。私たちは、世界のとても大勢の活動家たちがサパティスタに感じた連帯を強めなければならない瞬間、その連帯を、「火と言葉」──とても多くの叛逆心をもつ人びとを暖めてきた「火」、私たちに世界を新たに想像することを教えてきた「言葉」──の源を守りうるなにかに強化しなければならない時点に立ちいたっている。
米国とメキシコとは、獲物を空から襲う猛禽、ワシを国章に共通して用いている。サパティスタは、見落としかねない小さな生き物、巻貝の殻をもつカタツムリを選んだ。こっちは、慎みや謙虚さ、大地との接触、そして、革命は雷光のごとくに始まるかもしれないが、ゆっくりと忍耐強く、着実に実現されるという認識を物語っている。革命の古い概念は、ひとつの政府をもうひとつの政府に替えると、新政府がどうにかして私たちを自由にし、万事を変革してくれるというものだった。いまや、私たちのますます多くの者が、私たちの前に立った例の女性たちが証言したように、変革は今日一日を生きる修練であるということ、革命だけが生きかたを変革しうる領域を保障するということを理解している。1990年サパティスタ蜂起以前の10年にわたる計画期間に示されているように、革命の発足は容易なことではなく、革命を生きることと、脅威や旧弊がなくなるまでぐらつかせてはならない信念と修練とは──言うならば──やはり困難な道である。ほんものの革命はゆっくりと進む。
ロバート・リチャードソンが著したソロー[1]伝にすてきな一節があり、全ヨーロッパ的な1848年革命[*]に言及して、ニューイングランドの情況と当時に数多く勃興した生活共同体について次のように述べている──「創始者の大多数は、既存秩序の破壊よりも、模範の構築に関心があり、それらは成功のゆえに手本になった。そのころでもアメリカのユートピア社会主義は1848年の精神に幅広い共通点をもっていた」
[1.Henry David Thoreau(1817-62)=ニューイングランドの思想家・著述家。主著『市民としての反抗』、『ウォールデン──森の生活』][2.パリに二月革命。ルイ・フィリップ王を追放して、第二共和制が成立。これを契機としてヨーロッパ諸国に自由主義革命運動が勃発、ウィーンやベルリンで三月革命が起こり、ウィーン体制が崩壊]
攻勢に出て、国家とその制度を変革することもできるのであり、これを私たちは革命と認識するが、政府の管轄外に独自の制度を築くこともできるのであり、これもやはり革命なのだと、この文は実にハッキリ言っている。家族、ジェンダー[性別関係]、食料供給システム、労働、住宅、教育、医療と医師・患者関係、環境の構想、それについて語るための言葉、それに言うまでもなく日常生活のもっともっと多くのあれこれを人びとが改革しているいま、この──叛逆だけではなく──創造が、私たちの時代の革命の性格の主要部分になっている。革命の幻想とは、それが万事を様変わりさせ、体制革命が違いを生み、ときには非常に建設的なものになるということであるが、日常生活を根本的に違ったものにすることは、もっと時間がかかり、やることがどんどん増える作業なのだ。この場では、指導者はお門違いになり、ひとつひとつの暮らしが大事になる。
サパティスタに時間を与えよう。彼らの世界、私たちの暮らしや社会のありうる別の姿を明示してくれる世界の構築をつづける時間──渦巻が広がり、カタツムリが進む、ゆったりした時間──を与えよう。私たちの気候帯や脱工業化社会が、彼らの亜熱帯農民運動にあてはまらないのと同じように、私たちの革命は、彼らのとは違っているはずだが、それでも、尊厳や想像、希望のゆっくりした力、そして彼らがイメージや言葉で示す遊び心に導かれるはずである。集会所での証言は12月31日遅くに終わった。真夜中、ダンスたけなわのさなか、革命は14年目を迎えた。願わくは、内側へ、外側へ、革命が末永く渦巻きますように。
[筆者]
レベッカ・ソルニットは、前に叛乱解放区でキャンプしたとき、西部ショショーン防衛プロジェクト、つまりネヴァダ州のショショーン民族が米国政府に土地を割譲したことはないと──確かな法的根拠をもって──主張する運動の世話役だった。その物語は、1994年のソルニット著“Savage Dreams: A Journey into the Landscape Wars of the American West”
《1》[仮題『未開の夢──アメリカ西部、景観戦争への旅』]で語られているが、トム・エンゲルハートが出版の助力をした本『暗闇のなかの希望──非暴力からはじまる新しい世界』[七つ森書館]《2》では、その後にサパティスタから受けたインスピレーションが極めて明確だ。彼女は次回作の11章目を執筆中である。
http://www.amazon.co.jp/dp/0520220668 《1》
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 《2》
[原文]
Tomgram: Rebecca Solnit, Journey into the Heart of an Insurgency Tomdispatch.com, posted January 15
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[参考サイト]
サパティスタとは何か
──メキシコ先住民運動関西グループ
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/
[翻訳] 井上利男 /TUP
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