2008年03月23日18時19分掲載
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山は泣いている
24・ニュージーランド紀行(下) 人口360万人の国が自然を大事にする理由 山川陽一
第6章 外国に学ぶ・4
▽マウントクック
ニュージーランドには3千メートルを越す山が27座ありそのすべてがサザンアルプスに集中している。その中の最高峰がマウントクック(3753メートル)である。富士山よりわずかに低いこの山は、周囲の鋭峰群の中でもひときわ高く、岩と氷に覆われ、長大な氷河を従えて鋭角なピークを天に突き上げている。ニュージーランドを訪れる大多数の観光客は、人口わずか300人のマウントクック村を訪れ、有名なハミテージホテルに宿泊して天を仰ぐ。
運が好い人だけが好天に恵まれてその崇高な姿を拝むことができる。足が丈夫で少し時間的に余裕がある人は、ケアーポイント(Kea Point)と呼ばれる氷河の押しだしでできたモレーンの小高い丘までマウントクックを眺めに行く。もう少し足に自信のある人たちは、マウントクックの西面に直接突き上げているフッカー氷河(Hooker Glacier)の末端にできた氷河湖へ、あるいは、谷を挟んでマウントクックの対岸に位置するシアリー山の中腹シアリーターンズ(Sealy Tarns)と呼ばれるところまで半日ハイクに出かける。
氷河湖から先は「これより先はヘルメット着用でクライミングの装備と経験のある人しか行ってはいけません」といった類のことが書いてある標識が立っており、限られたクライマーだけが足を踏み入れられる世界になる。しかし登山の技術と経験がない人でも、220NZ$のお金さえあれば、セスナの足にスキーをつけたスキープレーンでマウントクックの側壁ぎりぎりまで近ずいたり、タスマン氷河の上部に着陸してハイマウンテンの世界を一瞬経験することが許される。それもこれも天気に恵まれなければすべてがおしまいで、ホテルかビジターセンターで絵ハガキを買って見た気になる以外術はない。
しかし、われわれがマウントクックの飛行場に降り立つと、ここから発着している遊覧飛行機の機長も「こんな晴天は一年のうち何回もない」というほどの無風快晴である。ツアーリーダーのSさんも「明日明後日も天気予報はいいが、どうなるかわからないから希望者は今日遊覧飛行しませんか」と言う。われわれは一旦シャトルバスで10分の距離にあるホテルに行ってチェックインした後飛行場に引き返し、最高の状態で遊覧飛行を経験することができた。1週間ホテルで待機してついに飛行機が飛ばないで断念した人もいたというし、現にわれわれもこの日を逃したら強風で帰る日まで飛行機は飛ばなかったのだから、運がよかったとしか言いようがない。
つぎの日はワンデーハイクの日。計画ではフッカー谷かシアリーターンズのどちらかに行くことになっていたが、天気とメンバーの状態を見たうえ「せっかく来たんだから両方行ってしまいましよう」というSさんの提案で、十二分にマウントクックの一日を堪能することができた。
今回出来なかったことといえばサザンアルプスの登山そのものであるが、次にこの国を訪れる時はぜひとも登ってみたいという押さえがたい衝動が、心のスペースを徐々に占領してきてしまったようだ。
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生まれてこのかた60年近くも生きている日本でさえ行ったことのない場所がたくさんあるというのに、わずか10日の旅(98/1/4 - 1/13)でニュージーランドという国を語るなどおこがましい。この足で歩いた距離わずか70キロにしかすぎないが、憧れの地に上陸して、目にふれ、耳にし、からだで感じ、心の琴線にふれた諸々を鮮度が落ちないうちに書き留めておかなければいう気持ちだけである。
最初に述べたように、この国のすべての原点は人口の少なさにあると思う。とにかく、地図を見ても、方向音痴の自分でも迷いようがないほど道が少ないし、道を走っている車がまた少ない。わずか360万人の人口で工業を起こしても億の単位の人口がいる国と競争できるわけがないから、持てる資源である自然を最大限に生かした牧畜や観光で勝負しているのは賢明な選択である。ニュージーランド人が自然を大事にするのは、自然を愛する心を持ち合わせていると同時に、自然そのものが自ら生きていくためのもっとも重要な資源であるからに他ならないのだろう。
一例をあげると、観光に花を添えるマウントクック周辺で見られるルピナスの群生も、近年は国の主導で除草剤をまいて撲滅をはかっている。なぜかといえば、ルピナスは外来種でこれがはびこると原種の植物が淘汰されてニュージーランドがニュージーランドでなくなってしまうというのだ。
カナダでもそうだったが、国立公園内のトレールへは宿泊施設の許容量(小屋のベットの数とキャンピングプレースに張れるテントの数)しか入山許可をしない。勿論公園内の植物は一木一草たりとも手を付けさせないし、川が氾濫したりがけ崩れが起きたりしても、少し橋が立派になるぐらいで、川の中にブルをいれて流れを変えたり、堰堤を作ったり、護岸工事をしたりなどは論外なのだろう。川が氾濫すること、がけが崩れることそれ自体が「自然」なのだという考え方かもしれない。
ものごとには原因があって結果があるのだから、これはいいと思う様なことが存在する場合、特別そこに頭がいいひとがいたわけではなく、必然の原因が存在するケースが大半である。山を歩いていて日本でもやってくれたらいいなと思ったのは、木道や吊り橋の材木に金網がかぶせてあるため滑る不安がないのだが、これなどは一年の大半が雨というフィヨルドランドの気候がもたらした知恵なのだろう。
街では消費税がない、いや、消費税はあるが内税だから感じないのだ。実は125%というとてつもない税がかかっているためこれを外税にしたら国民の反乱が起きるからなので、単純にいいなともいっていられない原因がひそんでいる。
いろいろなことを感じながら楽しく過ぎていった旅であった。次に訪れれば、また新しい発見や国や自然や民族や文化などに対するより深い理解が得られるにちがいない。
(つづく)
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