2008年02月24日11時45分掲載  無料記事
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山は泣いている

21・本当の自然保護とは何か チベットで学んだこと 山川陽一

第6章 外国に学ぶ・1 
 
  2004年夏に上高地で行なわれた日本山岳会自然保護全国集会に、江本嘉伸さんをお招きしオープニングの話をしてもらった。江本さんは元読売新聞の記者で、現在は山岳ジャーナリストとして活躍されており、チベットやモンゴルの研究者としても知られている。いわゆる行儀のいい模範生的環境論に慣れているわれわれにとって、時代の反逆児らしい彼一流の論理と鋭い視点は妙に説得力があり、新鮮だった。江本さんの素晴しいところは、単に取材者としての知識で話しているのではなく、自らの深い体験がベースになっていることである。 
 
 そのとき、彼はヒツジを解体するスライドを映しながら「皆さんは自然保護自然保護というけれど、自分たちは使い捨て文化の甘い生活にどっぷりつかりながらカッコイイことを言っているのではないか、モンゴル人の生活を見てごらんなさい、何ひとつ捨てるものがない、最後まで使い切る生活をしていますよ、彼らは何も云わないけれどこれが本当の自然保護ではないか、わたしたちも原点に帰って考えてみたらどうだろう」という趣旨の話をされた。その本質をついた話に大きな感銘と共感を覚えたのはわたしだけではなかったと思う。 
 
 わたしは、大学山岳部のOBたちで遠征したカルション登山隊の一員として2004・5年の二度にわたりチベットを訪れていた。だから、ほんの少しであるがチベット人の生活と文化に接していたので、モンゴルとチベットの違いはあっても実感として江本さんの話が理解できたのだった。 
 われわれをサポートしてくれたチベット登山協会から派遣された高所協力員たち(ネパール側でいういわゆるシェルパ)の食する高所用食料は、ヤクやヒツジの肉の塊、小麦粉を練って焼いて作ったパーレー、飲み物はバター茶だった。高所用食料といっても特別のものではなく、彼らが普段の生活で食しているものそのものなのだが、寒冷な高所で彼らに充分なパワーを与えると同時に食べ終わった後にゴミとして残るようなものは何ひとつない。それと対照的に、われわれが日本から持参した食料は、主食も、副食も、飲み物も、全てがレトルトパック製品で、食べ終わった後に大量の容器包装がゴミとして残った。(つづく) 


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